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国鉄があった時代、日本国有鉄道史

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万博輸送その後 新快速電車の誕生

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万博輸送その後 新快速電車の誕...
万博輸送後のダイヤ改正
大阪府吹田市千里丘丘陵で開催された、日本万国博覧会(Japan World Exposition, Osaka 1970)は、1970年3月15日から9月13日までの183日間開催され、アジア初かつ日本で最初の国際博覧会として開催されました。
期間中の入場者数は、6,421万8,770人(うち外国人 約170万人)であり、当初目標が3000万人であったので大成功を収めました。
国鉄も、輸送力増強で応えた他、茨木駅を万博東口として、バス輸送を行ったほか、新幹線の16両化、12系客車に見られる、波動用客車の増備などが行われました。
12系客車の話はまた別の機会に詳しくさせていただきますが、15年ぶりに製造された一般型客車であり、6両1ユニットで運用される客車で、冷房装置が付いた車両でありもっぱら急行用に利用されました。
車体の基本構造は、上下2段式の窓や2枚折り戸など同時期に製造されたキハ65とよく似ていました。
国鉄としては、こうした万博輸送に向けて増強した輸送力を活かすための方策が幾つか考えらることとなりました。
その一つが、新快速電車の誕生でした。

新快速電車の誕生
新快速電車の誕生
新快速電車は、万博輸送用の快速電車として投入された車両を使用して増発されることとなり、当初は京都~西明石間に1時間一本の割合で運転されることとなり、京都~西明石間を1時間20分で結びました。
当時は関東から転属の113系冷房改造車が投入されました。
当時の時刻表には下記のような説明文が書かれています。
ただ、国鉄本社は新快速という名称ではなく、特別快速にしたかったようですが、最終的に管理局が押し切ったようです。
ただし、10月号の時刻表では、本文が「新快速」ではなく、「特別快速」と書かれています。11月号からは「新快速」の表記かと思いますが手元に昭和45年11月の時刻表がないので確認ができません。
本文が「新快速」ではなく、「特別快速」
Discover japan(美しい日本と私)キャンペーンの始まり
そして、もう一つ国鉄が充実させた輸送力を活かすために考えたものが、Doscpver Japanキャンペーンでした。
駅頭にDiscover Japanと書かれたポスターが貼られ、駅にはスタンプが用意されていました。
an・anと言う雑誌が発行された頃もこの頃で、女性の社会進出、女性同士の旅行などが増加していった時期でも有りました。
今でも、youtubeで見ることができますが、当時の情勢のファッションなど見ることができます。
こうした新しいキャンペーンは、国鉄の強化した輸送力を吸収するのに上手い具合にマッチしてくれました。





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万国博覧会と旅客輸送 第二話

スレッド
ユニークな万博列車、名古屋から... ユニークな万博列車、名古屋からのエキスポ号に加えて、万博号が運転されています。
河瀬発、新大阪、姫路発、茨木止と言うユニークな列車に注目
ユニークな臨時列車
万国博覧会向けに、ユニークな列車が運転されました、大鉄管内だけで見ますと、「万博号」の運転と言うのがあります。
国鉄線という部内雑誌に出ていたのですが、大阪鉄道管理局管内の小・中学校生徒を中心に計画輸送を行なうため、河瀬・姫路間に毎日三往復の臨時モデル電車(快速型)を運転となっています

当時の時刻表を参照しますと、愛称は、「万博号」となっています。
時刻表を参照してみますと、河瀬始発の快速電車が万博1号として、河瀬7:39に出発、新大阪9:16着という列車が運転されています。
同じく、姫路方面からの列車としては、姫路発7:50 茨木9:42着の万博2号が運転されています。
これ以外にも、上り列車としては、16:30 茨木発 河瀬着18:18、万博4号、21:21 茨木発、河瀬着22:47 万博6号 下り列車としては、他に、茨木発 16:17、姫路18:14 万博3号、茨木発 21:17、姫路着 23:10の三往復が運転されていました。
また、名古屋始発のエキスポ号が陰転されていました。こちらは快速電車ですが、「全車指定席となっていました。
河瀬・姫路間に毎日三往復の臨時モデル電車(快速型)を運転する
国鉄線という雑誌の記事を引用したいと思います。
 大阪鉄道管理局管内の小・中学校生徒を中心に計画輸送を行なうため、河瀬・姫路間に毎日三往復の臨時モデル電車(快速型)を運転する。

となっています、また、「快速電車の茨木駅臨時停車」として、当初は臨時扱いだったそうです


万国博覧会その後
万国博覧会が終了した、10月には、ダイヤ改正が行われ、新快速が運転を開始します。
この新快速に関しては、本社は「特別快速」の名称を使わせたかったようですが、大鉄局が押しきった形となりましたが、時刻表の表記は間に合わなかったのか、特別快速と書かれています。

茨木駅と快速停車
茨木駅の快速停車は、万博終了後は正式に、停車駅として認知されることになりました。
万国博覧会が終了した、10月には、ダイヤ改正が行われ、新快速が運転を開始します

北大阪急行の廃止と延伸
北大阪急行は、万博終了後の経営が懸念されていましたが、万国博覧会会場に通じていた会場線(東西線、万博線とも呼ばれた)については、万博終了後の翌々日に失効すると言うことで、仮駅の千里中央~会場までの約三kmの路線は廃止されました。
元々、中国道の路盤を借用していたものであり、撤去工事の費用は道路公団の予算で行われたほか、鉄道建設費は万博輸送で償却できたため、現在でも初乗りが100円と非常に安い鉄道となっています。
建設当初は、万博終了後は赤字になるのは必至だからとして、大阪市交通局が難色を示したと言うのも笑い話のようです。

1970年(昭和45年)

2月24日:南北線・会場線 江坂 - 万国博中央口間 (9.0 km) が開業。
9月14日:会場線 分岐点 - 万国博中央口間 (3.6 km) が廃止、南北線 分岐点 - 千里中央間 (0.5 km) が開業

阪急の駅廃止と駅新設

もう一つの万博への会場アクセスであった阪急千里線に、南千里と北千里駅の間に、万国博西口駅が開設されました。
この駅は、現在の山田駅より北側に400m程行ったところで、現在は跡地は駐車場になっています。
ちなみに、山田駅が開業するのは、昭和48年11月23日でした。

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