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組合に、本社幹部の人事権を握られる国鉄本社

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国鉄マル生闘争資料集... 国鉄マル生闘争資料集
生産性運動は、昭和46年10月には正式に中止(国鉄の公式発表では、研修資料の再検討)され、昭和45年から本格的に始まった生産性運動は、わずか1年半ほどで終焉を迎えることとなりました。
真鍋職員局長は、ローカル線担当の閑職に追いやられ、実質的な責任者であった、能力開発課長の大野氏も貨物局調査役に左遷されることとなりました。
このときに、副総裁と国労幹部との間で、組合の推薦で職員局長を決定するという、およそあってはならないことが行なわれました。

有ってはならないことですが、組合の意向で次の職員局長を決定してしまったことは、その後の国鉄の混乱を招く元となりました。

その辺りの事情を、「国鉄を売った官僚たち」 大野光基氏の著書を参考にしたいと思います。

氏の本の、第六章 崩壊の原点・魚は頭から腐る、磯崎の豹変と山田の反逆 P274~276に下記のように書かれています。
少し長いですが、全文引用したいと思います。

私はこの本でもたびたび引用した、国労編集の『国鉄マル生闘争資料集』という部厚い本をめくっていたが、突然次のような一ページに釘づけになった。
 活字を目で追いながら、私は怒りのあまり体の震えが止まらなくなった。
 それは「マル生闘争の歴史と教訓」という、三日間にわたって行われた座談会の記事であった。
 座談会の出席者は富塚三夫、谷合勝正、細井宗一、武藤久などの国労を代表するそうそうたるメンバーであった。
 その座談会記録の中の細井宗一がしゃべった次の一節を読んで、私はがく然としたのだった。
 「いや、あのときにわれわれの要求で、不当労働行為をやった直接の職制を処分しろというと、副総裁の山田明吉さんは『します』と約束したんですよ。
 ところが、いま谷合さんがいっておった管理局長会議を二日に分けて総裁公館でやったときに、管理局長から
 『私どもの部下を処分するなどということは絶対にやめてくれ、……』
 という意見が出て、処分できなくなったんですよ。
 そういう状況のもとで、ちょうど、一〇・二一のデモがあって、中川新一委員長が『デモに行こうや』って来て、『行くか』って四階で話をしているときに、副総裁から中川さんに、すぐ来てくれと電話がかかってきて、すぐ行ったんです。
 『何か用があるみたいだから、待っておってくれよ』というので、富塚さんと私と待っておったわけです。
 そうしたら、中川さんが帰ってきて、『処分は勘弁してくれっていうんだよ』っていうから、『だめだよ、そんなことを請け合ってきたのか』『いやア、もう山田明吉はどうしても頼むっていうんだよ。そのかわり真鍋をやめさせたあとの職員局長については、きみらの推薦する者にするから、処分は勘弁してくれというんだよ』
というんですよ。
 それで、さア、職員局長を推薦するったって、だれがいいのかってわけで、今度は学士名簿を出していろいろと当たったんですよ。(笑声)
 初め、加賀谷徳治氏(昭和44年には大阪鉄道管理局長)と思ったわけよ。そうしたらすぐ情報が入って、ある人からオレのところに電話がかかってきて
 『加賀谷さんがいまここで職員局長になったら殺されてしまうから、加賀谷さんだけは何とか勘弁してくれ』
 という。そんならいっそのこと、何にも知らんのがいい、マル生をまとめる段階なんだからというので、原田種達氏を推薦した。
 そうして中川さんが行って『原田種達』といったら、山田副総裁が念を押して『それでいいのか』というから『それでいい』と。
 それで、原田種達氏が何にも知らないで家へ帰って玄関の戸をあけたら、奥さんが
 『本社から電話があって、副総裁がすぐ来いってお呼びです』
 っていわれて、いまごろと思いながら行ったら、職員局長になったということです。(笑声)」

 職員局長を組合に推薦させるという驚くべきことが陰で、こっそりと行われていたのだ。

国鉄を売った官僚たち
以上少し長文になってしまったのですが、経緯を知っていただくためにすこし、長くなってしまいましたが。

ここから、さらに、本格的に敗戦処理ならぬ、生産性運動の後処理が始まるのですが、これらは、組合主導と言いますか、組合の言いなりになってしまうところがありました。
国鉄当局としては、職員局長を決めるのに、国労の言いなりになってしまったわけですから、それ以外の部分でも大胆に妥協というか、言いなりと言ってよい状態となりました。

その後の、組合の要求も殆どがそのまま通ってしまう、そんな状況となり。
困ってしまったのは、むしろ組合の方でした。
何でもかんでも、当局が認めてしまうことから、示しが付かなくなり。
国労などは、当局が当方の要求を受け入れているのは、当局側の罠であり、あくまでも資本階級である、当局は粉砕されなくてはならない、特に現場の職制は、資本家の手先であるとして、プロレタリアートの我々は団結して、資本家階級を打破しなくてはいけないと教宣しながら、自らは本社幹部と甘い汁を分け合っていたのですから、呆れたものです。

スト権ストの話まで持って行きたかったのですが、長くなりそうなので、その辺の話は次回改めて書かせていただこうと思います。
ただ、少しだけさわりを書かせていただくと、国鉄のスト権付与に関しては、当時の内閣総理大臣三木武雄が、「条件付きで現業公務員などにスト権を付与してもよい」という発言した頃からであり、この頃の職員局などの様子を見ていますと、なんとも弱腰と言いますか、労使関係は悪くない、むしろよくなっているの一点張りなところが目立ちます。
その辺は、当時の公企業レポートなどを参照しながら、解説を加えさせていただければと考えております。

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国鉄があった時代 JNR-era
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