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組織改変論議と国鉄 第2話 臨時公共企業体合理化審議会の発足

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昭和29年から32年にかけて増... 昭和29年から32年にかけて増備された最後の旧性能機関車EH10
  公共企業体発足から5年後の昭和29年、政府は「臨時公共企業体合理化審議会」を発足させました。
 「公共企業体は、公企業の合理化と民主化のための新しい企業形態であるが、その公共的かつ能率的経営を確保するため、なお改善を加える必要があると認められる、これに対する改革要綱を示されたい」と諮問しました。
 これは、占領に伴いスタートした公共企業体を、日本人の目で見直そうということが目的でした。(この内容等につきましては、改めて別の機会にbloigで書かせていただきます。)
 この答申は、昭和29年11月に行われ、「本来の企業性を十二分に発揮するため、また同時に公益事業の本質も顧みて、改善すべきものは改善した上公共企業体としての形態を存続すること」に決定しました。
 具体的には、合理化をすすめなさい、経営委員会がもっとしっかりしなさい、政府が資金の手当てをしてあげなさい。ということで、どちらかといえば、国営に戻すべきか公共企業体のままが良いのかということがおもな争点となっていました。
 この時点では、民営化ということは全く考えられなかったというか、むしろ国営に戻したいというのが本音ではなかったのかと思います。
その背景には、GHQ=アメリカに押し付けられたものと言う思想があったのではないかと思います。
しかし、戦後の国鉄は、GHQ(実際にはCTS)による占領軍の軍事輸送を行いながら、戦時中の酷使による老朽施設の更改を強いられていた他、日々増大する輸送量に対しての改善は限られた予算の中で行っていまたわけであり、改善計画が充分に行かなかったわけですから、きちんと政府で対応することも可能ではなかったかと思いますが、逆にこういった問題も大きくクローズアップされていたかもしれません。それは、不採算路線の敷設についてでした。
 鉄道路線は、明治時代の法律(鉄道敷設法に基づき敷設が行なわれることとされており、日本国が独立を取り誰もいませんでした。
  そんななか、政府は「臨時公共企業体合理化審議会」の答申を受けて昭和30年、運輸大臣(現在の国土交通省)の諮問機関として、『日本国有鉄道経営調査会』を設け、経営形態と財政再建について改めて諮問したのです。
  委員としては、阪急グループ総帥 小林一三氏や同じく東急グループ総帥 五島慶太氏の名前も上がっており、小林氏は「民営なら開発事業が出来るし、資金調達も自由に行え、創意と責任を持って積極的な経営が出来る。」と発言、五島氏も「国鉄を北海道・東京・東海道・北陸・大阪・四国・九州の7経営体に分割し、独立採算制を採用、その上に監督権管理機関を置いて経営すべきだ」との今のJRに通じるような案を今から50年以上前に提言していました。
  昭和31年2月、調査会は、経営形態について答申を行いましたが、その内容としては、国鉄は引続き公共企業体で行くとのことでした。
そこには、公社として発足したばかりであり、その評価は未知数であることが決め手となりました。
さらに、国鉄の名称を「日本国有鉄道」→「日本国有鉄道公社」とすべき案も出されたそうです。

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