伊勢湾台風から今回の18号に思う
10月
8日
平成21年10月8日(木)午前4時7分、台風18号の激しい雨音で目覚めた。しばらく床の中でその風雨の激しい雨音を聞きながら目を閉じていた。
台風や低気圧特有の強弱が激しい雨音である。
その雨音に眠気をそがれて、今このパソコンに、私の過去における台風体験の思いをはせながらキーボードをたたいている。
台風18号の予報に関連して、室戸台風、枕崎台風 伊勢湾台風 とあわせて昭和の三大台風と匹敵する規模をもったこの18号だと報道されている。
私が過去伊勢湾台風を体験したのは、今日西暦2009年10月8日(平成21年10月8日)から遡って西暦1959年(昭和34年9月26日)までの年月は21年前にもなる。
私が21歳の時である。
当時の私の居住は三重県鈴鹿市であった。当時アルバイトで運送会社のトラック助手をして東京に来ていて伊勢湾と遭遇した。
無論当時はテレビもなく、トラックにはラジオの装備もなく、エアコンの装備もなく、冬は「いっとう缶(液体等を入れるブリキの四角い缶18リットル入る)」を横に輪切りにして、炭で暖をとっていた時代である。冬のニュースで、トラック運転席の換気が出来ず、一酸化中毒で死亡すると言った記事も珍しくはない時代である。
そのような時代であるから、交通規制もなく、台風情報もなく、国道1号線で静岡県駿河湾の海岸に差し掛かり、運転席の窓ガラスは大波をかぶり石で割れ、必死で名古屋までたどり着き、名古屋ではとうとう物理的に通行に不能に陥り、トラックを放棄して、徒歩で二日間を要し帰路についた。
当時の記録によれば、死者4,697人・行方不明者401人・負傷者38,921人とある。
台風一過後晴天である。
その晴天のなか、台風犠牲者の死体収容作業を何度となく目にした光景は忘れがたい。
それから51年間、意識的に心臓の鼓動を止めることもなく、私は生きていたことになる。私の人生設計に於ける未来への可能性はあったはずである。
しかし、当時の私は、己の人生設計と言う意識すらなかった。
意識があればまた違った人生もあるはずである。このブログにも巡り合わなかったであろう。
政治家になって自分のブログは秘書に書かせ、それを承認するだけと言う立場におかれていたかも知れない。
あるいは人生設計をして、その計画を実行していれば、素晴らしい現実が待っていたかも知れない。また計画実行の過程で、挫折の苦悩に直面し、自ら心臓の鼓動を止めていたかも知れない。
当時は、高校進学は10人に一人、大学進学は30人に一人と言う時代であった。人生の目的の大半は、喰っていくことが最大の目的であった。
伊勢湾台風を体験してから51年、私の生きてきた道のりは何だったのだろうか?
と思う。これで良かったのか? 悪かったのか? 今更過去に思いを巡らせ振り返ってえて見ても何の価値観があるのだろうか?・・・
台風18号の雨音は、今も激しく屋根たたく。
西暦2009年10月8日 平成21年10月8日(木)、岩魚太郎の日記である。
------------------------------------
伊勢湾台風(いせわんたいふう。昭和34年台風第15号、国際名:ヴェラ〔Vera〕)とは、1959年(昭和34年)9月26日に潮岬に上陸し、紀伊半島-東海地方に大きな被害を及ぼした台風である。
枕崎台風、室戸台風と並んで昭和の三大台風のひとつに数えられる。これらのうち、室戸台風は戦前に発生した台風である。
死者4,697人・行方不明者401人・負傷者38,921人(「消防白書」平成20年度版[1]より)[2]にのぼり、明治以来最大の被害を出した。3,000人以上の犠牲者を出した台風として、室戸台風、枕崎台風とあわせて昭和の三大台風と呼ばれる。この犠牲者の数は、1995年1月17日に兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生するまで、第二次世界大戦後の自然災害で最多のものであった。
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載