興奮!
12月
4日
スポーツの世界では「日の丸を背中にしょって」と言う意識が、選手にも見ている我々にも素直に意識出来る。
野球の北京の切符、バレーの北京への切符、個人競技では日本の選考あるいは世界水準の一定のレベルで選考されるらしいが、団体競技では地域別の予選が行われる。
野球もアジア予選で北京の切符を手に入れたわけだが、何故か団体競技については「日の丸」を意識している。
ふと考えてみた。
今回の野球も含め、スポーツの世界以外で、我々が日常生活のなかで、「日の丸」(国家)意識した事柄があるだろうか?
今各回で審議されている「防衛省又はテロ特法」も、日常生活のなかでの「国家」と言う意識はない。
あっても国会での審議には一般庶民には、野球の「星野JAPAN」での熱い思いすらない。
これでいいのだろうか?
岩魚と山女魚が釣れるHome Page
自分史に関心がおありの方
i Love東北 東北観光 各市町村の公式観光案内
棟方志功Internet美術館
ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ