悪に対する善の原則 人殺し
8月
11日
これは私の造語である。殺人はいかなる理由があるにせよ「悪」である。最近では「秋葉原無差別殺人事件」言語道断の事件である。テロ行為による殺人、その報復行為にあける殺人、個人で人を殺せば殺人者として厳罰、国の戦争で多数の敵を殺せば英雄、この矛盾を主題にした古きアメリカ映画で「チャップリンの殺人狂時代」と言う映画があった。
人類は何故人を殺すのか?
個人の殺人行為も理由がある。秋葉原の事件もそうである。戦争を起こすのも理由がある。大義名分である。広島、長崎に原爆を落とした理由も、このまま戦争を続ければアメリカ軍に大量の犠牲者が出ると言う大義名分である。そのため日本国民は20万人が死んだ。
日本の太平洋戦争の大義名分は、軍事の不平等条約と原油の封鎖、亜細亜にあけるヨーロッパ諸国からの植民地の解放と言う、亜細亜共栄圏と言った大義名分であった。
自分達大国の核兵器保持の大義名分は・・・今更文字に書くのも忌々しい。
仮に日本が核兵器保有の宣言をすると、今の核兵器保有国は大反対をするであろう。個人の殺人も国家の戦争も、その理由である大義名分は基本的にはおなじである。
殺人が「悪」と定義するならば、「悪に対する善の原則」として、何故「善」悪を懲らしめる正義の味方「月光仮面」が現れないのだろうか?何故「仮面ライダー」は悪を退治してくれないのであろう?
今年も8月15日が訪れる。広島、長崎続く記念日である。
平和の祭典オリンピックが北京で開催しているさなか、グルジア軍が南オセチアに軍事侵攻したと言うNEWS、ロシア軍がグルジアの首都トビリシ郊外の空軍飛行場を空爆。
鉄砲の弾が身体に当たれば、血が流れ、痛くて出血して死亡、家族が悲しむと言う事実を、人類は大昔から経験しているはずですが、いまだに知らないのでしょうか?
ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ