気前のいい神
7月
24日
2020年7月 19日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ
マタイ20:1-16
天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。2 彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。3 それから、九時ごろに出かけてみると、別の人たちが市場に立っており、何もしないでいた。4 そこで、彼はその人たちに言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当のものを上げるから。』5 彼らは出て行った。それからまた、十二時ごろと三時ごろに出かけて行って、同じようにした。6 また、五時ごろ出かけてみると、別の人たちが立っていたので、彼らに言った。『なぜ、一日中仕事もしないでここにいるのですか。』7 彼らは言った。『だれも雇ってくれないからです。』彼は言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。』8 こうして、夕方になったので、ぶどう園の主人は、監督に言った。『労務者たちを呼んで、最後に来た者たちから順に、最初に来た者たちにまで、賃金を払ってやりなさい。』9 そこで、五時ごとに雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつもらった。10 最初の者たちがもらいに来て、もっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らもやはりひとり一デナリずつであった。11 そこで、彼らはそれを受け取ると、主人に文句をつけて、12 言った。『この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。』13 しかし、彼はそのひとりに答えて言った。『友よ。私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。14 自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。15 自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありますか。それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく思われるのですか。』16 このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです。」
〇天の御国は。。。
聖書の中に天の御国とは、こんなところですよ、というたとえ話が多く出てきますね。今日の箇所もその一つです。自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものが天の御国だそうです。
〇ぶどう園…聖書にはよくブドウ園が出てきますね。ブドウはぶどう酒を作るためであり、聖書の世界では、ぶどう酒は喜びを意味します。またブドウ園はイスラエルの民、神の民を意味します。
〇労働者を探しに行く必要…天の御国では収穫が多くて多くて、何時間おきにでも人手をさがして町に出なければいけないほどであったことが読み取れます。
神の国は、いくらでも人を雇えるのです。神の国にあっては、職に就くことに困ることはないのです。職の無い人がどんどん見つけられて雇われていった。
私たちも、神に見つけられて、御国に属するものになり、神のために、神の目的のために、自分の人生の目的を失うということはあり得ない。私もかつては、自分の人生の目的が分からないものでしたが、今は、キリストにあってしっかりした目的をもって生きています。地上の職にはある時やない時があるが、神の国にはいつも職があります。
聖書学校に行くことを待っていた時、道が開かれない時、または、ミニストリーをしていて十分に収入がなく、税金を払うのに苦労したとき、神様は、「働かざるもの食うべからず」(2テサロニケ)神のために働いているものは、地上でお金が稼げなくても必ず食べていける、という励ましを貰いました。そして、その通り、奇跡をたくさん経験しました。お金が問題とはなりませんでした。
〇報酬…1デナリ
報酬はみな一律1デナリでした。私たちが神との契約をする時に、私たちは、永遠のいのちが約束されます。誰でも、どんな人でも、イエスを主と信じるなら、永遠の命、天の御国に入れるという約束がされます。
〇同意…契約をして労働に入る。
それには、あなたの意思が必要です。人に強いられて、契約をさせられるものではなく、あなたが自分の心で決めるという必要があります。
〇労働…そこでは労働があった
喜びを作る園である、ぶどう園では、労働がありました。
神を信じる者は、自分の分を果たしながら、自分にまかせられた仕事をするのです。
〇人の物の見方
ここでもまた、人の見方と神の見方が異なっていることが出てきます。
少しだけ働いた人と、多く働いた人でも同じ1デナリであることに腹を立てた人がいました。
聖書では、「主人が気前がいいので、妬ましく思うのか」と問われています。
★妬みと喜びについて考えてみたいと思います。
〇なぜ私たちは、人と比べるのでしょうか。
人と比べるから、妬みが出てきます。自分が持ってないものを持っている人を妬ましく思う。自分が、人より劣っていると思うから、妬ましく思う。Focusing on differences.
〇神の愛とは…神の愛は大きすぎる。神は私を愛しすぎて、一人子イエス様を私たちの身代わりに罪の刑罰を受けるようにしたほどです。これほど大きな愛はどこにもありません。そこまでする神の愛を、少しくらい私たちが働いたからと言って増やしたり、働かなかったらと言って減らしたりすることが出来ません。
そんなことで変えられるほどの小さな愛ではないのです。あなたは、神にそれほどまでに愛されていることを知っていますか。それを確信していますか。または、そんな愛があるなら信じてみたいと思いませんか。
〇妬む … 人はなぜ、人と比べるのか、それは、人より劣ってるという恐れと恥が、神の愛にまさっている時に人と比べます。そして、妬みは、自分より優れている、有利であると思うその人と敵対するから妬んだりする。
その人と、一つになっていないからである。。憐れみの心、他人を理解する関心に欠ける。
またまた、ダライ・ラマとデスマン・トゥトゥの本から。。
“Often envy comes because we are too focused on material possessions and not on our true inner values. When we focus on experience or knowledge, there is much less envy. But most important is to develop a sense of concern for others' well-being.
物質的な所有件にとらわれると、真の内面の価値を失う。体験することや、知ることに集中するなら、妬むことはなくなる。他人の最善を願う気持ちを養うことが重要である。
〇喜びは受け取る額からは来ない。人より多く持つことではない。
喜びは、物質的な満たしからは来ない。内面から来る。内面の価値観から来る。そして、それが幸福感をもたらす。
〇利己主義
A self-centered attitude is the source of the problem. 人への思いやりを失い利己的になるなら妬みを持つようになる。
〇地上での学び
’This being on earth is a time for us to learn to be good, to learn to be more loving, to learn to be more compassionate. And you learn, not theoretically….You learn when something happens that tests you.”
私達は地上で愛すること、善を行うこと、憐れみの心を持つことを学ぶのです。概念ではなく、日常の出来事の中で学んで行くのです。
憐れみ、思いやりが私たちの考えを変える
Ultimately our greatest joy is when we seek to do good for others.
〇感謝の思い
喜びは、神の気前の良さを受け取る、また神に奉仕を捧げる時に来る。
優しい神とのやり取りからくる。1デナリを貰った人たちは、感謝の心のある人たち、喜びの物の見方がある人たちにとって、嬉しいことでした。報酬でした。雇ってもらってよかったな。でした。
〇喜びの態度
喜びは、人生の物の見方によって生まれます。特に、私たちは、神がいかに気前が良いかということを忘れてしまっては、見失います。
あなたが神にどれだけ愛されているかということを忘れてしまっては見失います。
また、ぶどう園が喜び製作所だと分からなければ、その目的に心寄り添えなければ、見失います。
〇今しかできないことがある。
天国に行ってしまえば、もう働くことがなくなります。労苦することがなくなります。
報酬が多い少ない、持ってるものが多い少ない、知名度が高い低い、If you feel you supposed to receive more, then, you have lost track. 自分がもっと受け取らなければならない。。。。と感じるなら。。。焦点がずれているかも。
神の国は、地上での報酬ではない。。。。
天の御国は、報酬をもらうまで、労苦である。
しかし、労苦の中に喜びがある。
労苦が無ければ、憐れみの心が生まれない。労苦が無ければ思いやりがない。労苦が無ければ神の愛のありがたさが分からない。神の痛みが分からない。喜びが分からない。のです。
〇今週天国体験のビデオをたくさん見ました
私達の愛する人たちが旅立っていった天国はどんなだろうと。
臨死体験をした人は、地上に帰りたくなかったと言います。痛みも苦しみもない。ネガティブな思いもない。
地上でしか、神の労苦とともにできないのです。みなさん。もう天国に行ったらこの労苦はないのです。
神の愛で召された私たちは、愛するために労苦します。愛を伝えるために労苦します。うまく行かなくて、もがきます。愛のために苦しみます。
天国に行ったら、もう愛と一緒にいるので、そんな労苦はありません。
なんという特権でしょうか。
今、愛するために苦労してもがいているなら、あなたはぶどう園に主人と一緒に働いているんですよ。
ハレルヤ。感謝です。
愛のために、大いに苦しみましょう。働き手がもっともっと必要なんです。愛のために働く人たちが。。。
主の祈り
天にまします我らの父よ。
願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。
御国(みくに)を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を
今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試(こころ)みにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなく汝(なんじ)のものなればなり。アーメン。
The Load's Prayer
Our Father in heaven,
hallowed be your Name;
your kingdom come;
your Will be done on earth as in hearven.
Give us today our daily bread.
Forgive us our sins as we forgive those who sin against us.
Lead us not into temptation;
but deliver us from evil.
For the kingdom, the power, and the glory are yours
now and forever.
Amen