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愛する To Love

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2014年8月10日日曜日礼拝 音声は、youtube http://youtu.be/m49cHlxrHpU

マルコ12:28-34

28 律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」29 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』31 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにはありません。」32 そこで、この律法学者は、イエスに言った。「先生。そのとおりです。『主は唯一であって、そのほかに、主はない』と言われたのは、まさにそのとおりです。33 また、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして、主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する』ことは、どんな全焼のいけにえや供え物よりも、ずっとすぐれています。」34 イエスは、彼が賢い返事をしたのを見て、言われた。「あなたは神の国から遠くない。」それから後は、だれもイエスにあえて尋ねる者がなかった。

宗教というのは、自分を高めるため、自分に利益が来るため、または、自分が高まって神の一人になるためにするものである。しかし、キリスト教では、少し、違う。先週も受け入れるとか、捨てなければならないことを話しましたが、これは、世の宗教のコンセプトと違うものです。キリスト教の特徴は、今日読んだ御言葉に現れているのではないでしょうか。

聖書を要約するならば、この言葉に尽きます。「神を愛し、人を愛す。」これが聖書の教えです。私たちは、時々、忘れてしまいそうになるのではないでしょうか。

★キリスト者の特徴は、愛すること

Ⅰヨハネ4:8-13 12 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。No one has seen God at any time. If we love one another, God abides in us, and His love has been perfected in us.

★愛するとは

Ⅰコリント13:4-7 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、6 不正を喜ばずに真理を喜びます。7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

★愛とは与えるものである

愛と言う言葉は、ギリシャ語で、アガペー これは、一方通行の愛です。神から私たちへの愛です。例えば友愛はフィレオー、これは友情ですから、行ったり来たり二方向です。もう一つ、エロスこれは、男女間の愛、肉体の愛。これも二方向です。
アガペーと表現されている、この愛は、私たちから誰かに与える愛なのです。私たちは、特に若いときには、愛は、受けるものだと考え、愛を探して生きるようなことがあります。友達の中に探そうとしたり、恋人の中に探そうとしたり。。。けれども、人は、愛することができたとき、すなわち与え続ける愛が人を祝福するときが一番幸せなのです。お母さんは、自分を犠牲にしていても、幸せを感じるのです。夫は、毎日職場で苦労しても愛する家族を養うときに幸せを感じるのです。

★自分を愛するように隣人を愛する‘You shall love your neighbor as yourself.’

この世の中は、人から愛を奪おうとする世の中ですから、人を愛することに混乱があるのはもちろんですが、聖書には、「自分を愛するように」愛せ、と書いてあります。さて、どのくらいの人が自分のことをよく理解し、受け入れ、愛しているでしょうか。自分を認めているでしょうか。自己充足しているでしょうか。まず、自分が神様のうちに憩い、自分が何者であるかを知り、自分がどんなに神様に素晴らしく造られているかが分からないのならば、他人をどう愛したらいいのか、分かりません。ですから、今度の七つの賜物セミナーは、大変意義のある物ですから、皆さんにお勧めしているわけです。現代は、自分を知らない、自分を愛せない病で満ちています。

しかし、ここに朗報があります。

★この愛は、私たちの救い主イエス・キリストに完全に現れている

ローマ5: 8

しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
私たちが愛を語るには、キリストなしには、語ることができません。この御言葉にあるように、私たちが何か良いことをしたから、何か基準を満たしたからではなく、むしろ、私たちがまだ罪人で、罪について、神について何も分からないときに、私たちの罪の身代わりとなって死んでくださったのです。これほど大きな愛はありません。

★神の愛への私たちの応答…心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして    with all your heart, with all your soul, with all your mind, and with all your strength.

愛することは、自然には難しい。母が子を愛することのみは自然なことです。夫婦、兄弟、親子でも難しい。キリストの愛の土台に無いならば、愛することは分からない。また、愛することは難しい。

けれども、聖書は、心、思い、知性、力を尽くして神を愛せと言っています。それは、不可能に近いですね。よく、そう書いてあるから、毎日毎秒、神を思い捧げという人もいますが、よっぽど隔離された世界で生きなければ難しいですよね。
これは、キリストと一つにならなければ不可能です。キリストと一つであるならば、全てをキリストと共有しながら生きれます。これがヨハネ15章に書いてある、キリストに留まるということです。キリストの愛に満たされることが第一。
キリストの愛に満たされたならば、その溢れる愛は、自分を出て行って、誰かを愛したくなる。この愛を誰かに渡したくなるものです。
しかし、一つになるためには、罪を悔い改め、キリストととともに歩まなければなりません。

★「あなたは神の国から遠くない。」“You are not far from the kingdom of God.”

質問をした律法学者は、イエス様にこういわれました。全てのことを完璧に理解している、神様のこと理解できている。けれども、まだ神の御国には入っていない。でも、遠くない。もうそこまで来ていると。
この律法学者に必要だったのは、悔い改めでした。悔い改めて、イエスの愛のうちに留まることでした。




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