「茗荷谷駅」の由来を調べたら、やはり・・・・ (パート2)
「とうきょうの恵みTOKYO GROWN」から引用
江戸時代から大正時代にかけて早稲田周辺で広く栽培され、大きく赤味を帯びた美しさと香りのよさで徳川将軍家の食膳を彩りました。
文京区にある茗荷谷という地名は、このあたりにもミョウガ畑が広がっていたことに由来するとされます。
明治時代以降、早稲田周辺は宅地造成が進んだことでミョウガ畑はなくなってしまいましたが、近年になって地下茎が見つかり、平成23年(2011)に復活を果たしました。
一般的に食用とされるツボミ部分は秋が旬ですが、茎の部分を遮光して軟化伸長させたミョウガタケは、春から初夏の味覚として親しまれています。
江戸時代から大正時代にかけて早稲田周辺で広く栽培され、大きく赤味を帯びた美しさと香りのよさで徳川将軍家の食膳を彩りました。
文京区にある茗荷谷という地名は、このあたりにもミョウガ畑が広がっていたことに由来するとされます。
明治時代以降、早稲田周辺は宅地造成が進んだことでミョウガ畑はなくなってしまいましたが、近年になって地下茎が見つかり、平成23年(2011)に復活を果たしました。
一般的に食用とされるツボミ部分は秋が旬ですが、茎の部分を遮光して軟化伸長させたミョウガタケは、春から初夏の味覚として親しまれています。
「茗荷谷」の由来を調べてみた。江戸東京伝統野菜協会と「とうきょうの恵みTOKYO GROWN」より
■江戸東京伝統野菜協会サイトより一部引用
昨年、早稲田ミョウガの捜索を行ったが、茗荷谷は神田川をはさんで南斜面、北斜面が早稲田の鶴巻町に当たるという位置関係だ。
江戸のブランドミョウガは、早稲田ミョウガであって、茗荷谷のミョウガは、ブランドとしての記録は残っていない。
文京区が設置した茗荷坂の説明板には、”ご府内備考に「・・・むかし、この所へ多く茗荷を作りしゆえの名なり云々。」とある。
また、旧町名案内に「旧茗荷谷町」につて、「小石川台地と小日向台地の間の浅い谷を茗荷谷と呼んでいる。
江戸時代、茗荷畑が多かったと記されたいる。
「みょうがご飯」を検索してみてください。1週間に3回食べるおいしさとか・・・
上記は、また作ったことがありません。
「後片付けが大変だから」となかなか「奥ちゃん」が包丁を持たせてくれません。
ミョウガのてんぷらが大好物です。
ええっ。知らなかった!!!! ミョウガを植えてはいけない理由とは?
■あわてて検索してみました。
ミョウガはショウガ科の多年草(何年も生きる植物)なので、一度植えると、毎年収穫できるのです。冬は地上部は枯れますが、地下茎で生きていて、春になるとまた芽が出てきます。そういう意味ではコストパフォーマンスも抜群の野菜です。
■ま、いいか。そうめんにシソやミョウガはおいしいものです。