北野丘さんが、私のところに出入りしはじめたのは、よくその時期がわからない。誰のさそいで訪れてきたのか、記憶はぼんやりとしている。私の年令とは、親子ほどちがっていて、私の末の娘と、同じくらいの年令であろう。日本一、自殺者数の多い秋田県生まれであるから、その一点だけは注視して、人柄、人格、性質を探っていた。だいたい私のところに出入りするぐらいだから、平凡な家庭の出自ではない。極めて異常であるだろう。のっけから、小才の利いた詩作品を持ちこんできて、私の目に止まりはじめた。実驗的であるから、野心がみなぎっている。暗い一筋の怨気があって、幼い時期から苦労しているわりには、世間知らずであった。世間知らずであるから、生き抜いてこられた要素を持っておる。そこが、文学を勉強していく出発点であるだろう。現在はどのように成長し、成熟したか、私の方が老い呆けてきたから、よくわからない。よくわからないが、ときどきノートを前にして、その書き込みから、難しいことを言うので、精勵の実績を踏みこんでいるにちがいない。そのように思っている。そう言えば、北野丘さんは、ひととき教育関係の図書館に勤めていたことがある。その場所で、体当りをしていたのだ。
一九七〇年ごろ、R・カイヨワの「遊びと人間」(清水幾太郎・霧生和夫共訳)の一部に、私は注目したことがある。「遊びを支配する基本的態度─競争、運、模擬、眩暈─は、単独で姿を現すとは限らない」と述べている。よって六通りの組合わせが考えられる。
競争=運(アゴーン=アレア)
競争=模擬(アゴーン=ミミクリー)
競争=眩暈(アゴーン=イリンクス)
運=模擬(アレア=ミミクリー)
運=眩暈(アレア=イリンクス)
模擬=眩暈(ミミクリー=イリンクス)
北野丘さんに、競争(アゴーン)は在るか。競争心は少うしばかり在るかもしれないが、競争をしたならば敗れる可能性の方が多く、競争は困難になり負擔になるだろう。
運(アレア)は在るか。開放されている意識を持ちつつあるから、小運はあるだろう。大運はめぐってはこない。
模擬(ミミクリー)はどうだろうか。充分にそなえている。生活自体が模擬そのものであるから、詩作で遊ぶことができる。言葉遊び。言葉遊ばれ。
眩暈(イリンクス)はどうであろうか。これは体質的にプラスの方向に向いている。眩暈(イリンクス)とは、目がくらんで、頭がふらふらする感じ、目まいを指す。酒は飲む、すぐに酔う。喋りまくる。
よって、北野丘さんは、模擬(ミミクリー)=眩暈(イリンクス)の組合せが最高のものとなっている。
北野丘さんは、私のところに月一回、出入りしていて、黙々として、珈琲をたててくれている。私は、その珈琲のたて方の手もとを凝っと眺めていて、いつも眩暈(イリンクス)に、彼女がおそわれるのではないかと、あやぶむ。しかし、着実に、彼女はこなしていく。何のさしさわりもない。さし出された一杯の珈琲は、おいしい。
北野丘さんが詩作品をまとめて、一冊の詩集を出したいと、ある日ある時、申し出てきた。いいでしょうと、私は即座にこたえた。
北野丘さんの詩の方向は遊びがあって、おもしろい形象化に向いている方がいいのではないかと思ったりする。真面目(まじめ)はだめだ。真面目(まじめ)は挫折する可能性が強い。真面目競争には敗れる。詩の内容が深くなれば深くなるほどに、形象は、軽く、さわやかに、おもしろくする技法に長(た)けなければならない。北野丘さんのこれからの人生もそうでなければならない。ねばりと、したたかさを身につけて、それがおもしろいという自己実現を生み出さなければならない。そのような生き方をして欲しいとねがう。
模擬(ミミクリー)と眩暈(イリンクス)の運命をになっているのであるから、仮面と仮想を徹底化して、その内部から、手に汗をにぎるようなリアリティをつかみ出して、一篇の詩を打ち出して欲しいように思うが、どうであろうか。詩と同時に、エッセイをも書いてもらいたい。真面目なものはどうしても駄目、それらのものは、学究者に任せておきなさい。金銭と時間をもてあましている人間にゆだねた方がよろしい。
とにかく、おめでとう。一冊の詩集を出したならば、すぐに、そんなものは忘れて、第二詩集、次の段階のシナリオにとりかかる必要がある。人生は連続性です。表社会で不可能ならば、裏社会で、根を張って、見聞を広め、世情の行き先をみつめること。これが私の心の花束である。
2008年に出版した処女詩集である。詩集の自費出版はまともに有名出版社から出すと100万円以上もする。若いころから仕事が定着せず、職を転々としてきた私には蓄えというものがほんの少ししかなかった。現在は終刊してしまったが『現代詩図鑑』というアンソロジーをだしていたダニエル社からソフトカバーで有名出版社の半額の予算で出版した。この詩集の詩篇は30代半ばごろに、精神的に病んでいて、外との関係をまったくもてなかった孤独な時代に書いたものが前半にあり、のちに長谷川龍生詩塾に通っていた頃が後半をしめる。それから、大学時代の同人誌『渋谷文学』に載せた「ゆずへ」「冷たいスリッパ」「フーコーの振り子が青ざめてとまった」の3篇を気に入っていたので載せた。
それでたいていは20篇ぐらいでテーマにそって編まれるのだが、次に詩集が出版できるか怪しいので、28篇詰め込みテーマもなく詩集としてはまとまりを欠いている。しかし、他の詩集にはない独自性があるとの批評をいただいている。
大学を出てから詩は書いていなかった。それが30代半ばごろにイメージや奇妙な夢に襲われて、それがいったい何なのかわからず苦しんでいた。そんなある日書店で婦人公論に井坂洋子の名前を見つけた。大学時代に井坂洋子の詩集買ったよなと思い懐かしさに手に取ってみると現代詩投稿の選者をしていた。久しぶりに詩を読んだが、どれも詩になってないように思えた。これなら自分も書けるんじゃないかと思った。今のこの苦しいイメージの氾濫を収める方法をたった一つ知っているじゃないか。そして、15年ぶりに詩を書いてみた。それが「森の子」だった。婦人公論に投稿しようと思っていたが、次号をみると現代詩の投稿欄は終了していた。
宙に浮いた作品を持ってどうしようと思っていた私は「ユリイカ」の前に立った。それを手にするのも大学時代以来だった。選者は入沢康夫さんだった。「詩は表現ではない」という言葉に啓蒙された尊敬する詩人だった。わたしは震えた。入沢康夫さんに読んでもらえるかもしれない。それだけでいいと思った。私の書いたものは詩に値するのか、それが知りたかった。そうして「ユリイカ」に投稿した「森の子」は佳作でタイトルと名前がのった。詩に値したことが嬉しかった。
それから次に「黒筒の熊五郎」を投稿した。これが入選して掲載されたである。文字のポイントがゴシックで20ポイントぐらいに感じられた。それからユリイカへの投稿時代が一年続く。あと入選したのは「熊笹の女」だけだったが、毎号買うたびにどきどきして「ユリイカ」への投稿は仕事も家事もできず読書しかすることができなかった時代の唯一の夢だった。
やがて入沢康夫さんの選も終わってしまい、私の詩作も一段落してぽかんとしてしまった。そして現代詩手帖の告知欄にユリイカ新人賞をとった松原牧子さんが朗読会を開くというのを見つけ神楽坂へ出かけて行った。たった一人で詩を書いていた自分が100%詩人の中へと出かけて行った。そして松原さんの紹介で長谷川龍生の詩塾へと通うことになったのである。詩を介して久しぶりに味わう外の世界だった。
花むぐりが
黄色の粉に埋まってゆく
木枠の硝子が強く鳴っている
納屋でさがし物
がらくた
たからもの
蜘蛛がのそり
とびのいて
こんにちわ
窓の下にリンゴ箱
となりは石炭箱
ああ風がはやい
光さしてはすぐ翳る
ほら光
上昇気流にトンビが乗ってゆく
ピーヒョロロロロウ
決意した逃亡みたい
古いしょるいが
飛ぶ
いけない
つぎつぎに
しかられる
みんな空に吸われていく
帰っていったの
もじが鳥や雲にまたもどって
スカート 襟 髪の毛
そこぬけバケツ
みんなひっくりかえる
ひと夏の背なかを
夜の指さきがなぞり
わたしの心臓を
座標の軸に
えがいた軌跡を存在というのなら
血液を一垂らしして
瞳がひらく
時を費やし
熟れた実をたべあるいた
内部の充実を
わたしのものとして
それでは何に
捧げたらよいだろう
氷のかけらが
膝のうえに落ちて
フーコーの振子が青ざめてとまった
どこを眠っていたのだろう
きのうの混沌が
透明な袋におさまっている
失礼
小用
赤いビニールのスリッパ
素足の熱
どうしてもすごせないと思った夜を
とおりぬけてしまった
(なにしよう)
紐をひっぱるとじぶんが戻ってくる
欠伸をする 目尻がぬれる
しろっぽけた光のなかで
瞳がとまる 胸が鳴る
自律している優等生の生真面目に拍手
よどみない心 用意されて
一日分 きめられた熱量
それも レバーのような堆積に交替したら
またわたしは発光しだすのだろう
なくなりかける不安に
せめて実のあるかたちにしてしまいたいと
夜を光りだす
できれば もうすこし
うつくしい排泄をしてみたいものです
内緒よ
ゆず
よるに
うごくものいる
ゆず 眠ってる 知らないうちに
こっそり新月と密約かわすものがいる
かあさんいたい
乳首いたい
にゅうがんかもにゅうがんかもしれないよ
かあさん
ゆず
遊んでおいで
手まり ごむ段 石けり
まっくろになって
しろつめ草の影に淋しくなるまで
外はおまえのすべてだし
探検に夢中になって
雪をふみふみ福寿草みつけ
植物図鑑めくりながらおいで
ゆず もっと健康に
男の子とけんかして泣きながらおいで
そのうち
しんがつめたくなるプレゼント
あげる
こどもよ
なんにでもいそがしいままが
じぶんのままが
いつかしんじつのやさしいままとなって
どあをあけてあらわれるのを
まって
ついにこなかった こどもよ
いっしょう
むかえにはこない
りっぱになれば
きっとと
なんぜんかいかのくうそうに
つつまれとけゆく
しろいくりいむ
いっしょうを
こどもよ
どこで
ひとりがきらい
でもひとりがすき
あそびたりないこどもよ
みんながどうしてかえれるのか
ふしぎにおもうこどもよ
ひとのみちなかでひがくれる
あかりがともるどこまでもつづくいっぽんの
みちが ぼうっとうかび
てくてくあるく
そらなんて ああ とびたくもない
こうもりのはねでとんでおもう
なんで もぐりなさいといわれるのか
うみのそこで しにたくてもしねないと
ろうばにいわれる
いともたやすくくちふたがれるこども
みずにつけられるこども
いきてるにんげんがおにさんなのだと
しっててあいするこども
だんぼうるにすてられる
こどもよ
いきてるのがきせきのようだ
だがかんたんなからくり
しなないものだけいきている
まま
ままか
ままにあいたいか
(きこえた? ナギ)
(きいたぜナミ)
(すてきね)
(でばんだぜナミ
ゆるす
ゆるすだ それだ)
くちびるむすんで
ぽつんとたちつくす
まま
ままにあいたいか
けれど
こども
あのよに
ままをさがすな
ねからしみでるそのみずはのむな
うつくしければ
うつくしいほど
しびれてたおれるなるきっそすの
あおいはなだ
もえあがるひょうがのこころ
はげしいさけめを
かたまりとなり
うごきだせ
きょくほくの氷河のなかの
ひとつぶよ
雪。雪のぼんぼり。
雪。ゆっくり。とおくは速く。
雪。ねえ、みて。
みあげると、ほら、どこまでもいくよ。
粒子のなかを、どこまでもいくよ。
ふふ。
ふふふ。
雪。輪郭ふたつ。
雪。つもる朝までは。
わたしの単眼で
あなたは夢みる
あなたはわたしの夢みる
凪の小舟で荒岩を
くるりめぐる
夢の御覧
キラキラとほほ照る
銀紙
うろこ波
虚空に映えて
その向こうでレンズが調節されて
小舟からみえるあたりだけ
閉じられた密な無音ばかり
わたしの像力は
突如やさしく慎重に
あなたを襲う
あなたが新しい休息の時に至り
わたしの像力が夢みた庭
武蔵野の面影を残す疎林につづく庭のある一間で
何もなく なにもかもないことを笑って
湯を沸かし木碗に注ぎ
盆にのせ
ひなたに置いた
たちのぼり碗の縁で渦巻き水面撫でまた消えのぼる
けしておなじあらわれのない渦の
湯気と影の形式を飽かず眺めた
そのことが
どれほどわたしを惑乱させたか
御覧
水平線に一頭の騎馬兵があらわれ
渦巻く一陣の流体となって
いまあなたを貫通し
逆髪
荒岩を襲い
吸われて消える
すいとひと押し
押され
のんだ息をほっとつげば
頸動脈から音が始まる
気づくとき
あなたは髪のひと振れほど遅れる
瞬間のさきが膨大なつづきだから
その誤差が
わたしの位相
はるかな砂の沈黙の音が耳を埋めてゆく
なつかしく見しらぬ断面に
あなたは開示する
風も帆もなく
鼓動ばかりで
夕暮れまで そうして
二階の硝子窓は ひらかれたまま
青空の瞳は
HBのトンボの羽に 濃く染みて
数式の真上を ついてくる
幻術みたいに さざ波の光と影で 辿る解
浜の右辺の流木に
象嵌の羽はとまり
よみがえりの信仰を胸に
鉛筆は目を閉じ 木の柩に横たわる
いいかげんに髪を
結びも 切りもしないで
夕暮れまで そうして
石を積んだり ハスの実を置いたり
傍らに黒い牛を牽き
群青のなか あなたとみつめあう
ことり
彼は青い瞳のままナイフを置いた
瞬きも しないで
だから
石の上で わたしは
金青の光りを握って血を流した
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