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ジグソーパズル

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ジグソーパズル


人生はジグソーパズルのようだ。

20年前のあの出来事と今日の状況が関連しているなんて想像すらしていない。
私たちは、日々の出来事や個々の状況が、全体像のなかの一部になるということに気付かず過ごしている。

故スティーブ・ジョブズの「点と点は後で必ずつながる」という名言の通り、
個別に起こったように感じていた様々なピースは後につながる。

 >小学生の時に野球で肘を怪我しなかったら中学受験は考えなかった
 >中学の海外プログラムでカリフォルニアへ来てアメリカへの憧れが生まれた
 >フロリダ留学中に好きな女の子に振られたから、飛行学校へ移った
 >そこでヘリコプターの教官になりアメリカにずっと住む決心をした
 >その飛行学校がつぶれたからカリフォルニアへ来た
 >ビザが失効し不法滞在中に何度も移民局につかまりそうになったが運よくすり抜けた
 >弁護士から絶対に無理だと言われた永住権が取れた
 >知り合いを通じて不動産業界へ入るお誘いを受けた


まったく予想していなかったことの連続だった。
途方に暮れたことも何度もあった。
一見関係ないと思っていた事柄がすべて関連していることに気付かされる。

あなたの幼少のころからを振り返ってみてください。

   どこで、どんなことを考え、何をしていたか?
   そして、今、
   どこで、どんなことを考え、何をしているか?

10年前、20年前に想像していた「絵」と今の「絵」はずいぶん異なるはずです。
些細な出来事、人との出会いや別れ、大きなピンチだと思ったことが、あなたの人生を変えている。
そのひとつひとつがジグソーパズルになって今の「絵」がある。


この世を去る瞬間に最後のピースがハマりパズルが完結する。
まだまだ終わりはわからない。どんでん返しが待っているかも知れない。

あの世へ戻るときに持って行くのは、その完結したジグソーパズルだけ。

意識しようと、しなかろうと、
今日もパズルを作っている。




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「矛盾」

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「矛盾」


その昔、中国で矛(ほこ)と盾(たて)を売っていた者が「この矛はどんな硬い盾をも突き通すことができ、この盾はどんな矛でも突き通すことができない」と誇った。
「それではあなたの矛であなたの盾を突けばどうなるのですか?」と尋ねられて答えに詰まった、という話。

   ”論理の辻褄が合わないこと。物事の筋道や道理が合わないこと。”
   と辞書にある。

この世の中には理解に苦しむことが沢山ある。
誰かの都合によって正論が捻じ曲げられていることも少なくない。

私自身、不条理へ対して感情的になっても何も生み出さないことを幾度も経験した。
今では、「その矛盾の背景や真相はどこにあるのか?」へ意識を向け、その背景や真相へどう対処するか?と考えるようにしている。


  時としては、その不条理へ正面から挑むことも必要。
  時としては、真相を理解することで解決策を模索することも可能になる。
  また、時としては、それを受け流して前進せざるを得ない局面もある。


この世の中に付きものの矛盾。
それとの付き合い方次第で、人生は貧しくも豊かにもなる。

矛盾の裏に真理が隠されている。




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比較

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比較


私たちが住むこの物質社会は相対的である。

上下、左右、強弱、軽重、大小、長短、優劣などなど…
他との関係や比較の上に成り立つことが多い。

何と比較しているか、誰と比べているか?でその物や人の存在意義や価値が変化することになる。
比較から生まれる存在意義や価値は流動的。
それにコントロールされる生き方は本質を見失う。

相対的社会に住みながら、比較をしない大切さを感じている。

その物、その人だからこその素晴らしさ。
なにものとも比べようのない、その物、その人本来の良さ。

比べること、比べられること、から解放されると世界が変わる。
意識が自由になり、自分らしさを取り戻せる。

比較をやめると、
不安や心配、頭の中の雑音がさーっとなくなる。
意識が「今」へ集中してくる。




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わからないこと

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わからないこと

この世で起こっていること、
自分の人生に起こること、

どうしてそんなことが起こるのか?
理解に苦しみ、わからないことがいくつもある。

 若くして病気や事故でこの世を去る人たちがいる
 道徳や秩序や法すらも無視した行動がまかり通る現実に苛立ちを感じることがある
 善良な市民が天災や争いで命を落とす惨事が地球上でいつも起きている

全ての出来事には意味がる…
あなたが引き寄せている…

それでは納得できない!
と叫びたくなる。


私はそういう答えの出ないことへ「なぜ?」と問いかけることをやめた。
その代わり、

   ”自分に何ができるのか?”
   ”自分にとって何が大切なのか?”

と問いかけるようにしている。


人生ではわからないこと、答えの出ないことがいくつもある。
あえて、その探求をせずに、

   「だからどう生きるか?」

と自問している。




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Attitude

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Attitude


   背格好、目鼻立ち、服装や装飾品

という外見を見て、
カッコイイ、可愛い、素敵、という見た目の「Appearance」。

第一印象の外見は大切であるが、少し時間を過ごすとやがて中身が見えてくる。

   思い通りに行かないとすぐにイライラしたり、
   横柄な態度で偉ぶってみたり、
   ちょっとしたことで慌てふためいたり、

ハッタリではごまかせない中身。

経験の蓄積で人生観や信念が形成される。
それが言動や立ち振る舞い、物事への対応といった「Attitude」として表に現れる。
それは、その人の人格となる。


   「何が起きるか、が人生へ与える影響は10%、
    それらへどう対応するか、が人生の90%を決める」

という話を聞いた。


心が惹かれるのは、その人の幅であり奥行き。

私も「Attitude」を磨く生き方をしたいと思う。


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自信

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自信


ご存知の通り「自分を信じる」と書く。

努力をして良い結果が出たときに
「これで自信がついた!」
と言うのをよく聞く。

 > うまく行ったときは誰でも自信が付く
 > 失敗すると自信がなくなる


自信があると、物事に積極的、能動的に行動できる。
自信がないと、すべて消極的で受け身になる。


私は、

   まだなにも良い結果が出ていないとき、
   それどころか、物事がうまく行かないとき、

こそ、”自分を信じること”が大切なのではないかと思う。


まだ結果が出ていないと、自分を信じる明確な根拠がない。
ダメな言い訳はいくらでも考えつく。
そんなときにこそ「私は絶対に大丈夫だ!」という”根拠のない自信”を持つことの大切さを感じている。

   自分を信じるためには、謙虚になること。
   自分を信じるためには、信念を持つこと。
   自分を信じるためには、周囲に左右されないこと。

自分を信じて築く人生は基盤が揺るがない。




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”I” から ”We” へ

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”I” から ”We” へ


私は若いころツパッていた。

自分でなんでもできると勘違いしていた。
お蔭で、出鼻をくじかれる出来事をいくつも体験することになった。

最初はそれでもなかなか気付かず、もがいた。
だから出鼻をくじく出来事が継続していくつも起こった。

やっと落ち着いて振り返って思った。
ツパッていたときは、いつも”I”だった。
いろいろ気付いて少し”We”になったら物事がうまく進むようになった。

パートナー、配偶者、家族、友人、仕事の仲間、などなど。
みんなの輪を大切にすれば、自然と”We, Us, Our, Ours”となる。
”I, Me, My, Mine”のうちは歪みができてスムースに進まない。

もしあなたの毎日がスムースでなければ、
大切な人たちとの人間関係がうまく行っていなければ、
「頭の中が”We”になっているか?」と自問してみればいい。

”We”になるためには、しっかりとした自尊心を持つこと。
そうでないと”We”は成り立たない。

地球上の人たちがみんな「”I”から”We”」へ変わったとき、
差別も、犯罪も、戦争も無くなるのだろう。

みんなそれを望んでいるのに、”I”から脱せない人類。




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決断

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決断


物事がうまくいかない時、決断が遅かった。

必要な情報を得ているのに、

   「もし、そうならなかったら。。。、 もし、ああなってしまったら。。。」

リスクの全くないことはこの世にほとんど存在しないのに、
いつまでも前に進めず、方向転換もせず、その場で足踏みばかり。

結果としてせっかくのチャンスを生かせず、ダメなことからの撤退も遅いのでより損失が膨らむ。
だから、余計怖くなって益々動けなくなる。

その上、うまくいかなかったことをいつまでも後悔し、人のせいにする。

私はそれはやめようと思う。


決断を早くしたら物事が好転し始めた。

なんでも即決するということではない。
必要な情報を得てからの判断を早くする。

結果としてチャンスを得る確率も高まり、大きな損失になる前にダメなことからの撤退もできる。

それと同等に大切なのは、
その決断の結果、思った通りにならなくても後悔も文句も人のせいにもしない。
自分の判断ミスを受け入れて次の肥やしにする。
だから、次回はもっと精度の高い決断ができるようになる。

私はそういう人になろうと思う。




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隣の芝生は青い

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隣の芝生は青い


人のことはよく見えるものです。

特に近年のFacebookを始めとするソーシャルメディアが盛んなご時世では、

   「楽しいバケーション中!」
   「素敵なレストランに来ていまーす!」
   「こんな良いことがあった!あんな嬉しいことがあった!」

などなど、ハッピーな自己発信ニュースがどんどん飛び込んでくる。
周囲の人たちは、何の苦労も問題もない順風満帆な日々を過ごしているように見える。

“それに比べて自分の日々は…
バケーションも行けていないし、そんな素敵なレストランともご無沙汰…
特に良いことも嬉しい出来事もない…”

ともすると“取り残されてしまった感”に襲われる人も少なくないと想像する。


人間は「他から良く思われたい、認められたい」という本能があるので、
自分から進んで辛いことや苦しいことを公表する人はいない。

   みんな「自分の芝を実際より青く」見せたい。


私は、隣の芝の色を気にする生き方はやめて、自分の芝にコツコツ水をやり続けようと思う。

自分軸で生きることで、
芝の色を公表しなくていい、他にわかってもらう必要もない。

(なので、あまりFBの投稿もしていないんです:笑)




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“いいなぁー”と思ったとき

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“いいなぁー”と思ったとき


自分にないものを持っている人を見て、“いいなぁー”と思うことは誰にでもある。

   地位や名誉であったり、
   お金や物であったり、
   憧れの仕事や趣味であったり、
   愛に溢れる夫婦や親子関係であったり、
   自由なライフスタイルだったり、


“いいなぁー”と思ったとき、それに近づける大きなチャンスだと聞いた。
それなのに、ほとんどの人はそのチャンスを遠ざける反応をしてしまうそうだ。

   多くの人は条件反射で「自分には無理」と諦め、その人を妬む。
   諦めと嫉妬は、幸福をどんどん遠ざける。

へぇ〜、なるほどと思った。
手に入れたいのに、“要らない”という無意識の反応をしているわけだ。


それとは正反対に、羨ましいと感じたとき、
自分のことのように素直に喜ぶ。

   「あーよかった!」、「オメデトウ!」、「ありがとう!」

最初は違和感があるが、意識して口に出したほうがいい。
感情が入れば入るほど、そのエネルギーへ同調して近づこうという力が強くなるそうだ。


“いいなぁー”に遭遇したら、
素直に受け止めて、一緒に喜びましょう。

それが無意識の条件反射に書き換えられたとき、
あなたが周りから“いいなぁー”と言われるようになる。




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