“物事に偶然は無い、すべては必然である”
良く聞く言葉。
出来事Aと出来事Bに因果関係や関連性があるのか?
偶然であるという説:
物事はランダムに起こるのであり、関連性はない。
出来事Aと出来事Bは、それぞれ独立した出来事である。
だから、良いことがあればラッキー、好ましくないことが起これば運が悪い。
例:朝出勤しようとしたら車のタイヤがパンクしていた。
反応:「あーっ、ツイてない。。。」、仕方なくパンクを修理して出社。
結果として、偶然の出来事となる。
必然であるという説:
物事はすべて関連性がある。
出来事Aと出来事Bは、意味があってどこかでつながっている。
だから、良いことがあっても、好ましくないことが起こっても、なぜ?どうして?
と関連性について考える。これは人それぞれ異なる解釈であり、決まった答は無い。
例:朝出勤しようとしたら車のタイヤがパンクしていた。
反応:「これは、どういう意味があるのだろう?」と考える。
結果として、必然の出来事となる。
この観点から見ると、
「偶然か、必然か?」ではなく、
「偶然にするのも、必然にするのも、自分次第」となる。
これは、哲学的な考え方で論理性は無い。
あなたにとって、
物事は偶然ですか?
それとも必然ですか?
先日、少年野球リトルリーグの世界選手権がアメリカで行われ、決勝で日本がアメリカへ大逆転で優勝を飾ったというニュースを読んだ。
一回表に日本チームが2得点での良いスタート。
しかし、その裏になんとアメリカチームに打ち込まれ10失点。
試合会場が相手チームの地元という精神的にも孤独な状態で、
誰でもその大差に“勝負有り”と、日本チームは戦意喪失する状況であったはず。
日本の監督が意気消沈した子供たちを前に
「まだ終わっていない。全力を出して来い!」
と激励したそうだ。
結果として、18対11でリトルリーグ世界選手権始まって以来の記録的な大逆転優勝を果たしたわけである。
私はこの記事を読んだとき、
日本の監督と選手たちの“気の持ちよう”に大きく感銘した。
絶体絶命の時に、それをどう受け止め、どう行動するか?
起こった出来事や状況はコントロールできなくとも、
その受け止め方は自分次第である。
出来事ではなく、“受け止め方”が次の行動へ影響を与える。
人生では、さまざまなピンチが起こる。
そして、すべてのピンチには逆転勝利の可能性が隠されている。
好ましくない出来事や状況を越え、逆転へ意識を向けることができるか?
数字での結果とは別に、
逆転へ意識を向けて行動した時点で勝利は起きている。
その観点から、いかなるピンチであろうと、
あなたは、毎回逆転勝利を達成できる。
仕事は、“事に仕える”と書く。
人様のお役に立つことである。
その観点から、金銭的な報酬の有無とは別に、
この世に生きる全ての人に「仕事」がある。
専業主婦としての「仕事」
親としての「仕事」
子供としての「仕事」
祖父母としての「仕事」
天涯孤独と思っている人にも大切な「仕事」がある。
職業を持っているあなた、
好きであろうが、なかろうが、
何かの意味があって今の職についている。
現時点では、それが与えられた天職です。
愚痴や不平不満を言う前に、
まず、“事に仕える”。
人様のお役に立つことを通して、初めて先が開けてくる。
お役に立ち、社会へ貢献し、
有形、無形の報酬がついてくる。
この順序が逆になると、
有形、無形の報酬が目的になると、
宇宙の法則から外れ、歪みが生じる。
心身(特に心)の健康を害したり、人々との信頼関係を失ったり、、、
築いてきた有形、無形の資産が、やがて消えて行く。
私自身も少なからず身に覚えがあること。
“事に仕える”という本来の意味を大切にしたいと思う。
私たちは「素」で生まれてきた。
悩みも、嫉妬も、欲も、恐れも、無い
“愛”だけの状態でこの世に生まれてきた。
物質社会での滞在が長くなると、
「素」の周りに、欲、恐怖の層が重なってくる。
だんだん、“愛”が奥に隠れていく。
ある人から言われた。
「自分の遺書を書いてみなさい」
「今日であなたの人生が終わると思って、書いてみなさい」
その過程で、本当に大切なことへ意識が向き、
真の自分を何重にも覆っている欲や恐怖の層が、
かさぶたがとれるように落ちていく。
気付くと、心が“至福”で満たされる。
遺書を書くことで「生」の原点と向かい合い、
物質社会の雑音が消え、
生まれて来た時の「素」へ戻ることを垣間みれるそうだ。
生きている間も「素」を忘れたくないと思った。
我々は偏見の固まりである。
知らないこと、
よく理解していないこと、
それらを、
自分の主観で無責任に結論づける悪い傾向がある。
最近メディアで話題になった話。
元オリンピックの金メダリストであった男性が、
「自分の内面は女性なのです。
いままでの人生では、仮の自分をずっと演じて来た。
勇気を出して女性になる決意をした」
私はこの話しを聞いたとき、
「精神病の人なのだろう」
と一笑した。
先日、珍しくテレビを観ていたら、
その人物が女装で出演し自分の経緯を話していた。
私の最初の反応は、
「頭のおかしい人。話しには興味もない」
他にテレビを観ていた人がいたので、勝手にチャンネルを変えることもできず、
仕方なしに画面を観ていた。
そして、いつの間に、その人物の話しに聞き入っていた。
男性として生まれながら、内面は女性であるということ。
私が今まで生きて来た人生では、まったく縁もなく、理解のできないことである。
「そういう境遇の人たちもこの世にいるんだ。知らなかった。。。」
わかりもしないのに、
理解しようともせずに、
偏見で勝手に決めつけるのは罪だ!
自分がその人物に対して思っていたことを大きく反省した。
偏見は人を傷つけ、恨みや怒りを生む。
偏見は“違う”というだけで、一部の人たちを差別し追い込む。
追い込まれた人たちは、
精神病になったり、犯罪に走ったり、また自殺する人も多いそうだ。
“違い”を否定せず、
尊重する大切さを教えられた。
誰でも、
損をするより、得する方がいい。
多くの人たちにとって「損」とは、
物、お金、地位、名誉など、
持っているものを失うこと。
それらを得られないこと。
多くの人たちにとって「得」とは、
それらを得ること。
もっと増やすこと。
私は家という高額資産に関わる仕事をしているため、
この観点での「損得」に毎日接している。
長年の経験を通して、
多くの人が考える「損得」とは、異なる「損得」
が見えてきたような気がする。
本人が「得」を追求している状況で、
私から見ると大きな「損」へ突き進んでいることがある。
それは何か?
人生を踏み外し、大きな観点から「大損」する最大の要因は、
“Greed(強欲)”
物やお金や地位へ盲目になり、
お金で買えないものを失っている。
そして、それを失っていることすら気付かない。
売買の最中に“Greed”によって、
夫婦関係が悪化し、離婚の話しになったり
親子関係に大きな亀裂が入ったり
契約相手や関係業者と揉めたり
私から、お手伝いを辞退したケースもある。
「損得」の基準を
どこに置くか?
自分が息を引き取るとき、
人生を振り返り「得」だったと思えること。
そこに“Greed”はないはず。
「どういう人生を過ごしたいですか?」
お金持ちになりたい
健康で長生きしたい
スポーツで活躍してオリンピックに出たい
仕事で成功したい
素敵なパートナーと出会いたい
趣味や好きな分野の勉強に打ち込みたい
愛のある家庭を持ちたい
「何故ですか?」
と問い続けると、
物も、地位や名誉も、欲も通り超えて、
「幸せになりたい」
へたどり着くそうです。
一国の独裁者や傲慢な政治家も、
テロリストや犯罪者も、
気難しい上司や無気力の同僚も、
あなたが人生で出会うすべての人たちが、
「幸せな人生を過ごしたい」
と心の底で思っている。
不幸になりたいと思って毎日を過ごしている人はいない。
この当然のことに気付かされたとき、
目から鱗。。。
みんな幸せになりたいのだから、
みんなの幸せを願うことが、真の幸せを得るための最善の方法ではないか!
と思った。
人間は、一人だけで幸せを感じることはない。
幸せな人たちは、周囲にそれを共有する人の和を持っている。
みんなの幸せを願わない人に、
真の幸せは存在しない。
私たちは毎日の生活で、
サービスを受ける側
サービスを提供する側
双方の立場にいます。
「We reserve the right to refuse service to anyone.」
という表示をレストランで見かけたことがあるはずです。
あなたがサービスを提供する側で、
「このお客さんは、ちょっと遠慮したい。。。」
と感じたこと何度かありますよね?
私は、サービスを提供する側も受ける側も、
お互いへの尊重が大切だと思っています。
サービスを依頼する側は、
自分が必要なことへ専門家の力を借りる上で、
「お願いします」という尊重。
「使ってやっている」と言わんばかりの態度は、サービス提供者に対する侮辱。
サービスを提供する側は、
同業者がいる中で、自分へ依頼をいただいたことへの感謝と尊重。
そして、その依頼へ責任を持ってお答えする姿勢。
人間は感情の動物です。
尊重されている、感謝されている、期待されている、
と感じれば、報酬とは別にその気持ちへ答えたい、と誰でも努力する。
サービスを提供する側が絶対に忘れてはいけないことは、
プロ意識を持ち、お役に立つための切磋琢磨を日夜継続すること。
「尊重」の無い方からのお話しは、丁重にお断りする勇気を持つ。
サービスを受ける側が絶対に忘れてはいけないことは、
尊重に値する専門家を見つけ、お願いすること。
尊重できない人へは頼まない。
あなたは、毎日双方の立場に立っている。
双方平等であり、神様ではない。
やるべきことなのに、
つい面倒で後回し。。。
誰でもありますよね。
しなければならないこと。
必要なことなので、消えてなくならない。
それをしないことで、毎日マイナスが蓄積されている。
なぜ後回しにするのか?
それは、
1)緊急性がない
2)それをしない実害を認識していない
が二つの大きな原因なのでしょう。
“大切なことなのに後回ししていること”
をひとつ挙げてください。
そして、
それをせずに1年、5年、10年と蓄積された取り返しのつかない実害
それを今することの素晴らしい効果や想像を超える実益
をじっくりと比較してください。
その巨大な違いをイメージしてみてください。
その場に自分を置いて、五感すべてで実感してみてください。
自尊心、達成感、充実感、
その上で、まだ
「後回し」
にするのであれば、
“うっかり”ではなく、
わかった上での選択です。
だから、
後に待っている苦痛や損害を、今この場で受け入れてください。
後悔や言い訳は絶対にしないと公言してください。
健康管理、人間関係、仕事、勉強、夢や希望、などなど。
「Later」を「NOW」に転換できる人は、人生で勝つ人。
あなたも勝ち組の仲間入りができる。
それを止めているのはあなた以外の誰でもない。
「後回し」
をあなたの“選択肢”から除外できますか?
約束は、
する人、そして、してもらう人
の二つの立場がある。
「来週末にデズニーランドに連れて行ってあげるよ」
“えっ、やったー!すごく楽しみ!”
約束は、相手に近未来に起こることを期待させる効果がある。
まだ起こっていないことへ、喜びを与えるという快感がある。
そして、その約束が守られないと、
失望、落胆。
それを何度も繰り返すと、
不信感。
約束をする前に、
まず、それを守れなかったときのダメージを冷静に考える。
そして、リクスがある場合、約束はしない。
私も過去に何度も失敗をしてきた。
(今でも?)
悪意は無くとも、
一時的に相手を喜ばせ、後でガッカリさせるのは大きなマイナスである。
安易に約束はしない。
安易に約束をする人は、責任感が欠如していることが多い。
本当に大切な約束は、
他人とはではない。
「自分自身との約束」
を守れない人は、
他人との約束をしないほうがいい。
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