私たちはみんなそれぞれ進化を続けている。
進化とは何を意味するのか?
テクノロジーの進歩で生活が便利になることではない。
力で他をコントロールすることでもない。
進化とは、
相互尊重、共存共栄、全体の豊かさ、
へ向けて意識が高まることだと思う。
その発展途上で、必然的に逆の痛みを経験する。
差別、抑圧、利己、
横道にそれ、後ずさりし、同じ場所で足踏み。
前に進んでいないように見えるが、次のレベルへ行くために避けられないプロセス。
いつ気付くのだろうか?
損も得もない
You and Iではなく”We”
他を傷つけるとは己を含む全体を傷つけること
ひとりひとりが気付くことで全体に貢献する。
だから結局のところ、
「自分はどう生きるか?」
人類の進化はあなた(私)次第。
子供のときにみんな道徳を学ぶ
様々な宗教でも素晴らしい教えがある
みんな善悪は頭の中でわかっている
それなのに、何故この世の中は争いや不正が後を絶たないのか?
「正しいこと(真理)」を疑っている
理不尽な人が、地位や名声や富を得ているのを見ている
弱者や善人が虐げられている話を聞く
だから、
正直者はバカを見る
綺麗ごとは通用しない
理想と現実は違う
と真理・道徳を疑う
「疑い」の根底にあるのは”恐れ”だと思う
”もしうまくいかなかったら…損をしたら…”
恐れは人を真理から引き離し、妄想の中に閉じ込める
正しいこと(真理)を信じる生き方は、心に自由と豊かさをもたらす
私は、真理に背いた生き方で心が豊な人を一人も知らない
そういう人は、短期、中期でうまくいっているように見えても、長期的に必ず没落する
正しいことを信じ通せるか、
真理を疑い、恐れに支配されるか、
人生の分かれ道はそこにあるように思う
口から出る言葉の8割は感情主導のものだと思う。
毎日の生活で「言わなくていいこと」、むしろ「言うべきでないこと」は少なからずある。
意志の疎通から脱線した自分のイライラを投げつける言葉は、
なにも改善しないどころか事態をより悪化させ、
自分そして周囲の人たちを”不”に引きずり込む。
私は今までに
「何であんなことを言ってしまったのだろう…」
と悔やんだことが沢山ある。
これからは、何かを言おうとしたときに一呼吸おいて、
ネガティブ感情を外へ出すだけの言葉なのか、
有効なコミュニケーションの言葉なのか、
を自問しようと思う。
他から「言わなくていいこと」を投げられたら、反応しないこと。
無反応は”不のエネルギー”を失速させる。
誰にでもあるストレス。
それへ冷静に対応できる人は凄い。
言わなくていいことは言わす、
言うべきことを落ち着いて言う。
”器が大きい”とは、そういう人のことなのだろう。
それに少しでも近づきたいと思う。
”あなたは何が欲しいですか?
その願いを叶えてあげましょう。”
「えっ、いくつ欲しいものを叶えてくれるのですか?」
”いくつもあるのですか?”
「お金持ちになりたい、仕事で成功したい、旅行に行きたい、素敵な人と出会いたい、健康も大切だし、それに、あれも、これも、、、」
”どうしてそれらが欲しいのですか?”
「素敵な家に住んで、格好いい車に乗って、仕事で認められて、いろいろな経験ができて、愛情のある人間関係があって、、、」
”どうしてそれらが欲しいのですか?”
「不安や心配から解放されたい、自信を持ちたい、精神的に落ち着きたい」
”どうしてですか?”
「えっ、そんなに深く考えたことない。。。」
物質的な豊かさ、地位や名誉を得ているのに不幸な人たちがいます。
何故それらを得たいのか?を明確に理解し、その目的を見失わないでください。
その目的をいつも認識することで、
物質的な豊かさ、地位や名誉を得るプロセスが変わります。
得たものの使い方も変わります。
”何が欲しいか?どうしてか?”を問い続け、
私は「心が豊になりたい」
へ辿り着きました。
これからは、物質的な豊かさ、仕事への姿勢、人間関係、健康など、
最終目的である「心の豊かさ」へ沿った道を進もうと思います。
私は義理を果たさなかったことがある。何度かある。
しばらく前のことだが、今でもその罪悪感は心にトゲが刺さったように忘れない。
私は義理を仇で返されたことがある。何度もある。
怒りではなく、不信感に包まれて悲しくなったことを覚えている。
義理は古臭いことではない。
損得が関わる”ギブアンドテイク”とは根底から異なる。
好意に対して好意で応えるという人間関係の基本である。
義理を失った人は自分を見失っている。
自分を取り戻そう。
お世話になった人へ報いる好意の交換に駆け引きはない。
義理を重んじない人に豊かな人生はない。
今まで生きてきた様々な場面で、
軽率な発言に後悔したこと
売り言葉に買い言葉で事態を悪化させたこと
誹謗中傷を受けたことへ憤慨して反論したこと
言葉は有効なコミュニケーションにならないことがある。
話し合いが論争に発展しているとき、
相手が支離滅裂な発言をしてきたとき、
毅然とした態度で、深くゆっくり呼吸し、視点を定め、
「黙る」
言いたいことはたくさんあるが、あえて言わない。
この無言の反応は、”意表をつく間”を生み出す。
それまでのリズムを崩し、空気を鎮め、
感情が先走る状況を中和する力がある。
沈黙は、
言葉より伝わることがある
”何かを成し遂げるためには、犠牲は付き物”
という話を聞く。
> 何を成し遂げるために、何が犠牲になるのか?
> その犠牲に値する目的か?
> その犠牲を、いつ、どうやって修復するか?
私を含めて、そこまで考えない人が大勢だと思う。
犠牲が伴っていることすら気付かないこともある。
心身の健康を害してしまう人
家族や大切な友人関係を失う人
”犠牲”を放置すると、ダメージはより大きく深くなり、
やがて成し遂げたことを根底から崩す。
その修復には、ものごとを成し遂げるのと同等もしくはそれ以上のエネルギーと努力が要求される。
「行き止まりに向かって走っていないか?」
「修復の覚悟ができているか?」
と自問するときかもしれない。
その先に幸せの無い”犠牲”は成り立たない。
みんな自我がある。変なプライドもある。
それらが「素直」の大きな障害となっている。
他からアドバイスや注意を受けた時、我々は条件反射で自己の正当化をしようとする。
今まで、”この人は凄い”と思った人が何人もいる。
振り返って考えると、その人たちは「素直」を備えた人たちだった。
他からアドバイスや注意を受けた時、その人たちは自己の正当化をせずに受け止める。
自我やプライドを横に置いて自己改善のチャンスとする。
だから我々凡人たちとは異なる明日を築く。
私も最近ちょっとした注意を受けた。誹謗中傷ではない愛情からのアドバイス。
その時に条件反射で自己正当化しようとする自分に気が付いた。
「いや、これは自分を良くできるチャンスだ」と受け止めるには勇気が必要だった。
今日からそのアドバイスを念頭に自分改善を始めた。
近い将来、その人から「あれ、よくなったね」と言わる日が来るのかもしれない。
そしたら、「貴方のお陰です。ありがとう」と素直に言える自分になりたい。
素直を備える人は幸運だと思う。
アメリカでは、大学の卒業式でゲストスピーカーが卒業生へ激励のメッセージを送るという風習がある。
Appleの創始者、故Steve Jobs氏が2005年にStanford大学の卒業式で行った有名なスピーチはその代表例である。
先日、娘の大学の卒業式に参列した際に聴いたスピーチがとても心に残った。
その女性は働きながら同大学のLaw Schoolを出て優秀な企業弁護士になった。その後、地位も名声も高額収入も捨ててホームレス問題に取り組む非営利団体に入った。
その苦労を乗り越えた達成そして大きな決断の経緯を、1968年に暗殺された第64代米国検事総長でありNew York州の上院議員であった故 Robert Kennedy氏(第35代米国大統領故John F. Kennedy氏の弟)の下記の言葉を引用して話した。
”Some men see things as they are, and ask why.
I dream of things that never were, and ask why not.”
「現状を嘆かず、秘めた可能性を追及すべし」
と私は理解している。
”フルタイムで働きながらLaw Schoolを出るのは無理だ!”
”そんな素晴らしい弁護士の仕事を捨ててホームレス救済団体へ行くなんて無謀!”
と周囲から言われてくじけそうになった時にこの言葉を思い出し、
「Why Not(いや、できる!)」
と自分に言い続けたそうだ。
それを成し遂げた体験からの話しに多くの卒業生たちが勇気づけられたことであろう。
これから社会へ出る娘。試練に向き合うこともあるのだろう。
「Why Not!」のチャレンジ精神を持って素晴らしい人生を築いてもらいたい。
そして、
親である私も「Why Not!」を背中で伝えることが娘への最大のエールになると思った。
50人の人たちを部屋に集めて、各自の名前が明記された50個の赤いバルーンを用意した。
その50人分のバルーンを隣の部屋へ置き、
「5分間以内に自分の名前が書いてあるバルーンを持ってここに戻ってきた人に素敵なプレゼントを差し上げます」
と伝えた。
みんな一斉に走って隣の部屋へ入って行った。
その部屋の中では人々がぶつかったり転んだり、みんな必死に自分の名前が書いてあるバルーンを争って探している。
5分間が経過し、自分の名前が書いたバルーンを持って戻ってきた人はひとりもいなかった。
それどころか、その部屋で喧嘩や抗論をしている人が何人もいた。
もう一度、その50人を部屋に集めて、
「隣の部屋で一つバルーンを手に取り、そこに書いてある名前の人を見つけて渡してあげてください」
と指示した。
すると、5分間どころかその半分の時間で全員が自分の名前が明記されているバルーンを持って笑顔で戻ってきた。
”自分の名前が書いてあるバルーンを持って戻ってくる”という同じ目的でも、
「自分さえよければいい」という考えではうまくいかない。
「みんなで協力」へ意識が向くとみんながうまくいく。
今の世の中に欠如していること。
自分はこれを実践できる人になりたいと思った。
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