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ロサンゼルスの不動産専門チーム代表のブログ

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比較

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比較


私たちが住むこの物質社会は相対的である。

上下、左右、強弱、軽重、大小、長短、優劣などなど…
他との関係や比較の上に成り立つことが多い。

何と比較しているか、誰と比べているか?でその物や人の存在意義や価値が変化することになる。
比較から生まれる存在意義や価値は流動的。
それにコントロールされる生き方は本質を見失う。

相対的社会に住みながら、比較をしない大切さを感じている。

その物、その人だからこその素晴らしさ。
なにものとも比べようのない、その物、その人本来の良さ。

比べること、比べられること、から解放されると世界が変わる。
意識が自由になり、自分らしさを取り戻せる。

比較をやめると、
不安や心配、頭の中の雑音がさーっとなくなる。
意識が「今」へ集中してくる。




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わからないこと

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わからないこと

この世で起こっていること、
自分の人生に起こること、

どうしてそんなことが起こるのか?
理解に苦しみ、わからないことがいくつもある。

 若くして病気や事故でこの世を去る人たちがいる
 道徳や秩序や法すらも無視した行動がまかり通る現実に苛立ちを感じることがある
 善良な市民が天災や争いで命を落とす惨事が地球上でいつも起きている

全ての出来事には意味がる…
あなたが引き寄せている…

それでは納得できない!
と叫びたくなる。


私はそういう答えの出ないことへ「なぜ?」と問いかけることをやめた。
その代わり、

   ”自分に何ができるのか?”
   ”自分にとって何が大切なのか?”

と問いかけるようにしている。


人生ではわからないこと、答えの出ないことがいくつもある。
あえて、その探求をせずに、

   「だからどう生きるか?」

と自問している。




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Attitude

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Attitude


   背格好、目鼻立ち、服装や装飾品

という外見を見て、
カッコイイ、可愛い、素敵、という見た目の「Appearance」。

第一印象の外見は大切であるが、少し時間を過ごすとやがて中身が見えてくる。

   思い通りに行かないとすぐにイライラしたり、
   横柄な態度で偉ぶってみたり、
   ちょっとしたことで慌てふためいたり、

ハッタリではごまかせない中身。

経験の蓄積で人生観や信念が形成される。
それが言動や立ち振る舞い、物事への対応といった「Attitude」として表に現れる。
それは、その人の人格となる。


   「何が起きるか、が人生へ与える影響は10%、
    それらへどう対応するか、が人生の90%を決める」

という話を聞いた。


心が惹かれるのは、その人の幅であり奥行き。

私も「Attitude」を磨く生き方をしたいと思う。


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自信

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自信


ご存知の通り「自分を信じる」と書く。

努力をして良い結果が出たときに
「これで自信がついた!」
と言うのをよく聞く。

 > うまく行ったときは誰でも自信が付く
 > 失敗すると自信がなくなる


自信があると、物事に積極的、能動的に行動できる。
自信がないと、すべて消極的で受け身になる。


私は、

   まだなにも良い結果が出ていないとき、
   それどころか、物事がうまく行かないとき、

こそ、”自分を信じること”が大切なのではないかと思う。


まだ結果が出ていないと、自分を信じる明確な根拠がない。
ダメな言い訳はいくらでも考えつく。
そんなときにこそ「私は絶対に大丈夫だ!」という”根拠のない自信”を持つことの大切さを感じている。

   自分を信じるためには、謙虚になること。
   自分を信じるためには、信念を持つこと。
   自分を信じるためには、周囲に左右されないこと。

自分を信じて築く人生は基盤が揺るがない。




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”I” から ”We” へ

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”I” から ”We” へ


私は若いころツパッていた。

自分でなんでもできると勘違いしていた。
お蔭で、出鼻をくじかれる出来事をいくつも体験することになった。

最初はそれでもなかなか気付かず、もがいた。
だから出鼻をくじく出来事が継続していくつも起こった。

やっと落ち着いて振り返って思った。
ツパッていたときは、いつも”I”だった。
いろいろ気付いて少し”We”になったら物事がうまく進むようになった。

パートナー、配偶者、家族、友人、仕事の仲間、などなど。
みんなの輪を大切にすれば、自然と”We, Us, Our, Ours”となる。
”I, Me, My, Mine”のうちは歪みができてスムースに進まない。

もしあなたの毎日がスムースでなければ、
大切な人たちとの人間関係がうまく行っていなければ、
「頭の中が”We”になっているか?」と自問してみればいい。

”We”になるためには、しっかりとした自尊心を持つこと。
そうでないと”We”は成り立たない。

地球上の人たちがみんな「”I”から”We”」へ変わったとき、
差別も、犯罪も、戦争も無くなるのだろう。

みんなそれを望んでいるのに、”I”から脱せない人類。




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決断

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決断


物事がうまくいかない時、決断が遅かった。

必要な情報を得ているのに、

   「もし、そうならなかったら。。。、 もし、ああなってしまったら。。。」

リスクの全くないことはこの世にほとんど存在しないのに、
いつまでも前に進めず、方向転換もせず、その場で足踏みばかり。

結果としてせっかくのチャンスを生かせず、ダメなことからの撤退も遅いのでより損失が膨らむ。
だから、余計怖くなって益々動けなくなる。

その上、うまくいかなかったことをいつまでも後悔し、人のせいにする。

私はそれはやめようと思う。


決断を早くしたら物事が好転し始めた。

なんでも即決するということではない。
必要な情報を得てからの判断を早くする。

結果としてチャンスを得る確率も高まり、大きな損失になる前にダメなことからの撤退もできる。

それと同等に大切なのは、
その決断の結果、思った通りにならなくても後悔も文句も人のせいにもしない。
自分の判断ミスを受け入れて次の肥やしにする。
だから、次回はもっと精度の高い決断ができるようになる。

私はそういう人になろうと思う。




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隣の芝生は青い

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隣の芝生は青い


人のことはよく見えるものです。

特に近年のFacebookを始めとするソーシャルメディアが盛んなご時世では、

   「楽しいバケーション中!」
   「素敵なレストランに来ていまーす!」
   「こんな良いことがあった!あんな嬉しいことがあった!」

などなど、ハッピーな自己発信ニュースがどんどん飛び込んでくる。
周囲の人たちは、何の苦労も問題もない順風満帆な日々を過ごしているように見える。

“それに比べて自分の日々は…
バケーションも行けていないし、そんな素敵なレストランともご無沙汰…
特に良いことも嬉しい出来事もない…”

ともすると“取り残されてしまった感”に襲われる人も少なくないと想像する。


人間は「他から良く思われたい、認められたい」という本能があるので、
自分から進んで辛いことや苦しいことを公表する人はいない。

   みんな「自分の芝を実際より青く」見せたい。


私は、隣の芝の色を気にする生き方はやめて、自分の芝にコツコツ水をやり続けようと思う。

自分軸で生きることで、
芝の色を公表しなくていい、他にわかってもらう必要もない。

(なので、あまりFBの投稿もしていないんです:笑)




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“いいなぁー”と思ったとき

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“いいなぁー”と思ったとき


自分にないものを持っている人を見て、“いいなぁー”と思うことは誰にでもある。

   地位や名誉であったり、
   お金や物であったり、
   憧れの仕事や趣味であったり、
   愛に溢れる夫婦や親子関係であったり、
   自由なライフスタイルだったり、


“いいなぁー”と思ったとき、それに近づける大きなチャンスだと聞いた。
それなのに、ほとんどの人はそのチャンスを遠ざける反応をしてしまうそうだ。

   多くの人は条件反射で「自分には無理」と諦め、その人を妬む。
   諦めと嫉妬は、幸福をどんどん遠ざける。

へぇ〜、なるほどと思った。
手に入れたいのに、“要らない”という無意識の反応をしているわけだ。


それとは正反対に、羨ましいと感じたとき、
自分のことのように素直に喜ぶ。

   「あーよかった!」、「オメデトウ!」、「ありがとう!」

最初は違和感があるが、意識して口に出したほうがいい。
感情が入れば入るほど、そのエネルギーへ同調して近づこうという力が強くなるそうだ。


“いいなぁー”に遭遇したら、
素直に受け止めて、一緒に喜びましょう。

それが無意識の条件反射に書き換えられたとき、
あなたが周りから“いいなぁー”と言われるようになる。




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“たら、れば”

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“たら、れば”


前回、日本へ行ったときに「たら、れば」という言葉を聞いた。


  「学歴があったら、もっと出世できたはず。。。」
  「あそこで勇気を出していれば、こんなことにはならずに済んだ。。。」


言い訳によく使われる、後悔の言葉だそうだ。
そうなっていたかも知れず、なっていなかったかも知れず。。。

その時は自分なりに決めたわけで、
思った通りにならなかったことを“たら、れば”で悔やむのは悲しい。


でも、、、
“たら、れば”を過去のことと決めたのは誰なんだろう?


  「諦めずに工夫をしたら、素晴らしい物が作れるはず」

  「自信を持って行動すれば、絶対に良い結果が待っている」


こうなるかも知れない、ああできるかも知れない!

“たら、れば”を「未来」の可能性へ使えば希望が広がり、力となる。

“たら、れば”の創造的な使い方を実践してみようと思う。




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ファーストタイム

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ファーストタイム


   “When was your last time you did something for the first time?”
   「あなたは、最後に“初めて”の経験をしたのはいつですか?」


幼少期には、すること全てが“初めて”だった。

大人になるに従い、“初めて”がどんどん少なくなり、
気がつくと、“初めて”のない毎日になっている。

経験が豊富になったためだろうか?
それとも、知らないことへの挑戦をしなくなったからだろうか?


   「あなたは、最後に“初めて”の経験をしたのはいつですか?」

     今更、、、
     この歳になって、、、
     もうそんな気力はないよ、、、

でも、
   ピアノを弾いてみたい
   アラスカでオーロラを観てみたい
   子供と富士山を登ってみたい


まだ経験していないことには“夢と希望と感動、そして癒し”がある。

   してみたいこと
   行ってみたい場所
   心残りのこと

年齢とは関係なく、いつまでも“初めて”のある人生は素敵だ。

“初めて”のある人生は輝いている。




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