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波猫まち子の日記

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6ヶ月の日本滞在を終え、無事サンディエゴに帰ってきました!

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今度住むことになったエリアは、... 今度住むことになったエリアは、偶然にも一番最初に買った家の近所。大好きなスタバまで歩いていけるのでハーパーは大喜び😄 別居後に住んだ家の通りの名前は... 別居後に住んだ家の通りの名前はLotus(仏教のシンボル、蓮の花)、次に住んだアパートはモルモン教のお城のような教会の膝下にありました。今回も窓から教会が見え、時刻を伝える鐘の音が心地よく響きます。不思議ですが、いつも何かに守られていると感じます。 サンディエゴの夕陽!これが本当... サンディエゴの夕陽!これが本当に恋しかった。 Murphy & the ga... Murphy & the gang☺️(実はもう一匹います)すっかり家族の一員になって過ごさせてもらい、とても有り難かったです。Thank you, Karen & Warren, for taking great care of Murphy...he was so lucky to be able to stay with guys! アパートでの暮らしにも慣れつつ... アパートでの暮らしにも慣れつつあります。 近所は緑の多い住宅街で、こんな... 近所は緑の多い住宅街で、こんな竹林が生い茂っている家も。
1月15日、フライトが遅延した上にキャンセルになったりとトラブルはありましたが、無事6ヶ月の日本滞在を終え、サンディエゴに戻って参りました!
 
日本に居る間にもアパートを探していたのだけど見つけることが難しかったため、6ヶ月間マーフィー(犬)を預かってくれていた友人家族の家に私だけ1週間居候させてもらい、その間に大急ぎでアパートを探しました。昔からの友人夫婦とはいえ、この歳になって居候させてもらうのは至って申し訳なく、一刻も早く見つけなければと着いた週末がたまたま三連休だったので、ハーパーも連れて見て回り、その中の一件が二人とも気に入ったので申し込んだら審査が通ったのです!
 
今回のチャレンジは、クレジットヒストリーが良くないこと(結婚していた時の負債が残っていたため)、ニールが仕事をしていないこと(収入が私の分だけになってしまう)、そしてハーパーの学校があるエリアは家賃が高いので、なるべく通える範囲で予算内の物件を探すことでした。見つけたアパートは、内見してくれたのが大家さん(エージェントでもある)だったから良かったのか、クレジットヒストリーより収入と前の大家さんからの推薦状を重視すると言ってくれ、収入の条件大丈夫かな…と不安だったけど、申し込んだ同日に即、審査が通って本当にビックリしました。しかも、このアパートは申請料(通常1人$40くらいかかる)ゼロ、ペット代&ペット保証金もゼロ、しかも家賃は水道代込みと良いことづくめ(家賃も安く、予算内)。大家さんが以前住んでいた家の裏に建てた2階建てのデュプレックスの1階なのでプライバシーも守られ、自分達専用のゲートもある。何より床がダークウッドで数年前にリモデルしたキッチンも使いやすく、とても気に入っています(ガス台に付いてる鉄板グリルは超便利!)。
 
アパートが見つかるまでの1週間、ニールは親友の家、1ヶ月前に帰ってきていたハーパーはそのままお父さんの家、とバラバラだったため、やっと同じ屋根の下で家族一緒に暮らせるのは本当に嬉しかったです(とは言え、20歳になるニールは親友の家が居心地良いらしくほとんど帰ってこない😅 )。
 
仕事の方は無事(手続きに時間かかったけど)、以前と同じ職場(中学校の特別支援学級)に復帰でき、本当に有り難かったです。ただ、全く同じクラスではなく、今のところ障がいの重度が医療・身体的に重い子供たちのクラスに配属されていて、これがなかなかチャレンジングな経験になっています。歩くことや話すことがままならない子供たちのお世話はこれまでみてきた子供たちとは全く違うけれど、毎日接するうちに少しずつ気持ちを交わせるようになるのは楽しく、このチャレンジングな仕事に深い意義を感じています。
 
さて、サンディエゴに戻ってきてからの本当のチャレンジ(なんかチャレンジばっかりですね )は、アパートを借りた後でした。正直、日本では週5日働いていてもお給料はアメリカの半分だったため、日本に居る間の生活費はほぼ母に出してもらっていました(お母さん、本当にありがとう😭 )。当然アパートも母からの支援が無ければ借りることはできませんでした。ただ、それ以外にもさまざまな支払いがあります。一番大きいのはクレジットカードの返済、車の保険代、携帯電話の支払い、そしてもちろん日々の食費やガソリン代。日本ではチャリティーにお世話になるのは恥ずかしいことだと思われがちかもしれないけれど、私は教会などから無料でいただける食材(野菜や果物、牛乳、卵、缶詰等)は有り難く受け取らせていただいています。生活が一番厳しい今、こうやって助けてもらっていることを忘れず、いつか少しでも余裕ができたら恩返しできたらと思っています。
 
ニールも必死にバイト先を探していますが、レストラン業界は不況のようでなかなか採用されず、ソーラーパネルの訪問セールスを友人に付いて回っているようです。先日、なんとその会社の歌唱コンテスト(訪問セールスで歌を披露する)で優勝して賞金$500(5ドル札100枚を雨のように降らせてもらったみたい )をいただいたそう!お父さんは大学に戻ってもらいたいようですが、私は(自分も中退してるので)彼なりのやり方で自分の生きる方向性を見つけていけば良いのではと思っています。大切なことは、毎日朝起きてやるべきことがあること。そのために起きようという気持ちがあること。ハーパーに関してもそうですが、6ヵ月の勉強の遅れを取り戻すのは大変だったようですが、出来ることを頑張ってやり、本当に疲れてる時は休ませつつ、それでもやらなければいけないことは家でもやり、成績を自分でちゃんと管理できているので我が子ながら偉いなあと思っています。
 
日本に居る間、子供達もそれなりに大変だったと思うのです。特にハーパーは私が想像してたよりも全く日本語がわからなかったため学校に馴染むことが難しく、精神的にも辛くなってしまったので途中から通わせるのをやめました。ただ、学校の先生方やクラスメートたちの温かい支援があったおかげで学校には通えなくなったものの、学校以外でお友達数人と一緒にお祭りに行ったり、家に遊びに来てもらったりと交流する機会が持てたのはすごく良かったと思っています。私自身も言葉が通じない12歳の子供達同士が必死になってiPadの翻訳機や携帯を駆使しながら思いを伝え合ったり、UNOを通じて仲睦まじくなっていく様子を目の当たりにできたことは微笑ましく、一生の宝物になりました。
 
私たちが居ない間に愛犬を世話してくれた友人家族、車を置かせてもらい、郵便物を受け取ってくれていた友達夫婦、そして「お帰り!」と待っていてくれた数々の友人たち。いろんな人達にお世話になって実現した6ヵ月の日本滞在(たった6ヵ月なのにどんだけ大変だったんだ 😭)。本当に感謝しています。もう帰ってこないと思ったと何人もから言われたけれど、日本に永住帰国するつもりは全くありませんでした。今回の滞在はあくまでも経済的な理由によるものが大きく、後は年老いた母や姉と一緒に過ごす時間を持つこと、そして子供達に日本での生活を経験して欲しかったからでした。お陰様でニールの日本語は驚くほど上達しました!
 
4年前に別れてから、今が経済的に一番大変です(お金が無さすぎて泣くという経験を初めてしました)。私の目標はセラピストになり(3月から大学院が始まります)、2年後には少しでも収入が増えていること。収入面だけでなく、自分が本当にやりたかった分野だけに、忙しくなるだろうけど気持ちはとてもワクワクしています。

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待望の秋!

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見頃を迎えた曼珠沙華(まんじゅ... 見頃を迎えた曼珠沙華(まんじゅしゃげ)。彼岸花です。英語名はRed Spider Lilyなので、この姿形が苦手な人も多いみたい(笑)。 待望の秋! 秋の訪れを感じる山の夕暮れ時。... 秋の訪れを感じる山の夕暮れ時。 紅葉が楽しみです。 紅葉が楽しみです。
日本の夏、ほんっとうに暑かった!9月後半から徐々に涼しくなり、ここ数日は雨も降ったりしてすっかり周囲は秋モード(でも今週は残暑が戻ってくるらしいけど)。喉元すぎれば・・・じゃないですが、涼しくなった今、あの酷暑がちょっぴり懐かしかったりもします。
 
さて、ハーパーは少しずつではありますが、学校に慣れつつあるようです。最近は外国人生徒も増えているので、学校には日本語をサポートしてくれる先生が配置されていて、ハーパーも週に何回か1体1で日本語を教えてもらっています。普段のクラスでは、ipadの翻訳機能を使ってコミュニケーションを取っているようですが、幼稚園までは日本語をしゃべっていたけど、小学校以降はすべて忘れてしまったので、日本語が全く理解できない環境に一日中身を置くのは、相当のストレスのようです。友達を作りたくてもアメリカにいるように普通に会話することはできない。文化の違いもあるし、いくら翻訳機を使ってコミュニケーションが取れるとはいえ、疎外感を感じることも多いようです。精神的に疲れることも多いので、時々休ませつつ、無理のない範囲で通えるようサポートしています。
 
ニールの方は、週2回、市の国際交流協会が実施している無料の日本語クラスに通い始め、これが予想外に楽しいみたいで、私も驚いています。日本に来て、日本語熱に火がついたようで、ぐんぐん日本語が上達しています。一応小学校3年まではサンディエゴの日本語学校(土曜日)に通っていたので、日常会話やひらがななど、ベースはできていたので、ここで頑張って勉強すれば、将来使える日本語になるのでは!?と期待しています。
 
私の方ですが、無事仕事が決まりました!うちの近く(車で5分)にある国民休暇村(ホテル)のフロントに採用してもらえたのです。時間も希望の時間帯(朝8時から午後3時)で雇ってもらえて、通勤も楽だし本当にラッキーでした。採用された後で、自分が旅行専門学校を出てたことを思い出したくらい(苦笑)、旅行業界とは無縁の生活を送っていたけど、今になって役立っていることに感謝です。でも、フロントの仕事は覚えることが山ほどあって毎日あたふたしていますが、ニールと同い年くらいの若いスタッフに丁寧に教えてもらいながら、何とか頑張っています。
 
旅行業界といえば、最近、始めて就職したツアーオペレーター会社の部署の方々14名ほどで集まる機会に呼んでもらいました。私はこの会社で3年ほど働いた後、サンディエゴに移住しました。集まった全員が既に退社していたけれど、30年近く経った今でもこうやって集まることができるなんて素敵だなあ、といつも皆を繋いでくれる上司のKさんにとっても感謝しています。
 
数日前は、ハーパーと同じ日本語幼稚園に通っていたママ友2人と8年ぶりくらいに再会。当時4歳だった子供たちの様子などを懐かしく振り返りました。(あんまり言いたくはないけど)「あの頃は良かったなあ」なんて思っちゃいましたね。でも、幸せな思い出があるのは素敵なこと。ハーパーは最近、サンディエゴの生活や友達が恋しいせいもあって、昔の写真をよく眺めているのだけど、昨夜も面白い写真があって一緒にゲラゲラ笑ってしまいました。来年3月までには何があってもサンディエゴに帰るけれど、彼女のためにも、一日も早くお金を貯めて元の生活に戻れるよう頑張ろうと思います。
 
 

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25年ぶりに住む日本は…

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25年ぶりに住む日本は…...
サンディエゴのアパートを引き払って日本の実家に住み始めてから、1ヶ月が経ちました。何を一番強く感じるかというと、バケーションで来る日本と長期滞在で来る日本はまったく違うということ!これはどこの国に当てはめても同じことだと思うけれど。バケーションで来ると、毎日がディズニーランドにいるみたいでワクワク、ドキドキ、おとぎの国で起こることだからすべてが珍しくてエキサイティング。でも、実際に住むとなると、気持ちがまったく違ってくる。26歳でアメリカに行った時に経験したカルチャーショックと疎外感、それと似たような感覚を今味わっています。
 
それはやはり(数年に一度は帰ってきているとはいえ)、私が25年間も日本に住んでいなかったことが大きいと思います。そして、住んでいる母の家が埼玉の山奥(秩父の少し手前、一番近いコンビニまで車で15分)で、しかも私が育ったエリアではないため、周辺に知り合いが少ないことも原因の一つ。更に、35度を超える猛暑、そして山奥ならではの虫との戦い。実は、私達が来る前に屋根裏にハクビシンとアライグマの家族が住んでいたらしく、業者を呼んで退治したものの、ノミが残ってしまい、虫に刺されやすい私の両足は見苦しいほど刺されてしまいました(痒いのなんのって)。虫嫌いのハーパーは巨大なクモやムカデにいちいち怯え、私もゴキブリは日常茶飯事、時々ネズミに出くわしたり、大雨の後に庭でヘビを見かけたり、ディズニーランドのジャングルクルーズ並に毎日ハラハラさせられています。
 
たまに1時間半〜2時間かけて都心に出て昔の友達や姉に会う以外、毎日何をしているかというと、ひたすら実家の掃除と断捨離をしているのです。この家は私が20歳くらいの時、それまで住んでいた練馬の家を売って母が建てた家です。国道299沿いの階段を50段登ったところにあり、そこから眺める山の景色は本当に綺麗。しかし、2年前に弟が亡くなって以来一人で暮らしている82歳の母がこの階段を昇り降りしながら物を運び出すのは無理。実家には、30年前に引っ越してきた時に運び込まれた物がほぼそのまま残っています(苦笑)。それ以前にすでに他界している父の洋服までも(なんで?)。母には、「まこちゃん(私のあだ名)には終活のお手伝いをしてもらうわ」と言われており、いずれ母が亡くなった後にやらなくてはならないことなので、それなら時間が山ほどある今、やれるだけやっておこう、と思っているのです。幸い、ごみ収集車はほぼ毎日来る。ご存知、日本はごみの分別に細かい。私はごみ収集ルールブックを読みこなし、ちゃんと指示通りに出しているので、毎日大量のゴミを捨てているけれど、一度も戻されたことはありません(エッヘン)。先日は不燃・有害ゴミの日だったので、大量の食器や金属類、電池などを捨てました。少しずつでも家の中から物が減っていくので、ごみ出しが密かな喜びになっています(笑)。
 
もう一つ予想をしていなかったこと。それは82歳の母が私達が来てしばらくして、急に体調を崩して1週間も寝込んでしまったこと。それまでは普通に会話し、一日3時間ほどパート(近くの老人ホーム)に行くほど元気だったのに、夏風邪を引いてしまい、来る日も来る日も寝込んで食事もほとんど摂らなかったため、「介護突入か!?」と焦った私は頼りにしている伯母や姉に相談し、毎日の様子を報告していました。ところが1週間経った頃、「さーてそろそろ起きるか」と、やおら起き上がって身支度をし、退職することにした(やはり体力的にキツかったようです)近所の職場まで自分で運転して挨拶に行ったのです。びっくり仰天しましたが、年を取ると体力を回復するまで1週間もかかるんだ、、、と驚いた次第です。ずっと続けていた仕事を辞めちゃって退屈しないかなーと思ったけれど、本人曰く大好きな草むしり(朝4時、まだ涼しい時間に起きてやるらしい)を好きなだけできるから楽しみ、とのこと。
 
異国(?)の地に来て多少なりとも四苦八苦しているのはニールもハーパーも同じです。ニールは偶然にもサンディエゴの友達が一人旅で日本に来ていたので、一緒に同行して大阪、京都、そして鹿児島まで旅をし、持ってきたお金がすっからかんになってやっと帰ってきました。偶然にも、鹿児島は亡くなった父の故郷。急な訪問にも関わらず、LINEをしたら従姉妹が新幹線の出口まで迎えに行ってくれました。そして奇しくも到着した次の日は父の命日。数日間の滞在中、ニールは一人で鹿児島市から電車に乗ってお墓のある川内(せんだい)に向かい、従姉妹に教えてもらった写メ付きのお墓までの行き方に従って、ちゃんと辿り着くことができたのです。そこに2時間くらい居て、ギターを弾きながら会うこともなかったお祖父ちゃんに、それまでの自分の人生を語ったと言います。彼の心根の優しさが感じられて嬉しかったですね。
 
日本での長期滞在で一番懸念したことは、ハーパーがほとんど日本語を話せないことでした。サンディエゴに居れば、ベストフレンド達と同じ中学校に進むはずが、言語がまったくわからない、しかも小学校6年生(まだ12歳なので)をやり直すという状況を、頭では理解しているものの、感情で受け入れることはなかなか難しいようです。幸い、これから通う地元の小学校は全校生徒70人という超小人数なのにも関わらず、これまでに日本語を母国語としない生徒を受け入れた経験があり、彼女の状況をよく理解してくれ、日本語のサポートはもちろん、精神的な部分でも親身になって寄り添ってくれそうなので、本当に有り難いと思っています。学校は25日から始まるので、最初は大変だと思うけれど、(言葉がわからないなりに)学校生活が少しでも楽しくなるように、私も全面的にサポートしていきたいと思っています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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日本に8か月ほど帰国します

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ネスタチウム。この鮮やかなオレ... ネスタチウム。この鮮やかなオレンジ色がお気に入りです。
7月11日の帰国に備えて、いよいよカウントダウンとなってきました。「しばらく日本に住もう」なんて気楽に考えていたけど、住む場所を変えるって結構大変なことなんですね💦まず、居ない間は家賃を払えないのでアパートは解約、家財道具はストレージに預ける。仕事は1年間ポジションをキープしてくれるとのことで一安心。車は、大学に行くメレンがサンディエゴに帰ってきた時に使えるよう、一台だけ残しておくことに。今、7月3日まで小学校のサマースクールで働いているのですが、中学校に比べて小学生は結構手がかかるので大変💦そんな中、今日無事に大学の最後の課題を提出しました!四年生大学を終えたという実感は全くありませんが(12月にオンラインで卒業式に参加する予定)、やり遂げた自分を褒めてあげたいです!👏
 
 
昨夜、50歳の誕生日会を開いてくれたスーヤンが、今度はお別れ会を開いてくれました。お別れ会なんて、私ちょっと日本に行ってくるだけなのに!?って思ったけど、確かに8か月アメリカを離れるというのは結構重大なことなのかもしれないと思いました。集まった友人の多くが結婚前からの知り合いだけに、お互いの最初の印象や結婚式でのエピソードなどで大爆笑、話題が絶えず、なんと帰宅したのは午前2時を回っていました。ハーパーとメレンも参加したので、そんな親の若かりし頃の(貴重な?)エピソードを聞けて面白かったみたいです。思えば、元夫に付いて26歳でサンディエゴに来た時、知り合いもいず、随分心細い思いをしました。やっと一緒に過ごせると思った金曜日の夜、元夫は一人で勝手に遊びに行ってしまい、悲しさと悔しさでキレて電話の子機を壁にぶん投げて壊しちゃったこともあったっけ。あれから25年。3人の子を育てる中で友人も増え、今では夫がいなくても心の支えになってくれる友達がこんなにいる(涙)。メレンは8月に大学が始まるまでの間、親友2人の家に滞在させてもらうことになっており、マーフィー(我が家のゴールデンリトリーバー)は古くからの友人家族が預かってくれることになっています。色々な友達に助けられて、この引っ越しも実現しました。来年の3月には戻ってきます。みんな、待っていてね。

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もうすぐ大学を卒業&日本行き

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新緑の5月。今年は私たち家族に... 新緑の5月。今年は私たち家族にとって、新たなページが刻まれることになりそうです。
にわかに信じがたいですが、大学に復学してから2年間が経ち、後1タームを残すところとなりました。7月に大学を卒業します。中盤で気力が失せたことがあったのものの、諦めずに続けてほんと良かったと思います(涙)。
 
前回のブログからほぼ6か月が経ち、また色々と変化がありました。結果的には借りていた家の家賃がとうとう払えなくなり、今年の1月に子供たちが通学できる範囲で少し離れたエリアにあるアパートに引っ越しました。アパートとはいえ、物価の高いサンディエゴ、それでも生活はギリギリ。足りない時は息子(時々高校生の娘にも)に貸してもらっています。子供に借りるなんて…という声も聞こえてきそうですが、無いものは無い。生活していくためには、もうすぐ20歳になる息子(今は大学を休学してバイトしています)から借りることも致し方ないと思っています。我が家の状況をよく理解しくれている息子は快く貸してくれるので、本当に助かっています(涙)。
 
去年、アパートに引っ越さざるを得ない状況になった時に、子供たちからしばらく日本に住むのはどうかという提案がありました。私は子供たちのことを考えると(日本語があまり得意じゃないので)これまで日本に住むという選択肢はなかったのですが、子供たちが行きたいなら、それもありかもしれないと考えるようになりました。正直、実家の母の家に居候させてもらえれば家賃を節約できるし、子供たちが日本の文化に触れながらおばあちゃんと過ごす時間ができ、私自身も日本で働きながらここ数年ゆっくり時間を過ごすことができなかった母や姉、友達ともキャッチアップできる…。今の中学校での仕事は、1年以内に戻ってくればポジションをキープしてもらえることもわかりました。私はグリーンカード保持者なので、6か月以上国外に滞在する場合は再入国証が要るのだけど、こちらで申請し指紋採取を済ませれば、日本の大使館で受理できるとか。一番気になるのはあまり(というかほぼ)日本語ができないハーパーの学校のこと。日本では小学校6年生に編入するので、今年の7月から来年の3月に卒業するまで滞在するのがちょうど良いのではないかという結論に至りました。ニールはまだ日本で何をするかは未定なのだけど、おそらく日本語を勉強しながらバイトでもするのではないかと。メレンに関しては、思いがけず1年早く高校を卒業できることがわかったので、アメリカに残り、大学に進学することになりました。ちなみに、日本行きはお父さんも了解済みです。ほぼ9か月日本に滞在するため、当然こちらの家財道具はストレージに預けることになるので、また荷造り(苦笑)。前回の引っ越しでもだいぶ物を減らしたけど、また更に減らす必要がありそうです。
 
正直、しばらく家賃の心配をしなくてよいのは本当に助かります(涙)。クレジットカードの支払いが残っているし、食費や交際費等のために当然日本でも働く必要があるけど、家賃がないとだいぶ違います。別居から3年、ここ最近は特に金銭的に切羽詰まっていたので、一時的にもそのストレスから解放されるかなと思っています。
#アラフィフ就職活動 #健やかに生きる #子育て #心理学 #自分の心に耳を傾ける #自分らしく #自己受容

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アメリカで初めてフルタイムの仕事をゲット!

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感謝祭の時期に咲くThanks... 感謝祭の時期に咲くThanksgiving Cactusという種類のサボテン。なかなか見栄えがあります。
別居後、やりたいことを見つけるために受講した自己理解プログラムでは、「夫婦関係で悩んでいる人の苦しみに寄り添いたい」という思いが明確になるとともに、それを達成するための目的手段として、オンライン大学で心理学の学士号を取る、フルタイムの仕事に就く、という目標を掲げました。大学での勉強は順調に進んでおり(途中、山場はありましたが💦)来年の8月には卒業予定です。学生に戻ったおかげでStudent Workerとしてカウンティの民事訴訟を扱う部署で働くという願ってもいない経験を今年の1月からしていましたが、経済的事情に後押しされ、12月から遂に別の職種でフルタイムの仕事に就くことができました。
 
DVを扱う福祉関係の仕事にも応募しましたが返事はゼロで、学校で働く仕事なら自分にできることがあるかもしれない、と応募したみたのがPIF(Paraeducator Independent Facilitator)というポジションでした。アメリカの公立学校では障害のある子どもも(重度にもよりますが)一般生徒と一緒に学ぶというのが基本的な考え方で、特別支援教室をベースにしつつ、一般教室に参加することもあります。その時にサポートするのがPIFの役目なのです。私は10月から2か月、PIFの代理として10か所近くの小中学校に出向き、この仕事について学んでいくうちに、自分にすごく合っていると感じました。自己理解プログラムで問われた「これまでの人生でもっとも充実した経験とは」への私の答えは「子育て」だったのだけど、自分が他の子供たちに対してもこんなに自然と愛情深く接することができるとは知りませんでした。
 
偶然にもフルタイムで採用されたのは一番最初に出向いた中学校。そこは中程度の重度の子供たちが9人ほどいる特別支援教室で、先生や他のPIFの方々はとっても良い人たちばかりだし、教室に流れている音楽や空気もなんとも穏やかでこんな場所で働けたらどんなに幸せだろうと思っただったたけに、オファーをいただいた時は本当に嬉しかったです(教室内にKeurigのコーヒーマシンがあるのも惹かれた大きな一因!)ただ、学校で働くことの一番のダウンサイドは1年に10か月しか働けないこと(春・夏・冬休みがあるので)。カウンティの仕事は冬休みの間だけでも良いということだったので、冬休み明けまで続けてから辞めることにしました。
 
ここまで書くとずいぶん頑張っているように聞こえるけど、現実問題、学校でのお給料だけでは子供3人養っていくことはかなり厳しい。でも、私がこれが第一歩だと思っています。学校で働くことによって、他のポジションへの機会が広がる可能性もある。特別支援教室の先生や、スクールカウンセラーという道もある(アメリカでスクールカウンセラーになるには大学院まで行く必要があるが…)。何より、この仕事を通して得たもので一番大きかったのは、自分が子供の教育をサポートすることにこんな深い情熱を持っていたということ。仕事が楽しいと思えるなんて、幸せなことです。
 
 
「八木仁平の自己理解チャンネル」
                
 
 
 
 
#アラフィフ就職活動 #心理学 #自分の心に耳を傾ける #自己理解プログラム

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悲しみを克服するには

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我が家の庭の木。2年前に住み始めた時よりだいぶ成長しました!緑が眩しい。
夫と別れてからちょうど2年が経とうとしています。精神衛生上はこの上なく良いけど、なんせ金銭的に苦しい💦これには色々な事情があるのだけど、、、
 
たびたび、本当にお金のことで不安でいっぱいになる時がやってきます(それはつまり、来月の家賃が払えるのか?という不安です)。数日前、いよいよもう本当にこれは大変な状態にあるのかもしれないと、これまで以上に不安が襲ってきました。具体的にどういう状況だったかと言うと、自分の部屋の机の上で、来月の家賃どころかこの先暮らしていけるんだろうかという不安でお先真っ暗な気持ちになっていました。でも、家の中にはハーパーとメレンがいつも通り過ごしています。夕ご飯を作らなくてはと台所に立ち、この不安な気持ちを少しでも増しにするためにYouTubeでバッハの「G線上のアリア」を流しました。別にクラシック愛好家とかではないのだけど、この曲とグリーグの「朝の気分」は、小学校の登下校中に流れていた曲で、しばらく前にそのことを思い出して聴いてみたらすごく懐かしくて心が癒されたのです。
 
「G線上のアリア」を聴いていたら、気持ちが落ち着いてきて、そして目に涙が溢れてきました。その後、これまた子供の頃ピアノを習っていた時に大好きだったパッヘルベルの「カノン」を聴き、最後にSpotifyで「The most beautiful piano pieces of all time」というリストを流したら一番最初の曲がまた素敵で大泣きしました。
 
泣きながら、泣くことを許している自分に気づきました。段々と優しい気持ちに包まれ、心が癒されていくのを感じました。自分を可哀想とは決して思わないけど、結婚生活に失敗したこと、これまで自立した人生を歩んでこなかったことへの悲しさ、悔しさはある。それは誰かのせいと言えばそうだし、自分のせいと言えば自分のせい。何でこうなってしまったんだと思うから悲しくなる。どこかで、こんな状況になったことを誰かのせいにしたい。もっとサポートしてくれるはずだった元夫のせい?(一応ある程度はサポートしてくれています)若い時から「仕事」をすることへの意識が薄かった自分のせい?私は子供の頃からお勉強は良くできる子でした。でもなぜか、「自分のお金で生計を立てる」という観念があまりなかった(苦笑)。「温かい家庭を築きたい」そういうふわっとした願望しかなかった気がします。
 
でも、十分泣いたら元気が出てきて、無事ご飯を作り終えることができました。ちなみにその晩はメレンがリクエストしたハンバーガーサラダという、ハンバーガー用のひき肉を普通に痛めて、刻んだレタスとトマトを合わせ、自家製In-N-Outソースで絡めるとハンバーガーを食べてるのと同じ味になるという料理(笑)。
 
元気になったら改めて気づいたことあります。それは、これまでにお金の不安が最高潮になる度に、仕事を見つける原動力になってきたということ。これは事実。今年の1月に市役所での仕事を見つけた時もそう。そして、最近見つけた新しい仕事を探し始めた時もそうでした。いよいよパートタイムだけでは生活が厳しくなってきたため、2か月前からフルタイムの仕事を探していた中、公立の小・中学校の教室でサポートが必要な生徒を助けるパラエヂュケーターという仕事を知りました。私の住んでいるサンディエゴ学区ではPIF (Paraeducator Independent Facilitator) と呼ばれていて、障害のある子どもを対象に障害の程度によって特別学級クラスや、普通学級でサポートするのが主な仕事です。私にもできるかもしれないと軽い気持ちで応募したところ、代理(Substitute)ではすぐに雇ってもらえて、9月末から週に4日(オフィスの仕事も週一日継続している)働いています。これが意外や意外、私にぴったりの仕事だったのです。子供が好き、人とコミュニケーションをとるのが好き、人を助けるのが好き、変化に富んでいる、屋外に出る(一日中オフィスにいるという環境が苦手)、そして朝早く始まって、午後3時には帰れる!(これすごく大事)。すでに10か所以上の小・中学校に出向き、様々PIFの仕事を学びながら、先生方や他のPIFの方たちと人間関係を築くのはとても楽しく、いずれはフルタイムのポジションをゲットできればと思っています。
 
週一で受けているカウンセラーに言われたのは、「blame(誰かのせいにすること)もgrief(悲しみ)の一部」ということ。人生に起こるあらゆる理不尽な出来事に対処するためには、そういう心の作業が必要だということですね。
 
 
〈心がしんどい時にお勧め!〉💛
 
バッハ「G線上のアリア」https://www.youtube.com/watch?v=thQWqRDZj7E
グリーグ「ペール・ギュント」から「朝の気分」https://www.youtube.com/watch?v=PKy-wvmhBxQ
パッヘルベル「カノン」https://www.youtube.com/watch?v=Pppexz-KKig
 
 
#アラフィフ就職活動 #健やかに生きる #心理学 #自分の心に耳を傾ける #自己受容

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しんどいです

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珍しく一人の時間ができた週末の... 珍しく一人の時間ができた週末の夕方、バルボアパークへ。必ず見るMoreton Bay Fig Tree(オオバゴムノキ)の巨大な根っこ。「ああこの根っこの細胞みたいに強くなりたい」と思う。 しんどいです 夕暮れ時もまた良い。遠くに見え... 夕暮れ時もまた良い。遠くに見えるのはオルガンパビリオンです。
1月に23年ぶりのオフィス勤務を初めて丸4か月が経ち、すっかり仕事にも慣れました。法律の知識なんてゼロなのに、私にもできる仕事があることに正直驚いています。私が主に担当しているのは、民事訴訟で証拠として使われるデポジション(証言録取)をまとめる作業で、文章を書くことと心理学が専攻の私にはもってこいの仕事なんですね。これまで扱ったケースは薬物の過剰摂取や幼児への性的虐待など深刻なケースから、道路がきちんと整備されていなかったためにお年寄りがケガをしたケースなど(深刻でないとは言いませんが💦)、様々な内容があります。
 
2月には就職に繋がる可能性のある非営利団体(DVや性的被害に遭った人たちをサポートする)でボランティアするために65時間半のCrisis Intervention Trainingを受けました。オンラインと対面の両方でしたが、大学の勉強もあるため結構大変だったけど、無事終了。今はホットライン回答者としてシャドーイングをしながら訓練中です。今週、やっと大学が1週間休みになるので少し息抜きできる…と思った矢先、風邪を引いてしまいました。仕事は丸5時間ほぼPC作業、家でも勉強するためにPCに向かっている時間が長いせいか、肩こりが半端なく、しかも前回のブログにも書いたファイル解体作業を長時間続けたせいで腱鞘炎になってしまった腕がまだ治らず、結構シンドイ状態です💦
 
でも、仕事や勉強の大変さ、身体のしんどさよりもずっと精神的にキツイのは、子供から何か否定的なことを言われた時なんです。先日、常に妹に厳しいメレンに一言物申したら、逆ギレされて「ママは頭がおかしい、話にならないから誰か仲介者を呼んで」などと言われ、今度は私が逆上し、一触即発状態に。ニールが間に入ってくれてなんとか場は収まったものの、その後1週間、鬱っぽくなってしまいました。自分の中にあれほどの怒りが溜まっていたことに驚き、そして娘を罵倒してしまったことに深い罪悪感を抱きました。「どんな正論も振りかざしたら圧になる」って最近見たドラマで言ってたけど、私がしていることはまさにこれでした。
 
成績のことで落ち込んでいるハーパーを励まそうと、「成績がすべてじゃないよ。ママを見てごらん。高校の化学でD取ったけどこうやって真っ当に生きている」って言ったら、「I don’t want your life」って言われちゃうし(大泣)。カウンセラーを目指そうかと思う、とニールに打ち明けると、「I don’t want you to be」だって。口うるさい私がもっと偉そうに人生論を語るようになると思ったらしい。
 
私は自分なりにすごい頑張ってると思っているけど、子供たちは1ミリもそんなこと思っていないことがよくわかりました(苦笑)。まあそんなもんですね。何事も頑張りすぎないことです。ここ数か月、セルフケアを怠っていたので、今週はスローペースで、自分を労わって過ごしたいと思います。頑張らないのもまた難しい。でも、頑張りすぎると傲慢になっちゃうから、やっぱり頑張りすぎないことですね。
 
 

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新しい仕事が一つ決まりました!

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市役所の目の前にある銅像。サン... 市役所の目の前にある銅像。サンディエゴ・ベイに面しています。
サンクスギビング、クリスマス、新年と無事ホリデーシーズンが終わったものの、今年は珍しく名残惜しくてまだクリスマスツリーを飾っています。
 
さて私事ですが、なんと仕事が一つ見つかりました!といってもインターンですが、お給料もいただけるし、サンディエゴ市役所のCounty Council(民事訴訟を扱う弁護士事務所みたいな部署)での従業員になるので、こんな貴重な経験はありません。最初に面接のお話をいただいた時は、パラリーガルの元で働く事務仕事とは言え、法律のことなんて何も知らないしムリムリ、と思ったのだけれど、いや待て、私には仕事が必要、選り好みしている場合ではない、それに自分が不適格だったら受かるはずないし、、、ととりあえず面接だけ受けてみることにしたました。そしたらまさか採用されてしまい、嬉しいと同時に一気に不安になりました。「私にできるかな~迷惑をかけることになったらどうしよう」と。でも、23年ぶりのオフィス勤務というのはワクワクするし、自分のやりたいことを仕事にしたいと決意して大学に戻ったからこそ得られたチャンスです。当然法律関係に進むわけじゃないけど、きっと自分にとって価値のある経験になるはずだし、やれるだけ一生懸命やって、ダメだったら辞めればいいだけの話だ、と自分に言い聞かせました。
 
1月2日が初出勤。市役所のあるダウンタウンまで、うちから10分なので通勤はとても便利です。ヒールのある靴を履いてビジネス風の格好をするのも本当に久しぶり(実は前日、ハーパーにやり方を教えてもらって髪も巻いたの)。ドキドキしながら市役所のセキュリティを通過して3階に上がると、長い廊下の突き当りに木でできた重厚な両開きの扉が見え、左側に「Entrance」、右側に「Exit」と書いてあります(つまり一方通行)。9時5分前にその重い扉を押すと、意外にも小さな待合室になっていて、ガラス越しに受付の女性が笑顔で迎えてくれました。Zoomで面接をしたVが私のスーパバイザーで、チーム全員に私のことを、「彼女はとってもやる気があるから、きっと頼もしい助手になってくれるはず!」と紹介してくれ、経験のない私の存在を有難がってくれているんだ、と嬉しく思いました。職場は明るい雰囲気だけれども、やはり法律を扱っているだけに、無駄口を叩けない緊張感が(私が変に緊張してるだけかもしれないけれど)。でも、月金はリモートで働く人が多くてガラガラで、多くの人は火~木に出勤しているようです。
 
一体どんな仕事が与えらるのかな、、、とドキドキしていたら、初日はオンライン上のトレーニングが準備できていなく、「デポジション(証言録取)のサマリーの仕事があるけど、いきなりだと大変かしら?書類をシュレッダーにかける作業もあるけれど、どっちが良い?」と聞かれ、いきなり難しい仕事(最初はデポジションが何かも知らなかったし)をしてヘマするのは申し訳ないと思い、シュレッダーを選んだ私(苦笑)。しかし、これが想像以上の肉体労働(?)で。まず、書類の量が半端ない。私が実際に行うのはシュレッダーにかける前の作業で、様々なタイプのフォルダーを解体し、ホッチキスを外して、紙をシュレッダー専用のごみ箱に捨てること。このホッチキスを外す作業がネックとなったのです。初日なので緊張していたせいか、私は何も考えずに手で外していたんですね(バカですね)。ホッチキスの先に外す部分があるのは知ってたのですが、その普通のホッチキスが見当たらなかったんです。勤務時間5時間のうち(私のスケジュールは木曜以外の平日の9時から2時まで)、3時間この作業を続けていたら爪がボロボロになってしまいました。さすがに次の日、ホッチキスの芯を外す道具があるか聞いたら、専用の器具があったので作業はだいぶ楽になったのだけれど、一日2時間は費やしていたら4日目には右腕が腱鞘炎になってしまいました💦この作業の他にオンライントレーニングをしたり、先に書いたデポジションのサマリーを書いたりという仕事もあるので、しばらくはそちらの方はお休みすることにしました(笑)。
 
一般的な勤務時間は朝9時から午後5時なので、5時間しか働かない(しかも週4日)私は贅沢を言っていられないのだけれど、逆に5時間勤務だと休憩時間が15分しかないのです💦休憩はベイに面した気持ちの良いラウンジで取れるものの、なんせ時間がないので、持ってきた小さめのお弁当を急いでかっ食らっています(笑)。
 
これまで、いくつかの仕事を経験してきましたが、どこかで「本当はやりたくない」という気持ちがあったことは確かです。今回の仕事も自分の専攻である心理学と直接は関係ないけれども、訴訟の裏側にあるのは常に生身の人間です。デポジションのサマリー(実際にやり方を教えてもらったら、時間はかかるけれどそれほど複雑な作業ではなかった)をしていて、特に人が亡くなるケースなどは、いろいろと考えさせられます。実は、このサマリーをしながら自分が採用された理由の一つがわかったのです。翻訳コーディネーターを経験してきたことです。機密書類を扱った経験はもちろん、忘れていたけど実はデポの翻訳もしたこともあるので、そういったことが採用のきっかけになったのではと思うと、これまでの経験も無駄ではなかったんだなあと有難く思いました。
 
仕事が始まった一週間後には大学の新学期も始まりました(オンラインですが)。家事もあるし、私大丈夫なのかな~?と不安だったけれど、クリスマスに親戚から現金をもらって物を買う喜びを覚えたハーパーが、お小遣いかせぎのために平日は洗い物を担当してくれたり、来月にはメレンが運転免許証が取れるので、その分送迎も減るし、何かと助けてくれるかなと思うので、やっていけるかな!?と思っています(ニールも、もちろん頼りになっています)。
#アラフィフ就職活動 #子育て

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また一つ、自分を許しました

スレッド
私が誇れる仕事といえば、子育て... 私が誇れる仕事といえば、子育て。
去年の10月に別居してから、もうすぐ1年が経とうとしています。あっという間、という気もするし、ここまで心が整うまでこれだけの時間が必要だったんだなーとも思います。

別居してからの行動を振り返ると、

①   仕事を見つけなくては!と焦って不動産の資格を取ろうとオンライン教材を買う→まったく興味がわかず、挫折。

②   自分が本当にやりたいことを見つけよう!と3か月のオンラインコーチング付き『自己理解プログラム』を受講する→やりたいことが見つかった!

③   …ものの、未経験の分野のため、(ずっと夢でもあった)4年制大学の卒業資格を取得するため、心理学でオンライン大学の3年生に編入する。

④   勉強の時間を確保するため、最低賃金で5年間務めたパートタイムの仕事(翻訳会社)を辞める。

⑤   大学の勉強にも慣れてきたことと、金銭的な不安からフルタイムの仕事を見つけようと考えている→今ここ。

 「仕事を探さなくては」とずっと思ってはきたものの、心のどこかで就職することに不安を抱き、避けてきたと思います。1年経って、本格的に就職活動をしようと決め、改めて自分が就職することから逃げてきたことを自覚したのです。

これは、もしかすると私の19年間の結婚生活で少なからず感じてきたことかもしれません。私は子育てが大好きだったので、特に働きたいと思ったことはありませんでした。自信を持って、Facebookのプロフィールに「主婦」と書けました。今でも、働きたいかと聞かれれば、本心は働きたくないかもしれない。それは、お金を稼いで働くことだけが働くことではないと思っているからとも言えます。とはいえ、心のどこかで、これまでいわゆる「キャリア」を持ったことがない自分に引け目を感じていたことは確かです。

48歳で別居することになり(今49歳)、フルタイムの仕事を探すとなった時、(職種を選ばなければ)実はそんなに難しくないのでは、とたかをくくっていました。でも、短大卒で(アメリカでの)経験がない、となると就ける仕事は限られているんですね。世間というものは、やはり学歴や経験値で人間を判断するものです。そこでどうするかというと、ボランティアやインターンなどで経験を積む方法があるんですね。(ちなみに私は、心理学でも福祉関連の仕事を探しています)ボランティアなんてしてる場合じゃない…って最初は思ったのだけれど、よく考えたら、自分が本当に働きたい分野でタダで経験を積ませてもらえるなんて、こんな有難い話はないんですよね。ボランティアでの経験がいずれフルタイムの仕事につながれば、そんな嬉しいことはないんです。

私の職探しはまだ始まったばかりです。でも、自分の立ち位置(短大卒、未経験)を自覚して、心細さや不安も肯定した上で、初心に帰って、こんな私がどこから職探しを始めたら良いのか、知人に紹介してもらった方やオンラインの求人サイトなどを頼りに、これから手探りで見つけていこうと思います。
#アラフィフ就職活動 #健やかに生きる #子育て #心理学 #自分の心に耳を傾ける #自分らしく #自己受容

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