記事検索

波猫まち子の日記

https://jp.bloguru.com/naminekomachiko

Jay Shettyのワールドツアーに行ってきました!

スレッド
一昨日、Jay Shettyの新刊『Love Rules』を記念したワールドツアーを観に、L.A.のYouTube Theaterまで行ってきました。

皆さん、Jay Shettyをご存知ですか?
元僧侶で、現在はヘルス&ウェルネス分野で世界一視聴されているポッドキャスト『On Purpose』のホストでありライフコーチ、『モンク思考: 自分に集中する技術 (Think Like A Monk)』の著者です。

私が彼について詳しく知ったのは去年末。一旦は不動産の資格を取ろうと勉強を始めたものの、まったく興味が湧かないことに気づき(苦笑)、「一体私はどんな仕事がしたいんだろう?」と、「今48歳。自分の仕事を選ぶ最後のチャンスだとしたら、とことん本当にやりたいことを見つけたい」と考えるようになりました。以前、『世界一やさしいやりたいことの見つけ方』という本を芸人の中田敦彦さんのYouTube大学で知り、著書を購入して自分でワークをしてみたことがありました。その時は本の内容に感銘を受けたものの、そこまで納得のいく答えが得られなかったのですが、著者の八木仁平さんが運営する自己理解プログラムのLINEには登録したままだったので、時々メッセージが届いていました。そのLINEの内容に再び心惹かれ、彼のYouTube動画を見ている中で、「好きな分野があったら、ドンドン関連する本を読んだり動画を見たりするといい」という言葉があり、自分の好きな分野である心理学やセルフヘルプ系の動画をいろいろ見ているうちにたどり着いたのがJay Shettyだったわけです。

私が彼を好きなのは、3年間のインドでの僧侶生活で得た知恵を、誰もが日常生活に取り入れることができるよう、わかりやすく伝えているところ。彼のポッドキャストには様々な業界で活躍している人たちが出演するのだけれど、誰もが辛い経験をどのようにして乗り越えていったかを語っていました。Jay Shettyを始め、いろんなモチベーションスピーカーのポッドキャストを聞くようになって、その中で私が気づいたことが、「誰もが人生の発展途上にある」ということでした。「ここに到達したらゴール」とか「正解」とか「完璧」とかはなく、人は日々学び、成長し、失敗し、時に成功することもあり、また失敗し、学び、成長する。その繰り返しであるということです。

ワールドツアーの話に戻ると、当日は長女のメレン(15歳)も一緒に来てくれました。彼女もJayのことをちょっと知っていて興味を持っていました。彼女の提案で張り切って学校を早退してお昼過ぎに出発(L.A.までは2時間半かかります)、途中Laguna Beachのお洒落なスタバに寄り道した後、ディナーを予約しているウェストハリウッドへ。予約の時間までは丘の急斜面に建ち並ぶ豪邸を見学。メレンが予約してくれたCasa Maderaっていうレストランは、リゾートに来たみたいな明るい雰囲気で、大きな窓からロサンゼルスの街が見渡せてとっても素敵。お値段も同様に素敵な感じだったので、ブッラータっていうフレッシュチーズ(トリュフの風味付けがされてて、ハニーコームと一緒にシラントロ入りのピタブレッドで食べる)とまぐろのタルタル(こちらはいたってフツー)と控えめに注文しました(苦笑)。

気づいたらもう6時過ぎ。ウェストハリウッドからYouTube TheaterのあるInglewoodまで1時間もかかるため、大急ぎで出発。途中トラフィックが半端なくて、7時半のショーに間に合うかめっちゃ焦りました。無事ギリギリ到着した時は心底ホッとしたのは言うまでもありません。

Jayは決してステージに立って一方的に話すのではなく、4000人の聴衆の中に自ら足を運んでインタラクトし、優しい笑顔と力強い言葉で私たちの心をわしづかみにしました。ほぼ3時間にわたる長時間のショーが終わった後、私が感じたのは、「私たちは皆、愛に満ちた存在である」ということです。

実は1月から、先に書いた自己理解プログラムの個人的なコーチングを受けています。このプログラムのコンセプトは「3カ月でやりたいこと探しを終わらせる」です。様々なワークを通して自分を深堀りする中で、確かに今まで気づかなかった本来の自分らしさが見えてきました。一人で取り組むのと、コーチと直接話をしたりフィードバックをもらうことの差を大きく感じています。3か月後にどんな未来像が描けるようになっているのか?今からとても楽しみです。

 ■Jay Shettyのポッドキャスト:https://www.youtube.com/@JayShettyPodcast.

■Jay Shetty “Think Like A Monk” https://www.amazon.com/Think-Like-Monk-Train-Purpose/dp/1982134488

(日本語版)ジェイ・シェティ:『モンク思考: 自分に集中する技術』
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%AF%E6%80%9D%E8%80%83%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%AB%E9%9B%86%E4%B8%AD%E3%81%99%E3%82%8B%E6%8A%80%E8%A1%93%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%86%E3%82%A3/dp/4492046976

■Jay Shetty “8 Rules of Love: How to Find It, Keep It, and Let It Go”
https://www.amazon.com/Rules-Love-How-Find-Keep/dp/1982183063/ref=pd_lpo_1?pd_rd_w=gWNH3&content-id=amzn1.sym.116f529c-aa4d-4763-b2b6-4d614ec7dc00&pf_rd_p=116f529c-aa4d-4763-b2b6-4d614ec7dc00&pf_rd_r=7N0H2EF5FGKY623Q8C1N&pd_rd_wg=4Kq2y&pd_rd_r=591a1468-d599-428e-8829-63bf84c6e828&pd_rd_i=1982183063&psc=1

■中田敦彦『YouTube大学』【やりたいことの見つけ方①】人生のモヤモヤから解放される自己理解メソッド:https://youtu.be/sk23TqDytzI
 
■八木仁平著『世界一やさしいやりたいことの見つけ方』:https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%B8%80%E3%82%84%E3%81%95%E3%81%97%E3%81%84%E3%80%8C%E3%82%84%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%8D%E3%81%AE%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%81%91%E6%96%B9-%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%AE%E3%83%A2%E3%83%A4%E3%83%A2%E3%83%A4%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A7%A3%E6%94%BE%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E8%87%AA%E5%B7%B1%E7%90%86%E8%A7%A3%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%83%E3%83%89-%E5%85%AB%E6%9C%A8-%E4%BB%81%E5%B9%B3/dp/4046044357

■自己理解プログラム:https://jikorikai.com/

■レストランCasa Madera: https://thecasamadera.com/

ワオ!と言っているユーザー

人間は、決心しただけで幸せになれる

スレッド
今からちょうど8年前。子育てが... 今からちょうど8年前。子育てが私の幸せでした。
2022年10月15日、私と子供たちは、それまで住んでいた家から徒歩5分の借家に引っ越しました。住んでいた家はすでに売却していました。つまり私は、19年間暮らした夫と別れる決意をしたのです。私のブログを読んでくださっている方たちには、私が夫との結婚生活に悩んでいたことをご存知かと思います。特に3番目が生まれてから、つまりこの売却した大きな家に引っ越してきてから、私たちの結婚生活は多くの問題を抱えていました。それでも続けてこられたのは、子供たちがまだ手のかかる年齢で私自身、子育てが楽しくてそれだけで幸せだったことが何よりも大きかったからではないかと思います。そういう意味では、家族で過ごす時間は少なかったにせよ、経済的に支えてくれた夫には感謝しなくてはなりません。

この問題だらけの結婚生活、夫婦の関係をどうにかせねばと思わせる出来事が去年の11月にありました。自分だけではどうにもならないと判断し、初めて夫の両親と弟に自分たちの問題を打ち明けたのです。それが解決へのスタートだったと言っても過言ではありません。私はかかりつけの病院を通してカウンセリングを受け初め(同時にそれまで夫のことで相談にのってもらっていた親友の1人にもメンターのように定期的に会って話を聞いてもらうようになり)、今後の夫婦のあり方について真剣に考え始めました。その時点で私が思っていたことは、「離婚する・しないに関わらず、お互いが幸せになる方法を見つけたい」でした。私の中には、まだ離婚に対する経済的な不安があり(自分自身がフルタイムの仕事に就いていないため)、同時に家族を維持することが義務のように感じていました。しかし、離婚への不安は夫の弟から「カリフォルニアでは離婚したら資産は折半される」ということを初めて耳にしてから、自分にも可能かもしれないと思い始めていました(こんな常識的なことすら知らなかったのです)。

でも、本当に別れる決心がついたのは私自身の力ではありませんでした。一言でいえば、法的な力が働き、初めて私は、自分自身の常識が世間一般とはかなりかけ離れていたことに気づいたのです。また、ある友人の「すでに限界は来てるんじゃない」という言葉にハッとし、「一体自分は何を我慢しているんだろう」と目が覚めたのです。

そこからは一気に物事が進み始めました。私は夫に別れたいと申し出、家を売却する提案をしました(かなりの借金を抱えていたからです)。決心してから家を売却するまで約3カ月、それから実際に出るまで1か月かかりました。義理の両親に相談してから約1年後でした(ちなみに義理の両親と弟は、それ以来ずっと心の支えになってくれています)。

家を売却してくれた不動産屋さんは地元では知らない人はいないくらい腕の良い方で、またご近所さんでもありました。彼女のおかげで家はスムーズに売れ、しかも徒歩数分圏内に可愛らしい借家まで(彼女曰く)天からの思し召しのように見つかったのです。私と子供たちはベッド等、最低限の物だけをU-Haulの小さなトラックで4往復して運び出しました。夫も1往復だけ手伝ってくれました。

あの家を出ること。それは私がずっと望んでいたことのように思います。でもそれができなかったのは、経済的な不安と、それ以上に離婚して一人になることへの精神的な不安が大きかったからです。しかし、経済的な不安は、とりあえず財産(家の売却金マイナス借金)を折半することで当分は解決されました(もちろん今後はフルタイムの仕事に就かなくてはなりませんが)。そして、もう一つの精神的な不安、それが実際は、想像していたのとはぜんぜん違って、まったく無かったのです。まず、私は一人じゃないんですね。子供が3人いて、しかも上2人は17才と14才だからほぼ手がかからない。私は、寂しくなるどころか、とんでもない自由と精神的安定を手に入れたのです。それは、家具一つ選ぶことから家事一つやることまで、誰の目や指示を気にすることなく、自分の好きなように、好きな時にやっていい。こんな自由がなぜこれまでの結婚生活になかったのでしょうか。例えば、イスを買ったとします。アマゾンで届きました。これまでだったら、「ああ組み立てなきゃ」「夫がやってくれないかな。なんでやってくれないのかな」「(夫に言われる前に)早くやらなきゃ」と様々なストレスがあったのに、今は、単純に「今日疲れてるから明日やろう」でお終い。誰に気を遣うこともなく、誰にも文句は言われない。自分のペースで決められることの何とも言えないすがすがしさよ。

引っ越してきてから、ある程度ご近所さんの目を気にすることはありました。自らパンプキンブレッドを焼いて届け、「私たちは怪しい者ではありませんよ」といわんばかりに愛想を振り向いたのは、やはり新しい(徒歩5分とは言え、初めて知り合う人たちがほとんど)コミュニティには受け入れられたかったからです。そして、折半したお金と夫からのある程度の養育費に頼ることなく自立すべく、フルタイムの職を探さなくてはならないことは十分自覚しています。実は、家の売却を手伝ってくれた不動産屋さんと親しくなったことで、不動産業に興味が湧き、不動産の資格を取るために勉強を始めました。自分の今の仕事(翻訳会社のコーディネーター)もあるため、なかなか思うように勉強する時間が取れないのですが、でも、本心はどこか本気でない部分があるんだと思います(苦笑)。ハイ、私はレイジーなんです(苦笑)。でも、自分に言い聞かせています。「誰に言われるわけでもなく、自分で選んだことをやる時初めて、私は自分の人生を生きているんだ」と。

この可愛らしい借家に引っ越してきてから約2か月が経ちました。不安がゼロとは言いません。問題がゼロではありません。父親が家からいなくなったことによる子供たちへの影響はその中でも一番心配です(もちろん子供たちはお父さんに時々会っています)。それは次女の突然始まった反抗期にすでに表れています。また、将来への経済的不安もあります(私は果たしてフルタイムの仕事に就けるのだろうか)。でも、これまでずーっと毎朝暗い気持ちで歩いていた近所の運河沿いの散歩コースを歩く時、「自分はもうあの時みたいに悩んでいない」そう思えるだけで、自分は何て幸せなんだろうと思うのです。

私が尊敬する心理学者の加藤諦三先生が、あるYouTube番組でこうおっしゃっていました。「人間には退行欲求と成長欲求があって、悩んでいる時は安定している退行欲求に縛られている。でも、成長欲求を選べば幸せになれる。リンカーンはかつて、「人間は決心するだけで幸せになれる」と言った」と。

私が本気で幸せになろうと決意するには、多くの時間と思考が必要でした。一人になることへの経済的・精神的不安と、家族を壊すことは良くないという考えに縛られていたからです。でも、それ以上に、私自身が「自分には幸せな人生を送る権利がある」と気づいたことがすべての引き金となりました。成長欲求を選ぶこともまた、そう簡単なことではないのです。自分の中の機が熟し、かつ周囲とのタイミングが合って初めて行動に移す勇気が生まれてくるのかもしれません。

引っ越してきて初めて、私は自分の部屋というものを手に入れたのですが(それまでハーパーと寝ていました)、自分の趣味で選んだ絨毯やナイトテーブル、ナイトランプに囲まれて眠りにつく時、私は今日という日に感謝せずにはいられません。

ワオ!と言っているユーザー

私が最も恐れるもの

スレッド
人はそれぞれ、他人には理解できない恐れというものを抱えていると思います。

私にとっての恐れ、それは「孤独」です。あるいは「ひとりぼっちになること」。

子供の頃はまったくそういうものを意識することはありませんでした。3人姉弟の真ん中で割と社交的で、でも日記を毎日欠かさず書くなど、自分の世界も大切にしていました。

私が一番最初に孤独の存在を意識したのは、多分高校2年生の時。朝日ウィークリーという新聞が主催する交換留学生プログラムに応募し、その研修旅行で箱根に1泊2日で参加した時のことです。初めて会う人たちの中で緊張もしており、それでもすぐに友達ができたのですが、何かの拍子に皆で旅館の窓を開けたのです。大型旅館の上の方の階だったと思います。外は漆喰の闇。まるで吸い込まれそうな恐怖を感じたことを今でも覚えています。

そして、決定的な寂しさを感じたのは、家から遠い大学に通うことになり、一人暮らしをするアパートへの引っ越しを母親に手伝ってもらった時のことです。荷物を運び終わって帰ろうとする母に、一人になるのが耐えられず、「もうちょっとだけ居て」とお願いしたのです。しかも、私の記憶では母だけが引っ越しを手伝ってくれたということになっているのですが、実際には伯父がトラックを出してくれ、姉や弟も手伝ってくれていたのです。母が私の部屋で昼寝をして時間を潰してくれている間、彼らはトラックの中で待っていてくれた、という話を後から姉に聞いて、本当にびっくりしました。私の記憶の中からすっぽり消え去っているのですから。

この「一人でいることの寂しさ」は、後々の私の人間関係(特に男性との)に強く影響を与えたと思います。

19年間の結婚生活を経て、私は今、また孤独と向き合おうとしています。でも、48才になって3人の子供も得た私は、20代の私とは違います。寂しさと向き合える勇気を得たと言えると思います。本当は今でもとっても怖いのだけれど(苦笑)、自分の中から生まれてきた気持ち、そして、何よりも周囲からの大きな支えがあって、遂に人生を変えようという決心をすることができました。

私はひとりだけど、一人ではない。本当の意味で、自分と仲良くやっていける方法をこれからも模索し続けたいと思います。

ワオ!と言っているユーザー

新学期、始まりました!

スレッド
パピーだった頃のブルース。12... パピーだった頃のブルース。12年前!
これほど子供たちが学校が始まるのを楽しみにしたことが、かつてあったでしょうか。今年ジュニア(高2)になるニールでさえ、ちょっとソワソワしている感じでした。

8年生(中2)になるメレンの専らの関心はファッションと男の子だけど(自分もこの年齢の時は○○君がカッコイイとかそんな話ばっかしてたなー)、とりあえず勉強もおろそかにはしてないようなので、ひとまず安心。

3年生になるハーパーは4年生とのコンビネーションクラスに配置され、学校から「あなたはしっかりしていて、人と協力し合うことができて、向上心があるからhand-picked(選りすぐり?)されたんですよ」というレターをもらって、そのことを告げるととても誇らし気な様子。一番下だけあって、どうも普段上の兄姉に虐げられている感が拭えないので、私としては彼女に自信を持ってもらいたいという気持ちがあったので、これはとても嬉しい出来事でした。

そしてニール。少し前に珍しく家族で夕食を食べに出かけた時、会話の中で「大学には行きたくない」と言い出して私たちをビックリさせました。何となく予想はしてたけど・・・。で、子供が大学に行きたくないと言う時に大抵の親が言うようなこと(「大学は勉強するだけの場所じゃないよ。いろんな人に出会ったりして人生経験の場なんだ」「今やりたいことがはっきりしているならまだしも、何もないなら、大学の卒業資格がないと仕事を探すのは難しいよ」「大学に行かないなら、働くしかないよ。何もしないでそのままこの家に居座るっていうチョイスはないからね」等々)を告げました。

話を聞いていて私が驚いたことがもう一つ。「自分はずっと学校が嫌いだった」と言うのです。確かに、中学生くらいから少し成績が落ち始め、それでもそこそこの成績を保ってきたのだけれど、いわゆる「不登校」になったことはありませんでした。友達がいたからかもしれません。それでも、去年は浮かない顔をするようになったり、「お腹が痛い」と訴えて休みたがることがあったので、「大丈夫かな」「何か悩んでいるのかな」と心配することが度々ありました。

で、登校4日目の木曜日。やっぱり(?)「お腹の調子が悪い」と言って休みたがりました。今までの私だったら無理やり行かせていたのだけど、ジュニアという進路を考えなくてはいけない大事な時期に入ったということで、もし何かで悩んでいるんだったら適当に対処しない方が良いと思い、とりあえず休ませました。美味しい朝ごはんを作ってあげて、少し話をしました。「やっぱり学校は嫌いなの?」というと、「あんなに長時間学校にいるなんて時間の無駄」と言います。でも、「大学には行きたい。成績を上げたいと思ってる」と言うのです。でも、それは本心からなのか、それとも親の意見に従おうとして考えを変えたのか、それがわからないところです。

早速、「高校生の不登校」についてのYouTubeを検索する私(苦笑)。そこには、「見守るだけではダメ」というのがありました。見守っていると、5年10年過ぎてしまうこともあると。子供に選択肢を与え、そしてそれはあくまで親の自己満足から提案しているという姿勢が大事、というのがありました。「あなたのためを思って」ではなく、「お母さんが好きで調べて、こういう選択肢を見つけてきたけど、決めるのはあなただから」というスタンスが大切、と。

子供が大学に行きたがらない時・・・進路を決めるにあたって、子供に一番合った選択肢を見つけるために、良いアドバイスがあれば教えていただきたいです。

ワオ!と言っているユーザー

パニック障害はパニック障害のままでいい

スレッド
なんかちょっと変わったタイトルですが(汗)…。

私は20代初めの頃(いや、小学生の時にもそういうことはあった)から、ストレスが溜まると心臓がドキドキして呼吸が苦しくなるような、よって「死んでしまうのではないか」という不安に襲われることが度々ありました。

会社務めを始めた時に、実家(当時、母は埼玉の田舎に家を建てて引っ越していた)が遠かったため、都内にアパートを借りた時には、一人の不安からパニックになり、自ら救急車を呼んでしまったほど(苦笑)。でも、病院に運ばれてお医者さんと泣きながら話していたら安定剤を打たれてグッスリ眠りこけ、次の日の朝はスッキリ目覚めて、何事もなかったようにてくてくと歩いてアパートに戻ることができました(苦笑)。

アメリカに来た当時も、運転中にパニックに襲われたりすることがあったため、カウンセリングに行ったこともありました。私の場合、ストレスの原因となるものは大体わかっています。その時はまだ結婚していなかったので、結婚できなかったらどうしよう、という今後に対する不安。長男がキンダーに入学する前の新しい環境に対する不安。そして最近では、すぐにイライラをぶつけてくる夫とのぶつかり合いの中で、自分の気持ちを理解してもらえないという絶望的な不安。

その後、友人に自分の気持ちを吐露することでだいぶ気持ちは楽になりました。しかし、2か月ほど前に、かなり深刻なパニックに陥ったため(心臓がドキドキしてきて、死んでしまうのではないかというよりも、こんなに辛いなら死にたい、そういうふうに思えることが怖い、という状態)、病院に電話し、急遽次の日に電話でのカウンセリングの予約を入れました。

カウンセラーに夫との悩みを打ち明け、どういうふうに接したら良いでしょう、と問いました。カウンセラーに言われてなるほどと思ったことは、「話が通じると思わない方が良い」「自分はここまでだったら対応できますよ、という境界線を作りなさい」ということでした。

そして、また私が救いを求めたのはいろいろなYouTube動画でした(本当に便利な世の中です)。今回私の気持ちをとてもラクにしてくれたのは、『バカの壁』で知られる解剖学者の養老孟子先生の動画でした。私はずっと(今でも少し)死ぬのが怖いと思っていました。それは、自分の意識がなくなることへの恐怖です。でも養老先生はおっしゃっています。「死とは自分の死ではなく、親しい人にとっての死である」と。だって、死んだら自分が死んだってわかりませんものね。そう言われると、なんだか少し安心しました。

多くの亡くなった方たちを解剖してきた養老先生が言うには、死とは自然なものである、ということ。人間は自分が自然の一部であることを忘れてしまいがち。だから死ぬことを恐れてしまう。もう一つ、養老先生の動画でハッとなったのが、「人間は概念で生きている」ということです。だから、「○○であるべきだ」という考えに縛られ、苦しむ。

私が苦しめられてきたもの、それはまさにそういうものだったのです。「家族とは仲良くあるべき」「お父さんはもっと子供と遊ぶべき」「家族は一緒に夕飯を食べるべき」「1年に何回かは家族旅行に行くべき」等々…。世間一般の仲睦ましい家族と比べ、自分の現実はそうならないため、自分は不幸だと思い込んでいたのです。

養老先生はまた、「人に頼ると危険」とも言っています(苦笑)。私たちは、家族や友人に囲まれてるから幸せ、と感じることが多いけれど、それは逆を言えば家族や友人がいなくなったら不幸になるということ。そうじゃなくて、人間以外のもの、自然とか動物とか虫とか、もっとそういうものに目を向けるべきだ、と。人は死ぬと土にかえる、と言いますが、私たちは結局は自然の一部であり、大きな流れの中で生まれたり、死んだりしているんですよね。

もう一つ、私がとてもためになったのは脳科学者の中野信子先生と内田也哉子さんの対談本『なんで家族を続けるの?』の出版を記念したお二人のトーク動画です(あとで本もKindleで読みました)。お二人とも、いわゆる世間一般で言われている「円満な家庭」で育っていません。内田也哉子さんのご両親、女優の樹木希林さんと歌手の内田裕也さんは結婚後すぐに別居、いろいろと問題行動が多かったお父さんの内田さんとは生涯で会った回数は数えるほどしかなくて、そんな自分は間違っているのではないか、という気持ちをずっと抱えていたそうです。一方で脳科学者で活躍されている中野信子さんは一言も口を利かない両親のもとで育ち、友人の家で両親が会話をしている様子に驚かれたとか。中野さん曰く、実は生物学的に見ると、どちらの家庭も「ノーマル」なのだそう。詳しい話はぜひこの本を読んでもらいたいです。

タイトルを「パニック障害はパニック障害のままでいい」としたのは、私が養老先生や中野先生のお話を聞いていて学んだことに、「脳の中の不安を感じる部分はとてもプリミティブ(原始的)な場所で、不安に感じるのは正常な動き」であることがわかり、さらに「不安であること自体に不安になるともっと不安になるので、不安は受け入れて良い」ということを学んだからです。先日、夜寝る前にまたものすごく動揺したときに、この考え方はとてもよく役立ちました。「あ、私の脳のプリミティブな部分が活性化されているんだ。別に異常なことではない。脳の正常な働きなんだ」そう思ったら、不思議なことに不安がやわらいでいったのです。中野先生曰く、身近にいる個体(母親)に愛着を感じるようになる生後6ヶ月くらいの赤ちゃんを対象に行った実験で、母親からしばらく引き離して再会させると、赤ちゃんは「回避型」(離されても泣かず、再会しても母親に無関心)、「安定型」(離されると泣き、再会すると抱きつく)、そして「不安型」(離されると泣き、再会してもなお激しく泣く)という3タイプに分かれ、この最後のタイプが最もストレスを強く感じやすく、常に誰かがそばにいないと不安になってしまうようです(私はおそらくこのタイプ?)。

もう亡くなられていますが、私の大好きな精神科医の河合隼雄先生がおっしゃっていたエピソードがとても印象に残っています。ある立派な会社の社長さんが先生のところに来られて、「仕事をしていると“あいつを殺せ”という声か聞こえてきて仕事にならない、どうしたらよいですか」という相談をされた時に、先生は「その声を無くそうとすると、命がかかるかもしれません。それより、声ぐらい聞こえとっていいんじゃないですか。その声と付き合いながら仕事もしておられたらいいんじゃないですか」と答えたのです。私はなるほど――と思いました。一見、とても深刻に思える悩みでも、こういうふうに考えることもできるのか…と。また先生は、「自分は河合隼雄という人間と一生付き合っている」とおっしゃっています。それは自分の悩みと共に生きるということですね。多くの人が悩みさえ無くなればどんなに良いかと考えるけれど、実際にはそう大して変わらないそうです(苦笑)。それならば、悩みを解消しようとするより、悩みと共に生きたらいいじゃないか。

河合先生は、「呼吸とは魂である」ともおっしゃっています。今でも不安で胸がドキドキすることはしょっちゅうです。でも、それはまさに自分が生きている「あかし」であり、大げさだけど魂の輝きであると思うとそれもまた自分の一部である、と思えてきますね。


ご参考までに私をラクにしてくれた動画:

養老孟子先生:
『死とはなにか?』~死とは自分のものではない~https://www.youtube.com/watch?v=RJoWJ0kkKwU
『人が生きる理由とは?』① https://www.youtube.com/watch?v=3JHB1iCtn60
 ‐物事にすべて理由があるとはかぎらない
 ‐自然を見よ、なんで存在するかわからないものなんて山ほどある
『人が生きる理由とは?』② https://www.youtube.com/watch?v=J3ThQegQvIM
 ‐生きてるからしょうがない
 ‐叱られたら空気の振動だと思ってればよい
 ‐生きる理由を考える状態になったら、その状況を変えなきゃいけない。考えないような
 状況に変えなきゃいけない。一生懸命に何かする、夢中になることを探す。自分が満足し
 て、そういうことを考えないで済む状態を作ることは大事なこと。
『不安から逃げていませんか?』https://www.youtube.com/watch?v=FmSsOb88uzk

文春新書『なんで家族を続けるの?』刊行記念 内田也哉子x中野信子トークイベントアーカイブ https://www.youtube.com/watch?v=l1BQoGQ0yqc

河合隼雄先生:『悩みとは?これが究極の解消法!その先にあるもの!』
https://youtu.be/Nwz3XIjpULg
 ‐悩みと共に生きたらいい

ワオ!と言っているユーザー

Maren’s 13th Birthday RV Trip to Northern California : Day 5

スレッド
予想よりたいぶ高くついたRVト... 予想よりたいぶ高くついたRVトリップ。次回はあるのか…。 思い出に残る旅になったね。... 思い出に残る旅になったね。
一刻も早くサンディエゴに帰って仕事に戻りたいテリーが、「ものすごい渋滞になりそうだから、朝5時に出よう!アラームをセットして4時に起きるように」とやたら張り切っている。というわけで早起きしてモーターホームの内外を運転できるように準備。外側の左右にそれぞれ5~6個あるコンパートメントをロックし、スライドアウトしている部分(ニール達が寝ている2段ベッドとリビングルーム/キッチンの2ヵ所)のボタンを押して元に戻す。テーブルの上に置いてある細々したものも運転中にスライドしないようにしまって、私たちにしては珍しく5時きっかりに出発することができた。

もちろん子供たちはまだ夢の中。まずガソリンスタンドに寄り、給油して自分たち用のコーヒーを買う。フリーウェイは当然ガラガラ。この感じだと3時間でサンディエゴに着きそうだ。運転中はやはり何かを聞いていたいテリーはKPBS(公共ラジオ)を流す(後から気づいたんだけど、モーターホーム全体にかなりの大音量で流れていた)。ロサンゼルス辺りで朝日が昇り始め、渋滞もまったく無く進む。

予想通り、きっかり3時間で朝8時にはサンディエゴの我が家に到着。目が覚めたら家に着いていたので、「一回くらい起きたかった~」とメレンはちょっと残念そう(苦笑)。子供たちの親がそれぞれ迎えに来て、「連れて行ってくれてありがとうね~」と笑顔でお礼を言われる。こちらこそ一緒に行けて良かった、良い思い出になりました~と心から伝える。さて、最後の難関(?)はこのモーターホームの返却。返却時間は5時なのだけど、テリーはもちろん速攻仕事に戻ってしまったから、いつ行けるかわからない。「自分ひとりで行けないの?」と言われたけど、モーターホームの貸主は道幅の狭い住宅地に住んでいるので、ぶつけないで彼女のドライブウェイに停められる自信はない。それに返す前にガソリンも満タンにしなくてはならないし…。「私ひとりでやらなくちゃいけないか…」とギリギリまで不安にだったが、「わかったよ、手伝う」とテリーが言ってくれたので一安心。

しかし…。4時に仕事から戻って来てくれて速攻向かったが(私はモーターホームの後ろについて自分の車を運転して)、うちの近所ではなくて貸主の家の周辺でガソリンを給油することにしたため、まずはスタンド探し。ぐるぐる回ってやっと見つけのだが、隣に停めてあることに気づいた。モーターホームの外壁に黄色のペンキが少し付いているのだ。「これ何?」しかもモーターホームのペンキも少し剥がれていて、ちょっと凹んでもいるようだ。「どこで擦ったのだろう?」とテリーもまったく覚えがない様子。自宅に到着した時にはなかったから、今運転中にどこかで擦ったことになる。うーん、、、これはマズい。

不安に駆られながら、5時ギリギリに(それ以降は遅延料金を請求されるから)無事、彼女のドライブウェイに駐車する。早速、彼女がモーターホームの内外をインスペクト。外側に傷を付けただけでなく、モーターホーム内にも2つほど破損がありました。1つはトイレの外側に小さな穴(横にある2段ベッドの梯子の足が当たったらしい)と、2段ベッドの下にある動かせるテーブル(ベッドがテーブルにもなる)の表面が少し剥がれたこと。テーブルを違う方向にはめ込もうとして剥がれたらしい。貸主も言うように、モーターホームの家具ってドールハウスみたいでほんとちゃちにできているのだ(そのくせ、オーダーメードで高い)。これは出発直前になって気づいたのだけど(ちゃんとレンタル契約書を読んでいない私が悪い)、レンタル代(保険料込み)の他に、$1500のデポジットも払わされていたのです。彼女曰く、そのデポジットでカバーできると良いけどわからないと言うので、自分たちの保険会社にも問合わせることにした。

後味悪くその場を去り、当然帰りの車内でテリーの機嫌が悪くなる。もう一つモーターホームをレンタルする上で私が知らなかったことがあります。レンタル代に含まれているのは走行距離最大400マイルまでで、それ以上は1マイルにつき40セント加算されるということと、ジェネレーター(モーターホームはRVパークにいる時は電源につなげるけど、それ以外の時はジェネレーターをオンにすると移動中でも電源が使える)の使用時間は最大16時間でそれ以上は加算されるということ。ほぼ全員が携帯を持っているから、常に誰かが充電を必要としているので、走行中も時々ジェネレーターをオンにしていたのです。は~。というわけで、それらの費用+クリーニング代等でデポジットの半分はすでに引かれてしまう計算(涙)。

ここからは保険会社とのやりとりが始まります。モーターホームの損害金はまだわかっていません。保険ですべてカバーできれば良いのですが…。まあそういった諸々の頭痛を差し引いても、「あ~また行きたい」と思える旅行になったことは確かです。直前まで「マジ、憂鬱~」と日本に住む姉にメールで愚痴をこぼしていたのですが、その時彼女がくれた返信が、「不安だろうけど、テリーさんを信じて(難しいだろうけど??)、自分も信じて、完璧じゃなくてもそれはそれで大丈夫だから、全部自分で背負おうとせず気負いすぎず、子供たちもきっと力になってくれるよ!大丈夫!きっと良い旅(トラブルも旅の醍醐味?)になるよ!」でした。

まさにその言葉通りになって、さすが我が姉、良くわかってるな~と感心したのでした。本当にいろいろな意味で大変だったけど、その分忘れられない旅になったことは確かです。誰も怪我せずに生きて帰ってこれて良かった(笑)。あんなに体力を消耗していたブルースですが、家に着いた途端いつもの彼に戻ったことをここにご報告いたします(笑)。

ワオ!と言っているユーザー

Maren’s 13th Birthday RV Trip to Northern California : Day 4

スレッド
Purisima Creek ... Purisima Creek Redwoods Preserveにやって来ました。 太陽の差す明るいメドウを進む二... 太陽の差す明るいメドウを進む二人。どこへ行くにもギターを持って。 森の中は、意外ととっても寒い。... 森の中は、意外ととっても寒い。 Maren’s 13th Bi...
昨日の夕方、先にRVパークにチェックインしたテリーは、前日にBBQした焼き過ぎのステーキとアスパラガス、ライスパスタで夕食を済ませて早く寝たようで、朝起きると「今日はサンタバーバラまでドライブ(5時間)しなくちゃいけないから、早く出よう!」と張り切っています。昨日行けなかったレッドウッドの森にも寄りたいので、朝食も食べずに出ようと思ったのだけど、トイレに行ったテリーがなかなか戻ってこないので、子供たちにシリアルを食べさせる(テリーが買ったシナモントーストクランチはみんな大好きなようで)。ようやく戻ってきたので出発しようとしたら、モーターホームのすぐ横にダンプ(汚物・汚水処理)の排水溝があることに二人して気付きました。モーターホームで一番やっかいなのが、このダンプ処理(苦笑)。サンディエゴを出発してからまだ一度もダンプしてなかったので、わざわざどこかのダンプステーションに寄るよりはすぐ横に設置されているここで処理した方がラク、ということで二人してゴム手袋をはめて準備万全に。「今回の旅で、二人でする一番楽しい作業かもしれないね」、と苦笑いしながらダンプ処理に入る。ホースの一方をモーターホームの排水口につなぎ、じゃばら部分を伸ばし、もう一方をキャンプサイトの排水溝につなぐんだけど、排水溝とホースの間に補助具を付けるとホースがしっかりと固定されるのだけど、その補助具がどこにあるのか忘れてしまったので、私がホースが排水溝から外れないようにしっかり押さえることに(涙)。「おし、行くぞ!」と気合を入れて先にブラック水(汚物)のバルブを開く。ドキドキ。次にグレー水(生活排水)。きれいな水でホース内を一応洗ってから元に戻す。無事に任務終了(ホッ)。モーターホーム内の水も補充する。実際には手伝わなかったけど、一連の作業を横で眺めてたニールでした(笑)。

さて、サンフランシスコ近郊には素晴らしいレッドウッドの森林を楽しめる公園がたくさんあるようですが、RVパークからたったの30分で、Purisima Creek Redwoods Preserveという深い森が茂る保護区域でハイキングをすることができました。公園に向かう途中、高台からサンフランシスコ市内や太平洋も見渡せました。1時間というタイムリミットを与え、メレンたちガールズはランニング、ニールたちは太陽が差す明るいメドウ(草地)を目指してギターを抱えて歩いて行きます。私はモーターホームに残っていようと思ってたのだけど、メレンたちは走るからハーパーは追いつけないということで、ハーパーと散歩することに(後でガールズと合流)。森林の中はヒヤッとしていて寒いこと。ジャケットを持ってこなかったことを後悔しました。待ち合わせ場所にちょうど1時間後に戻り、モーターホームでランチタイム。コスコで買ったチキンチリスープを持ってきて良かった。お腹も空いていたし、肌寒い中をハイキングしたので、熱々のビーンスープはもってこいでした。普段はあまり食べたがらないメレンも「おいしい~」と大満足。

さて、サンタバーバラまでは約300マイル(約490キロ)のドライブです。1時間弱のハイキングで疲れたのか、私は眠くなってきた。昨日たっぷり寝たテリーは「大丈夫だから寝て良いよ」と言ってくれたけど、やっぱりどこか安心して眠れない(苦笑)。だって彼、運転しながら持参したGoogleスピーカーを携帯とつなげようとするから、怖くて見てられない。「お願いだから運転中にしないで」というと、「事故って以来、まったくオレの運転を信用しないんだな」。当たり前です。彼がご機嫌斜めになってきたので、メレンを呼んで手伝わせ、私は助手席の後ろのソファに横になった。すると、メレンに頼まれたのか、ハーパーが私の頭上のコンセントに差さっていた携帯の充電コードを引っ張った。すると四角い電源アダプターが私の口の上にボコッ。寝ていた私は「痛ッ!!」とビックリ仰天で起き上がり、「ママがここに寝てるのわかってるでしょ!顔にアザができたじゃない!!」とすごい剣幕で怒ってしまった(実際にアザはできてなかったけど)。「何そんなに不機嫌になってんの」とテリーに言われ、益々ふてくされてしまう私。

サンタバーバラまでは長い道のりなので、帰りもサンルイスオビスポで休憩を取ることに。顔にアダプターが落ちて以来不機嫌な私は車内に残り、テリーとキッズはダウンタウンでお店をのぞいたり、アイスクリームを食べたりした。でも、やっぱり駐禁の警察官が来て「ここには駐車できませんよ」と注意されてしまったので、すぐに全員呼び戻して出発。内陸部からサンタバーバラ市内に入り、RVパークに着いた時には日はとっぷり暮れていました。前回スーパーに寄った時に買ったトライチップロースト(牛肉)がまだあったので、それを焼こう、でもバーベキューグリルがないからプロパンガスで焼かなくては、でも疲れてるしな~などと考えていたら、子供たちはどうやらサンタバーバラの街に繰り出したい様子。今度はテリーが付き添っても良いというので、私はブルースとお留守番することに。Uberはやはり2台頼み、海辺の方に行きたいニール達はまた別行動となり、11時までに戻るようにと言いました。

その日は私が昨夜の残り物(ペルー料理)を食べる番。ゆったりとした音楽を流しながら食事をし、ベッドに横になって白ワインを飲みながら携帯で先週分の連続ドラマを観る。外は強風が吹き始め、不安になりだしたブルースは私のいるベッドルームの横までやってきた。10時近くだったか、賑やかな音がしてテリーとガールズが戻ってきました。夫はハーパーとハングアウトできて楽しかったみたい。その後、無事にボーイズも帰宅。

明日はとうとうサンディエゴに帰る日です。

ワオ!と言っているユーザー

Maren’s 13th Birthday RV Trip to Northern California : Day 3

スレッド
17マイルドライブにある有名な... 17マイルドライブにある有名なぺブルビーチ。 この寒々しい白波を見てください... この寒々しい白波を見てください。 夕暮れ時のゴールデンゲートブリ... 夕暮れ時のゴールデンゲートブリッジ。 Tちゃん、今回は本当にいろいろ... Tちゃん、今回は本当にいろいろどうもありがとう!!
次の日はサンフランシスコの市内に趣き、昔からの友達、Tちゃんと落ち合う予定。でも、RVパークは市内から45分ほど南に行ったハーフムーンベイに予約してある。この大きな車体を市内に停めるのは難しいから、市内を観光するのは私と子供たちだけにしてテリーにはRVパークに行ってもらおう、それとも先にRVパークに行ってからUberで行こうか、でも7人だとUberは2台予約する必要がある、それに値段も高そう…(調べたらそこから出ているUberはないとも表示された)、などと最後まであーだこーだと話がまとまらない。更に、ニールがハーフムーンベイから30分の場所にあるレッドウッドの森(Purisima Creek Redwoods Preserve)を散策したいと言うので、そんなに近いのならぜひ行こうと最初はサンフランシスコ観光の次の日に行こうと思っていたのだけど、当日の朝になってメレンが今日行こう、などと言い出すから、慌てて少し遅くなるかもしれないとTちゃんにラインする。

ガールズは昨日、カーメルのダウンタウンに行けなかったので、出発前に20分のタイムリミットでコーヒーショップにドロップオフし、飲み物とペイストリーを買いに行かせる。駐車できないので、私とテリーは狭いダウンタウンのガソリンスタンドで給油。フリーウェイに乗ると、すぐに風光明媚なゴルフコースと高級住宅地で有名なぺブルビーチのサインが。夫が「メレン、ぺブルビーチだよ、寄りたい?」って聞くもんだから、メレンは当然「行く!」ってなるでしょ。$10払って17マイルドライブというシーニックドライブを海辺に向かって走る。最初は森の中を走っているだけで、これにお金を払う価値があるかなどど毒づいていたのだけど、海岸線に出てびっくりしました。白波がビーチ沿いの岩を激しく打ち付ける様は、南カリフォルニアでは見たことがない光景です。吹き付ける寒風の中、その荒々しい波しぶきに度肝を抜かれました。真っ白い波と鮮やかなクリスタルブルーの海水の中を、黒いアザラシが泳いでいるのがちらほら見え、思わず「寒そう!」と呟く。サンフランシスコに到着するのが遅れる~とぶーたれていたことを反省しました。

結局、ぺブルビーチに寄ったのでレッドウッドの森に行く時間は無くなり、そのままサンフランシスコ市内へ行くことに。再びTちゃんにごめんね、また変更とラインで連絡すると、4時くらいにミーティングが終わるとのことで、ちょうど良い時間に着けそう。途中、パロアルトにある私も一度訪れてみたかったスタンフォード大学のキャンパスに寄る。小学校の時に仲良しだった友達のお父さんが今でも教えている大学です。彼女は私が初めて知り合った、いわゆる帰国子女という外国の香りを漂わせている子でした。タイムリミット20分でキッズを解き放ち、戻ってきたら一路サンフランシスコへ。しかし、ドロップオフしてもらう予定の(結局、テリーには先にRVパークに行ってもらうことにした)クリッシーフィールドというビーチに行くには市内を通らなくてはならないことが判明し、急遽Uターンして街はずれの何とかガレリアというショッピングモールで右も左もわからない私プラス6人の子供たちは降ろされることに(涙)。46にもなるのに、知らない土地ではまったく不安になるから困ったもんです。そこからTちゃんと待ち合わせ予定のバレンアストリートへは車で16分くらいかかるらしい。メレンが早速Uberを予約する。でもボーイズを入れたら7人だから、もう一台予約しないとと話していると、「大丈夫。僕たち、ちょっとこの辺を散策してから後でそっちに向かうから」とさっさと歩き出してしまう。「バレンシアストリート、ミッション地区ね。わかった」とまったく動じない彼らを少々不安気に送り出し、Uberを待つもののまったく来ない。どうやらメレンは背後にあるペットショップを、別の地区のアドレスで入力したらしい。そちらをキャンセルして新しいライドを正しいピックアップポイントで入力し、無事にやって来た車は以前乗っていたトヨタのシエナ。なんだか懐かしい。

待ち合わせはそのミッション地区のバレンシアストリートということだけで、具体的な場所は決めていなかったので、適当にその辺のWhole Foodsで降ろしてもらう予定だったが、良いタイミングでTちゃんからラインが。「19th とDoroles Park」がぶつかる辺りで降ろしてもらうとショッピングエリアに近いよ」と。ドライバーにそこで降ろしてもらい、さてどちらへ向かえばバレンシアストリートなのか。すっかりお上りさん状態。Google Mapを見れば良いものの、またまたTちゃんにラインしてしまう。「公園を背後にして反対側に歩けば着くよ」。なんとも情けない。Tちゃんが言っていたように、コロナのせいで街はガラガラ。この周辺は一部歩行者天国のようになっているらしい。ガールズの一人が「お腹空いた~ピザ食べたい」というので食べる場所を探してみる。知らない場所ではレストランを見つけるのさえ一苦労です。そこへ、仕事を終えたTちゃんのSUBがすぐ近くに到着。考えてみればちょうど1年前にサンディエゴでランチをしているので、そうしばらくぶりではないのに、はるばるこうやってサンディゴから500マイル(約800キロ、東京から青森までとほぼ同じ距離)を運転して会いに来たと思うと感慨深い。

「ショッピングがしたい」というメレンにお洒落なブティックを教えてもらう。そしてピザが食べたいメレンの友人にはピザ屋をググってくれる彼女。でも、どこも外での飲食も制限されていたため断念していたら、屋外席が賑わっているペルー料理店の前を偶然通りかかる。ガールズにメニューを見せると、彼女たちが食べたいマック&チーズやエンパナーダ(具入りのペイストリー)もあるので、ピザを食べたくなかった私は「よし、ここにしよう!」と決めて入る。Tちゃんのアドバイスでペルー料理の定番、ロモ・サルタード(牛肉、玉ねぎ、トマトをさっと炒めた一品)とセビーチェ(エビ、白身魚、イカをレモンとハーブ、塩で味付けしたもの)も頼む。サンディエゴでも外食することはほとんどなくなっていたので、久しぶりに会う友人を交えて4人のガールズとワイワイ食べるのは何とも楽しい時間でした。

Tちゃんはゴールデンブリッジが見たい、ショッピングエリアに行きたい、というメレンのわがままを嫌な顔一つせず聞き入れてくれ、市内を走り抜けて夕暮れ時のゴールデンゲートブリッジをクリッシーフィールドから眺めることができました。ダウンタウンはほんとガラガラだからと彼女が言う通り、次に向かったユニオンスクエアは人影も少なく、しかもほとんどの店は7時までにクローズしてしまうので閉店15分前にギリギリZaraに飛び込む彼女たち。ニールたちはどうやら電動自転車をレンタルし、ドロップオフされた街はずれからユニオンスクエアまで無事到着し、食事ができる店も見つけられたよう(途中、Life360という位置情報共有アプリで彼の居場所を確認したら、Tちゃん曰くちょっと危ない通りにいたので不安だったけど、大丈夫だったみたい)。8時過ぎに二人をピックアップし、ガールズのリクエストで有名なボバ屋に寄り、Tちゃんの厚意に甘えて少し離れたRVパークまで送ってもらいました。なんとも慌ただしい再会だったけど、車中でもいろいろおしゃべりできたし、子供たちの顔も見てもらえたし、メレンは益々サンフランシスコが大好きになったようです(以前に一度、ガールスカウトで来たことがあります)。

ワオ!と言っているユーザー

Maren’s 13th Birthday RV Trip to Northern California : Day 2

スレッド
モーターホームの最後尾にあるク... モーターホームの最後尾にあるクィーンサイズのベッド。こんなふうに朝ベッドの中でおしゃべりできるのもRVトリップならでは。 モロベイにあるモロロック。... モロベイにあるモロロック。 Maren’s 13th Bi...
次の日の朝。モーターホームに付いていたKeurig(キューリグ)のコーヒーマシンでコーヒーを飲むのを楽しみにしていたのだけど、置いてあったパックがダンキンドーナツのコーヒーしかなくてガッカリ(涙)。気を利かせて自分たち好みのコーヒーパックを買っておけばよかった(ダンキンドーナツのコーヒーが好きの方はごめんなさい)。気を取り直して朝ごはんの準備。昨日と同じ鉄のフライパンで今朝はベーグルを焼く。ガールズの一人はまたクロワッサンにチョコレートを挟んで食べている(苦笑)。ニールの友達が「自分で焼きますよ」と申し出てくれ、「お、なかなか良い子ではないか」と嬉しくなる。食後、モーターホームの外に出ると青空が広がり、空気が澄んでいて何とも気持ち良い。昨日は暗くて見られなかった、美しい丘陵地帯が周囲に広がっています。「ママ、いつ出る?ちょっとそこの山までハイキングしてきても良い?」とニールたち。どうぞどうぞ、と行かせる。ガールズは持ってきたバレーボールで遊び始める。ブルースはここの若いラブラドール2匹とすっかり打ち解け、もうここにずっと居たいと言わんばかりに寛いでいます。私はコーヒーを片手にブルースを連れて周囲を散歩。日本を思い出させるピンク色の梅の花が満開です。友人夫婦は、大学卒業後にテリーよりも一足先に日本に住んでいたことがあるのです。馬小屋と納屋をのぞいてみる。こうやってハーパーを置いて一人で行動できるなんて、実に軽やか。鮮やかな緑色の大地の新鮮な空気をたっぷりと吸い込みました。

「ママ、バスケットボールしようよ!」とメレンに誘われ、ずいぶん久しぶりにやってみることにした。私が唯一夢中になったスポーツがバスケットボール。しかも中学に上がるまでだけど(苦笑)大好きなスポーツでした。そこへニールたちも加わり、ゲームをすることに。こんな経験は滅多にないのでとっても楽しかった。何度かシュートもちゃんと決めたぜ(ガッツポーズ)。

友人に心からお礼を述べ、サンディエゴに来るときは必ず寄るようにと告げ、一路北へと向かいました。途中、そこから30分くらいの所にあるモロベイに立ち寄りました。ここは沖合から見える大きな岩(モロロックと呼ばれる古代火山の栓岩)が象徴的なベイで、一度寄ってみたかったのです(実は私、以前カリフォルニア観光局の翻訳の仕事を担当していたので、観光地の知識だけはいっぱいあるの)。期待していたより、だいぶひなびた感じの入江だったけど(苦笑)、モロロックが見える場所にモーターホームを停めてランチタイム。クロワッサンか田舎パンに好みでマヨネーズを塗り、ターキー、トマト、レタス、チーズを挟んだサンドイッチ。食後、モロロックをもっと近くから見たくて岸辺まで歩き、太い松の木の根っこに腰かけて友人宅の庭から盗んだオレンジを食べながら眺めました。

さて、いよいよ次の目的地、モントレーの近郊にある美しい海岸都市、カーメル・バイ・ザ・シーを目指します。走行距離は約140マイル(約230キロ、2時間半)のドライブです。本当なら美しい海岸線で知られるビッグサーに寄りたかったのだけれど、なんと崖崩れで通行止めになっていたのです。ワイナリーやチェリー畑が広がるのんびりとした内陸部を走り抜け、途中、「僕の食べたいものが何もない」と文句を言うテリーのためにスーパーに立ち寄る。Vonsのように立派なSmart & Finalに入り、どうせなら今晩のバーベキューの材料も買うことにする。夫は何を買うのかと思ったら、シリアル(シナモントーストクランチ)、ベーコン入りグダチーズ(Aged グダチーズは持ってきたのに)、triscuit(クラッカー)、ソーダ類(コーラ、スプライト、ルートビール)等。シナモンロールもカートに入れようとするから、「持ってきたから」と言って戻す。バーべキュー用の木炭、そして薪も買いました。買い出しに行ったのは私とテリーとハーパーだけで、大きい子たちはモーターホームに残っていました。移動中はだいたいボーイズは後方にある2段ベッドで静かに過ごし、ガールズは前方でキャッキャしているという感じだったのだけど、夫はニールがグループに入ろうとせず孤立しているみたいなのが気に入らず(まあボーイズ二人はガールズに比べてずっとおとなしいっていうのもあるのだけど)、それまでも折に触れて「グループに加われ、何か貢献しろ」というようなことを彼に言っていました。恐らく、旧友宅を訪れたこともあり、息子の良いところを見せたかったというのもあるのだと思います。買ってきた薪や木炭、ソーダ類を運べとニールに命じます。でも、積極的に動こうとしない彼に少しずつイライラを募らせている様子。そしてこれは後に爆発することになります。

内陸部の単調な景色に飽きてきた頃、ようやくモントレーの美しい海岸線が見えてきました。カーメルは、ちょうど7年前にモーターホームに住んでいた時に訪れた街で、その美しいビーチや住宅街、ダウンタウンの可愛らしさにすっかり魅せられた私たちです。運良くビーチ近くにRVを停め、ロングドライブで疲れた子供たちはノロノロと外に出る準備をします。さっきスーパーで買った薪3束が邪魔だったので、夫がニールにモーターホームの外のコンパートメントに移すように言いました。でも、またもや彼は能率的に動かず、彼の友達の方が手伝っているのを見て、「さっきからグループに貢献しろって言っているだろ!」と強めに叱ると、それまでおとなしくしていたニールが「みんなの前で恥かかせなくてもいいだろっ」と初めて声を発し、持っていたモーターホームの鍵をテリーに投げつけたのです。私は少し離れた場所から見ていたのでどれくらいの勢いで投げたのかはわからないのだけど、それを受けた夫はカッとなり、ニールの胸ぐらを掴んで「お前、ちょっと来い!」とモーターホームの中に押し入れて扉をバタン!と閉めたので、彼をキレさせるだけの威力はあったのだと思います。その一連の行動に思わず、「テリー!」と叫び、彼らが出てきた時には「みんなの前で怒られたらニールだって嫌なはず」と言うと、「お前は何もわかってない!もう限界だ、オレは帰る!」などと言い出す。(帰れるわけないじゃんか、バー〇)と内心毒づく私。「あ~あ、やっぱりこういうことになるのか」とがっかりしながらも、とりあえずビーチに向かう。さすがにビーチ続きで感動も薄れてきたっていうのと、さっきのことで気落ちしていたせいもあって、ガールズを連れてさっさとモーターホームに戻ると、テリーがここには停めちゃいけないと言われたから移動しなくてはならないと言う。ボーイズも早く呼び戻せ!と言われたけど、電話すると彼らはギター片手にすでに寛いでいるみたいなので、私たちは先にRVパークに向かい、Uberで戻ってこさせることにした。少し距離を置いた方が良いとも思った。

Carmel-by-the-River(笑)という名のRVパークは、その名の通りカーメルから少し内陸に入った谷間にあり、緑に囲まれてこじんまりとした良い感じのパークでした。今回3つのRVパークに滞在して初めて知ったのだけど、RVパークっていうのはキャンプ場と違って、各サイトにバーベキューグリルやファイアーピットが付いていないんですね(まあ、RVにキッチンが付いているので当然といえば当然なのですが)。外でバーベキューをしたりボンファイヤーをするのを当たり前のように楽しみにしていたので、これは誤算でした。カーメルのRVパークは、唯一バーベキューグリルが付いていたのでラッキーだった。ここには予想外に清潔なシャワーもあって、ガールズはRV内を少し掃除した後、早速シャワーを浴びに行きました。私は外にテーブルとイスをセッティングして白ワイン飲みながら読書を少し。少しだけ横になったテリーを起こし(放っておくとずっと寝ちゃうから)、木炭でバーベキューの火を起こしてもらいました。

トウモロコシは時間がかかるから先にレンジでチンしようか?と夫に聞いたけど、大丈夫というので生のままバターと塩コショウでアルミファイルで包み火に載せる。テリーのアイデアで買った冷凍の大きなエビ(すでに茹でてある)を解凍し、さっと炙ってガーリックバターにディップしたものは大好評でした(ガールズの一人、エビ嫌いだった子を除いて)。暗くなってから無事にボーイズがUberで戻ってきました。今夜はバーベキューをすると伝えるのをうっかり忘れていたので、ピザを食べてきてしまったみたいだけど、まだ少し食べられるようで良かった。そして骨付きステーキを載せたところでテリーはリタイヤ。「後はよろしく~」と奥の寝室に入ってしまった。え~バーベキューの焼き加減ってわかんないんだけど…と不安そうにグリルのそばに立っていると、ニールが「ステーキの焼き加減見てるの?」とやってくる。「そう、本当に見てるだけね。責任は持てないよ(苦笑)。」幸い、ウェルダンが好みな子(さっきのエビ嫌いと同じ子です)がいたこともあり、結局少々焼き過ぎたけど問題はなかったよう。今回の旅で忘れたもののひとつがランタン。なぜかモーターホームに付いているだろうと高をくくっていたのです。小さいランタンが2つあったけど、1つは壊れていて、もう1つは点くけど大して明るくない。暗がりの中、小さなピックニックテーブルにティーンエージャー5人とハーパーがひしめき合って座る。焼き過ぎたステーキにモーターホームの中のコンロで作ったライスパスタを添えて食べ始めたのだけど、やっぱりトウモロコシは芯まで焼けていない(涙)。トウモロコシはグリルに戻し、その横でアスパラガスを焼く。ようやくトウモロコシは焼けたけど、大して甘くないという残念な結果に(ははは)。

その夜、ボーイズは持参したテントで寝ることにした。モーターホームですっかり体力を消耗したブルース(テリーが「死んじゃうんじゃないか?」って心配したほど)は中には入ろうとしないけど、テントには素直に入って行きました。しばらくして、テントから二人が静かにギターをかき鳴らす音が聞こえてきました。

ワオ!と言っているユーザー

Maren's 13th Birthday RV Trip to Northern California : Day 1

スレッド
夕暮れ時の美しいモンテシートの... 夕暮れ時の美しいモンテシートのビーチ。 広大な敷地に建つ友人の家。ドラ... 広大な敷地に建つ友人の家。ドライブウェイに大きなRVを停めても何ら問題ない。 桃の花。大学を卒業した後、夫と... 桃の花。大学を卒業した後、夫と一緒に日本に住んでいたこともある友人夫婦。日本を偲ばせます。 モーターホームが苦手なブルース... モーターホームが苦手なブルースはすっかりここが気に入ったみたい。フレンドリーなラブラドール2匹も加わって戯れるハーパー。
毎年、2月のメレンの誕生日には結構な出費を強いられています。数年前だったか、夏休みに家族でギリシャやイタリアへ旅行に行く親友に感化され、「私の誕生日にはイタリアに連れてって!」などと宣う。こちらとしては「はあ?」という感じだけど、夫は「おお良いね、僕たち二人でだったら行けなくもないかな。でもそれより中国の方が良いディールが出てるよ」(もちろん中国はメレンの希望にそぐいませんでしたが)なんてまんざらでもない。当然、10代の誕生日にイタリア旅行なんて常識外れというのが私の考えだから行かせるわけもないけど、それでも2年前に行ったスキー&スノボートリップは近場でしかもたった1泊しかしてないのに10万近くの出費だった。今年は何を言い出すかとドキドキしていたら、なんと親友二人を誘って北カリフォルニアまでRVトリップをしたいと言い出すではないか。RVトリップはいい。7年前、買ったばかりの家を全面改装している間、モーターホームを借りて6ヵ月住んでいたこともある私たちだ。その時にせっかく借りているのだからと訪れたビッグサーとカーメル(Carmel-by-the-Sea)、そしてなんとサンフランシスコまで行きたいと言う。彼女が友達を連れて行くならニールも誰か誘わないと釣り合わない。家族で行動するだけでも楽じゃないのに、他人の子供(全部でティーンエージャー5人!)まで連れてモーターホームで長距離旅行とは。まったくもって気が進まなかったけど、彼女の意志は固く、とうとう私たち夫婦を説得してしまったのです。

私が気乗りしない原因は二つ。一つは近くでキャンプするのでさえ、夫は出発ギリギリまで仕事を入れたりするので、本当に旅行に行けるのかさえ不安なのです。実際、RVを予約した後でも、私はこの不安にさいなまれ、ひょっとしたら私ひとりで運転して行かなくてはならないのではないか…とさえ考えていました。もう一つは、総勢8人(しつこいけど内5人はティーンエージャー)となる多人数の食事問題。何を準備したら良いのか…。この人数だから、外食ばかりするわけにもいかない。今から考えると笑えるのだけど、出発直前まで本当に鬱々とした気持ちで過ごしていたのです。

さて、いよいよ迎えた当日の朝。モーターホームの貸主にお願いして予定よりも1時間早い、8時にピックアップ時間をアレンジしてもらったのに、やはりテリーは直前に予定が入り30分遅刻してしまう。まあいい。無事ピックアップできたのだから。これで一安心。問題は次。家に着くなり子供たちは大喜びだが、夫はまた仕事に入ってしまう。「一体いつ出発できるのか?」が次の難関だった。とりあえず、うちの朝ごはんの定番、ブレックファーストブリトー(ジャガイモ、カラーピーマン、ベーコン、卵を炒めてチーズとサワークリームをのせてトルティーヤで包んだもの)を作って子供たちに食べさせる。ガールズはクロワッサンにチョコレートを挟んで食べていたが(苦笑)。大量に用意したスナック類、パン類、シリアル、水、そして大きめのクーラーボックスにはビール、白ワイン、牛乳、チーズなどを入れてモーターホームに積み込む。モーターホームに当然冷蔵庫も付いているのだけど、いきなり冷えているわけではないので、クーラーボックスも必要。ちなみに、今回レンタルしたRVはこちらのタイプ。

ラッキーなことにテリーの仕事は案外あっさり終わり、昼過ぎには無事出発。最初に向かった先は5時間離れた場所にあるサンルイスオビスポ。ここは、テリーの古くからの友人家族が住んでいて、前回モーターホームで旅行した時も停めさせてもらったのです。でも、夫が当日の朝まで連絡しないから、そこに駐車させてもらえるかギリギリまでわからず、近くのRVパークを予約しようと思ったけど一杯だったのは幸いでした。私もすでに何度も遊びに行っていて、彼らに会うのも楽しみだし、何といっても広大な敷地から見渡す景色が最高、友人の家もとっても素敵なのです。まあモーターホームだから実際、家に泊めさせてもらうわけじゃないし、こちらとしても当日に連絡してもそれほど気が引けないというのはありました(苦笑)。

さて、「ひょっとしたら私が運転しなくてはならないのではないか」という私の予想は的中しました。出発直前まで仕事をしていたテリーは当然寝不足。2時間くらい走ったらウトウトしてきた。「これはマズい」と交代を申し出る。これには理由があります。実は彼、1週間前に居眠り運転で事故を起こしているのです。それまでも数回、ヒヤッとする思いをしていたにも関わらず、借りていたコマーシャルバンをフリーウェイを走行中に路肩に突っ込んでしまったのです。だから、今回は絶対事故ってはならないということで、多少の不安はあるものの、普通免許で運転できるわけだからとハンドルを握りました。命には代えられませんもの。走り出したら意外とスムーズに進み、でもだからといって気を抜いたらアカン、と常に気を張って運転していました。途中、ロサンゼルスを抜けた辺りでガソリンスタンドで給油とトイレ休憩。モーターホーム内でずっと不安そうに運転席と助手席の間から離れなかった老犬ブルースもニールがトイレに連れ出す。普段から花火や雷が苦手なので、モーターホームのエンジン音も苦手らしい…可哀そうに。最初に停めた場所がモーターホームのガソリン給油口の反対側だったため、車を移動させたら、給油機のスレスレに停めてしまい、冷や汗をかく。ガソリンスタンドに居る間、メレンが「Snoop Dog(有名なラッパー?)が乗ってる車を見た!」と叫んでいたけど、本当かどうか怪しい。

無事ガソリンを入れて出発したものの、Uターンに失敗し(なんせ車体が10メートル近くあるので1回でターンできないことが多い)、向かい側のガソリンスタンドに乗り入れてからUターンする。陽が段々と傾き始める中、サンタバーバラに向かう海岸線沿いを走る。海がまるで生クリームのように滑らかな黄金色に輝いていて本当に美しい。テリーの提案でモンテシートのビーチに寄ることに。有名なFour Seasonsホテルがある街です。運よく、海の目の前に大きなRVを停めることができ、みんなで一目散にビーチに向かう。中でもブルースは大興奮で一人(一匹?)でどんどん遠くまで行ってしまう。犬を放し飼いにしている人が多かったので、それほど気にならなかったけど、あまりにも遠くまで行くので閉口してしまった。どうやら、よっぽどモーターホームに戻りたくなかったらしい。ハーパーはメレンたちのお姉ちゃんグループにすっかり打ち解けて、私とよりそっちと行動したい様子。これまでの旅行では、彼女から目を離さないことが自然と私の役目だったから、一人で行動できることがとっても新鮮。と、メレンが興奮しながら「ママ、ルークがいた!」と叫んで走ってくる。ルークっていうのは、ハンティントンビーチに住む、以前メレンが好きだった男の子です。でも、あることが原因で一気に冷めちゃったみたいなんだけど、サーフキャンプでこの辺に良く来るとはいえ、とんだ偶然です。美しいビーチを後ろ髪を引かれる思いで出発し、途中、テリーがまたウトウトしてきたので慌てて交代する。

サンタバーバラからピズモビーチの内陸部にあるサンルイスオビスポまでは約1時間半。州内でも最古級の街らしいです。また、「全米で最も幸福な都市」というデータもあって、なだらかな丘陵地帯に囲まれた歴史のあるのんびりとした街です。すでに陽が暮れていたため、暗闇の中をモーターホームを走らせ、少しだけ道に迷いながらも友人宅に無事到着。広大なオープンランドに外壁に蔦を張らせたスパニッシュスタイルの平屋が建っています。敷地内の一角には以前の所有者が使っていたという馬小屋と納屋があり、納屋はゲームルームとして使われています。友人は4人の息子の父親で、今は一番下の17歳の子だけが家に住んでいるとか。みんなで挨拶を済ませ、子供たちは家の中や周辺を散策、テリーは旧友とビール片手に近況を報告し合い、私はお腹を空かせているキッズのためにモーターホームで夕食の準備に取り掛かりました。以前住んでいただけあって狭い車内のキッチンの使い勝手は良くわかっています。車体の外にあるLPガス栓を開き、モーターホーム内のLPガスのスイッチをオンにすると、ガスコンロが使えます。前日に用意し、クーラーボックスで冷蔵しておいたハンバーグパティを鉄のフライパンで焼く。バンも少し温め、肉が焼けたらチーズをのせ、レタスやスライスしたトマトを挟んでハンバーガーの出来上がり。ケチャップとマヨネーズは持ってきたのに、マスタード忘れた~(苦笑)。一気に焼けないので、先にモーターホームに戻ってきたガールズに食べさせ、次にボーイズ、そして最後に私とテリーが食べました。クーラーボックスで冷やしておいたアサヒビールが美味しいです。その後、ガールズはモーターホームの上に登り、済んだ夜空の星を満喫したようです。

ガールズ3人は運転席と助手席の上にあるスペース、ボーイズ2人は2段ベッド、そして私、夫、ハーパーは一番奥のクィーンベッドで就寝。明日はカーメルに向かいます。

ワオ!と言っているユーザー

  • ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
    ログイン
  • まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
    新規ユーザー登録へ
ハッピー
悲しい
びっくり