10/15/2019 Another anniversary, another year of walking through life with your best friend. So happy to celebrate you both. Happy 28th Anniversary! 夫からのカード。 妻宛てではなく他者から二人へのカードを編集した模様。笑 でも、これまでにもらったカードの中で一番のイラストでした! 感謝。
10/14/2019 急遽、母が退院することになったらしい。 我が家ではワラワラとその準備を始めた。 とりあえず母の寝るところを確保しなくてはなるまい。 介護者の動線を考えながら、結局はオモテを片付けることになった。シンショウ(神床と書くのか?)に頭を向けるような形でいっか、と、布団をこしらえた。が、いや待てベッドも来るよね、きっと。と思いながら、でもとりあえず布団を準備。 どやどやとにわかに騒々しくなり、母が兄たちに担がれながらやって来た。母、何やら憤慨している模様。も、そういうのに気付かぬふりをしながら、「お帰りなさい、母ちゃん!」と、明るく迎える。 母は自分の周りの様子を見ながら黙っていたが、その様子は何か文句をつけられることがないかと探しているようにも見えた。 廊下の向こうでは長兄と姉1と3が母ちゃんとYおばさんがどうこう、と話し込んでいる。Yおばさんは母の幼馴染、一番の親友だ。母が島に引っ越して来てからはなかなか会えなくなっていた。そのYおばさんと母が電話で何やらちょっとトラった感じがどうのこうの?よくわからない。が、わたしはわたしで母の身の回りの色々を母の気にいるように、と整理していた。 そこへ姉3がやって来て、「あんたも一緒に行こう」と言う。どこに?Yおばさんのところ。はぁ?けど明日、補習校あるよ、休めんよ。休めるようにしてよ。いやそんな急に簡単には、、、、 と言いつつ、いや待て、補習校はないでしょう。ここは島じゃないか、と思う。 姉3は、誰かに頼むようにして。一緒に行く準備して。と言っている。 わたしは、でも母とYおばさんの仲裁なんて、わたしなんかが行っても無理だと思うんだけど、、、と、なぜか気が進まない。 寝床の母は、黙ったまま、天井をじっと見ていた。 ・・・ 昨夜見た夢。 仕事中にふと思い出し、Yおばさんの具合いが良くないのかな、と気になった。 ちなみに、この夢で目覚めて「あっ」と声をあげたのではない。 この夢は明けがたに見たような気がする。
10/14/2019 夜中に寝返りを打って何かにぶつかり目を開けたところに夫がいて「あっ!」と、大きな声を出し、その声で目が覚めた。「あっ」というよりも「ぎゃっ!」に近かったかもしれない。相当驚いた。ていうか目を開けた時の自分はまだ眠っていたのだね、その後、可笑しくなってしばらく笑いが止まらなかった。夫はなんなんだ、という感じで寝返りしてわたしに背を向けた。ごめんなさい、寝ぼけてました。なんであんな声を発したのか?夢でも見ていたのか??? 遅い夏休暇をもらっている娘は今、島に帰っている。厳密には「帰る」というより「遊びに行っている」かな。 月曜日までの休みかと思いきや火曜日まで休みをもらったのだと。それはいつもよりゆっくり出来たね、良かったよかった。 それにしても日本は連休が多い。 9月から何度か「3連休」があったような。 ここにいると一体何の祝日か忘れてしまうものだが、10月10日が「体育の日」というのはなぜか忘れない。まぁそれも可動式(?)になって10日じゃなくなってしまったのだが。 それが今朝見たYahooJapanで「体育の日」が今年で最後、とあった。日本で祝日を減らすだなんて、そんなこともあるのかーと興味を持ち開いてみたら・・・ なんてことはない、名称が「スポーツの日」となるのだそうな。変える意味あるのかいな? それよりも、この体育の日は、1964年の東京オリンピック開催日だったというのにびっくり。そうだったんだー。てか、じゃぁ来年の東京オリンピックも10月開催にすれば良かったじゃないか!と、今さらながら言いたい。だって日本の夏は暑過ぎるでしょう、、、あの過酷な蒸し風呂地獄、、、、 どうして7月開催にしちゃったのかね???
10/13/2019 金曜日から義両親が来ていた。 毎度のことながら、嵐のような週末。 昔ほど気を遣わなくはなったが、それでもやっぱり、ね。 義両親は先週半ばにFlu shotを受けたせいで調子が良くないとのことだった。実は金曜日の晩は義理ママを外食に連れ出す予定でいたのだが、そういうわけで急遽変更、仕事帰りに買いものをしてchicken and potato soupをこしらえた。我ながら美味く出来たと思ったのだが、二人とも無言で食す。きっと具合が悪いせいさ、と、自分を慰めた。 義理ママのために前の晩で焼いておいたchocolate cakeにも手をつけず。どんなに遅くなってもデザートを欠かさない彼女がとうとう味見もしなかった。これもまた、具合が良くないせいさ、と、自分を慰めた。 もう一つの事件(?)。義父がガレージのドアを閉めたまま喫煙していてガレージ中が煙で充満していたので大々的にドアをオープン、そのまま開け放しておいた。すると義父、ガレージのドアを開けたのはわたしか?と問い詰める。 ええ、そうよ。 なんでだ? 煙たかったから。 ドアを開けると寒いだろう。 うん。でも、タバコの煙が酷いから。ドア開けておいてね。 義父、そんな筈はない、と言い張っていたが、閉めないでねーと念を押した。 それが金曜日のこと。 で、土曜日。 午前中、わたしは補習校に行き、1時過ぎに帰って来た。何か用事があってbasementへ行くと・・・なんと義父が室内で喫煙していた! まぁ室内と言っても、walk-outできるドアを開けたところに座って、そこでタバコを吸っていたのだけれど、喫煙は外と決まっているのだ、それはもう随分前から。だから彼はいつもそのドアのすぐ外、ポーチにあるハイチェアに座って喫煙するのがお決まりだった。 確かに昨日は寒かった。風も強かった。いきなり冬が来てしまったような気候だった。だけどもー!! 前日のガレージドア事件のことがあったので、わたしは何も言わずにそのまま戻り、義理ママから義父を注意してくれるよう頼んだ。彼女は笑って誤魔化そうとしたが(そう見えただけなのかもしれないけれど)、「お願いだからちゃんと言って欲しい」と頼んだ。 結果、義理ママは義父に伝えたのだが、夜になってから、義父は義母に怒られたことを酷く憤慨してわたしに言ってきた。どうやら義父はあの時わたしに背を向けていたので、わたしが見たことに気付かなかったらしい。「ちょっと室内に体が入っていただけなのに」と言うので、「いやいや。室内禁煙でお願いします。義母に感謝です」と明確に伝えたところ、義父はやや怯み、それ以上何も言わなかった。いやマジにお願いします。ていうか、こんな様子じゃこの先義父だけを残して出かけるのは不安しかない。これから寒くなる一方だから尚のこと。きっと彼は誰もいないのを良いことに、ガレージ内だけでなく、室内でも喫煙するのではないか???あー想像しただけで目眩、、、、!! と、うだうだ愚痴を書いてしまった。 義両親は来週もまた金曜日から日曜日まで滞在予定。プラス義叔父は例のガールフレンドを連れてくるとのこと。また一波乱二波乱起きそうな予感。 台風19号の被害が明らかになりつつある。 ニュース速報が出ると心配になって、東京に住む姪っ子や姉たちに連絡を入れた。何事もなかったようで一安心だったが、あちこちの川が氾濫とか、犠牲者のことを耳にして、胸が痛い。台風はやっぱり怖ろしい。自然の脅威。
10/11/2019 昨日の朝は携帯を持たずに仕事へ出てしまって、携帯なんかなくても良いのだがDの投薬のためのアラームをセットしていたことを思い出し、しょうがなく家に取りに戻った。おかげで7時スタート出来ず、とは言っても7:15からが本来の時間なので、まぁいっか、と、clock inするまでの時間を同僚のaと他愛ないお喋りで過ごす。こういうのも良い。15分早く出勤する必要はないのかもしれない、とあらためて思ったり。それにしてもDに何度も起こされた影響は1日のはじまりにも響き、なんとも調子が狂った。 職場ではどうもJの調子が良くない。気分の波が大きすぎる。今に始まった事ではないが、このところ特にそんな感じだ。aの話によると、旦那さんとの関係が悪化している、と。「いつもそういう話を聞かされて耐えがたい」と言う。そう言われてみれば、KもZもそんなことを言っていた。わたしはそういった話題をJから振られたことがない。話す相手を選んでいるということであれば、ある意味まだ余裕があるということなのかも。 いつも車内で聴いているクラシックチャンネルがあって、モニターには作曲家とタイトルが表示されるのだが、仕事帰りに流れていたのが Tchaikovsky - The Nutcracker Suite- だった。あの、有名な「くるみ割り人形」なのだけれど、ふと、suite は日本語ではなんて言ったっけか?と、それを考えながら帰路についた。 答えは「組曲」。 ついでにメモ。 協奏曲(コンツェルト concerto) 交響曲(シンフォニー symphony) それから、マチネは、フランス語で昼という意味から昼公演のことを指す、らしい。あんなに夢中になって読んだ本なのにもう忘れてたよ。 昨夜もDに2回起こされた。何か落ち着かない。早く夫が帰ってくると良いのだけれど。
10/10/2019 昨夜はどうも喉の調子が良くなく、早々に薬をのんでベッドに入った。風邪のひき始めなのかもしれない、本多孝好氏短編集「MISSING」を読み始めたがあっという間に眠気に襲われた。それが9時過ぎのことだ。 ベッドに入る少し前、犬たちを庭へ出した。Dは良く眠いっていたのだが、なぜか起き上がって来たので、ちょうど良いと連れ出す。推定15歳の老犬であるDはいつも起こすのを躊躇う。後脚の感覚がかなり失われているようで、起きたてのDは動きがさらに鈍いし。 服用した風邪薬に多少眠剤が入っているのだろう、Dの声で目覚めた時、身体が重くて仕方がなかった。 Dは喉の奥でクーンクーンと啼き声を出していた。このところ夜良く眠っていたのでこうやって夜中に起こされるのは久しぶり。時計を見ると、まだ11時過ぎだった。 D&Cをback yardへ出した後、階下ファミリールームのリクライナーに座って待つ。パジャマの上に何も羽織ってこなかったせいで肌寒い。風邪が悪くなってしまうじゃないか、と思いつつ、なかなか帰ってこない犬たちを呼び戻した。 Cはすぐに戻って来たが、Dはというと、back yardの真ん中に座ってじーっとしている。D!D!夜中なので、小声で呼ぶのだが、彼は耳が遠い。口笛も聞こえない。はぁ〜、、、大きなため息をつき、パジャマの裾をつまみ上げながら芝生の上を歩いてDを迎えに行く。 わたしに気づいたDはやっと戻って来た。 再びベッドへ。もう眠くて仕方がない。treatsはあげなかった。夜中です、もう寝ましょうよ、と犬たちに言う。 またまたDに起こされる。 え???なんで??? Dの啼き声をしばらく無視した。もしかすると眠れないだけでぐずっているのかも?と淡い期待を抱いて。 でもDはわたしが起き上がるまで耳元でずーっと啼く。 もうーーーーーー!! 起き出して、今度はPJの上に白いポンチョを羽織った。そして今度はfront yardに連れ出した。Dが階下から階段を上らなくて済むように。この時は1時前だったかと思う、良く覚えていない。 またまたtreatsをあげずにベッドへ戻った。 3回目。2時25分。今度は先に時計を見た。なんでだよーと嘆きつつ。 1時頃に連れ出した時にDがなかなか戻ってこなかったので(その時もまた芝生の上を歩いて迎えに行った)、今度はリーシュをつけて出した。もしかしたらUTI(尿路感染)を起こしているのか?とも思ったので、おしっこの様子を見たかった。が、Dの様子からすると、UTIの可能性はなさそう。ただのボケ?それともダディ不在で不安になったのか??? これで最後にしてくれよ、と祈りつつベッドへ。もちろんtreatsはあげず。あげたら水を飲むだろう。水を飲んだらまたおしっこに行きたくなるだろう。なんて、狡いことも考えて。 5時15分。アラームで起床。 D、ぐっすり。 ついでにCもぐっすり。 CもDのせいで夜中に何度もトイレに行ったからねー。 いつもなら昨日(日中)の出来事を記録するべきところだが、犬日記になってしまった。 そうそう、昨日はJが休みで、久しぶりにリラックスな一日。 同僚たちも皆同じようなことを言っていて、マネージャーというのはどうしても煙たがられるものなんだろうな、としみじみ思う。
10/09/2019 発端は先週の木曜日。 Out school Hoから戻ってきたDに対しKがJに報告。Jは時を待たずしてDに確認、既に起こってしまったことをあーだこーだと3人で確認し合う。否、確認と言うと聞こえが良い。どちらかと言うとそれぞれがそれぞれに叫び合っている、という感じ。 を横目に、わたしはひたすらに自分の仕事を続けた。中に入っていくような雰囲気ではなかったし、利になるとも思えず。 3人の言い争い(?)はひとしきり続いたが、とりあえずJの言葉で終結。Dは鼻息荒く、dish roomへと戻って行った。 しばらくしてdish roomに何かを持って行ったおり、わたしからDに話しかけた。今回のトラブルを受け、軽く「次回はこうしようか」といった内容。 も、Dは烈火の如く怒りまくっていて、両手をさっと上にあげ、わたしからパッと退き、早口で言った。 「もう冗談じゃない!こっちはもう話すことなどない!勘弁してくれ!」 と、まぁ日本語にしたらこんな感じ。 ほよよよよーーーーー 時々、アメ人同僚が直接的に怒りをぶつけ合うのを見てきたけれど、自分がそうされると途端にドキドキしてしまう。ヤバイよこれ。かなり怒ってんじゃん。 そう思いながら自分のステーションに戻ると、Kが「ほら、見てよこれ!他のschoolはこうしてちゃんとkeepしてるのよ!」 わたし、思わず言ってしまった。 "Just drop it, K! She's very upset!!" マジにもうやめようよ。と思った。今更どうこう言ったって始まらないでしょうに。 それをオフィスにいたJが耳にして、Dにフォローを入れる。が、Dは怒り心頭。 これが先週の木曜日。 つまり、4日間のFall Break直前の話だ。 で、昨日がBreak後、初の出勤。 さてさて、Dの怒りはおさまったか? と思ったら。D出勤直後にJにわたしとKと、オフィスに呼ばれた。 Have a seat, everyone! あの、、、マジ忙しい時間なんすけど、、、勘弁してよ。 と、心の中で思う。が、こう言う時のJは聞く耳を持たない。優先順位は職場の「和」なのだ。ええ、アメ人だけどね。日本語にするとね、つまり「和」。 そこでJがまず色々と話し、そのあとにDが(驚くべきことに彼女はまだ鼻息荒かった!)、そしてちょっとやわらかくなったKが話す。 わたし、部外者なんですけど、、、という感じ。喋ることないよ。と、思う。 そして最後に group hug 実を言うとこれがどうも苦手だ。 なんだか茶番でしょ。 しょうがないからしたけど。
10/08/2019 夏に日本から持ち帰ってきたスプーンが見つからない。 珈琲豆用の陶器で出来た計量スプーンで薄い黄緑色をしている。 どうやってパッキングしたかとか(陶製なので割れないように大事に包んだ)、スーツケースのどこに入れたかとか、それを取り出したところまでは覚えているのに、その後が記憶にない。 記憶にあるのは、念のために持ってきたもう1個の珈琲豆用計量スプーン(プラスチック製)を使うことにして、その陶製スプーンは使わないで済んだ、ということだけだ。 その時に何処かにしまったのだと思われるが、そこのところがまったく思い出せない。 スーツケースから取り出したところまでは確かなのに、そしてそれを選ばなかった(使わないと決めた)ことも確かなのに、その後どうしたのやら、、、、。 昨日は事あるごとににそれが気になって探し始めた。 自分がしまいそうな場所をいくつか。キッチンの引き出し、ダイニングの飾り棚、あちこちあちこち。なのにまったく見つかりません。 もしかしたら持ってきたと思い込んでただけで実は違ったのか??? こういう場合、忘れた頃に見つかる。なんてことが良くあるので、記録しておこうと思った次第。 ちなみに、なぜそのスプーンを探しているかというと、はたとsugar potに使えるかな、と閃いたので。 今入れてある小さなスプーンは、なまじスプーンの形をしているせいか、義父(多分犯人は彼だ)はそのスプーンでお砂糖をすくった後に珈琲に入れて「かき回して」からまたそのお砂糖入れに戻しているのではないか、という疑惑が深まってきたから。 何度もそれらしき痕跡はあったのだが、気のせいだろうと思いながらそのスプーンを洗って乾かして戻していた。 が、こうもその痕跡が続くとね、なんだかね。 で、その、わたしが探している陶製珈琲豆用スプーンは持ち手が短く、いわゆるスプーンの形状をしていないものだからそれを使ってお砂糖をすくうことは出来ても珈琲をかき混ぜることは出来ない。ってワケ。 なんて素晴らしいアイディア!! と思って探し始めたのに見つからない。ということで、非常に残念。かつ、諦めきれない。多分、この先も探し続ける。なぜってあの形、この国では見たことない!
10/07/2019 「若い頃っていうのは、ある抑圧をかけないといけない。ちゃんと規律的なことをやってからの自由っていうのが一番美しい。規律みたいなものをしっかり持っていてもらいたい。」 ー規律的なことをやってからの自由っていうのが一番美しい。 あなたの言葉こそ、美しい。です。 ・・・・・参りました!!
10/07/2019 「蛇蝎のごとく」向田邦子原作 を読み終える。 蛇蝎(だかつ)と読む。ということを表題の小さなふり仮名を見て知った。良く見えないもんだからわざわざ老眼鏡をかけて見たのだけれど。 調べると、この文字は「じゃかつ」とも読むらしい。どちらも正しい読み方だと。 蛇蝎とは読んで字の如く蛇と蠍のことで、人間が恐れを抱き忌み嫌うもののたとえ。 「蛇蝎のごとく」は、激しく嫌悪する様子をいう言葉、とある。 と、ここまで来てやっと「蛇蝎のごとく」という題名に納得。 なるほどそういうことか、と、腑に落ちた。 しかしものすごくインパクトのある題名だ。 でも、それが人間なのだなぁ、、、と考えさせられた。 それにしても、向田邦子氏が飛行機事故で亡くなったということをすっかり忘れていた。 あの頃は大ニュースだった。当時10代半ばのわたしでさえ彼女の名前を知っていたくらいで、大きく報じられたことをおぼろげに覚えている。 でも、今でもよく「向田邦子ドラマ」とかよく見聞きするので、まだ精力的に執筆されているように思っていた。というか錯覚か。 この文庫本はPC部屋の本棚にあったものなのだが、果たしてこれを誰から頂いたのか?どうしても思い出せない。 長らく読書をしておらず、この国に住み始めた頃(もうずいぶん前のことだ)は日本語の本(活字)に飢えていたものだが、最近老眼が進むにつれて本を読むということが極端に減った。 が、夏に友人から薦められた一冊(「マチネの終わりに」)を読んでから、自分の中の読書熱にちょっとだけ火が付いた感。それで久しぶりに本棚を物色していて見つけたのがこの本だった。ちなみに、今は「MISSING」という本多孝好氏の短編集を読んでいる。 向田邦子氏も本多孝好氏も(失礼ながら)、自分ではすすんで手に取るような作家ではなく(本多孝好氏に至ってはその名前すら知らなかった)、故にこの本もきっと同人物から譲ってもらったのだと思うのだが、一体誰だったのか、、、、こんなことも忘れてしまっているとはなんて不義理な人間なんだ、自分。 しかし気になる。。。