惑わされてはいけない 自分の景色を他人の色に染めてはいけない 表現することは評価を得ようとすることでなく 自分の中にある間違いのない言葉を探し ひとつの感性を露骨に複写していくことだ 誰でもいい自分なら自分は誰でもいいのだから 人間も社会も宇宙も捨ててただ自分が書くために
霧の森にいる 突然、彼女は鬼ごっこをしようと言った 足の遅い僕はすぐに捕まってしまう だから鬼をやることにした くすくす笑いながら彼女は逃げてゆく 息を切らし頑張ってみるが 触れることはできないようだ うつむき息を整え顔を上げたら 彼女は視界から消えていた 目先の小枝が揺れている 気配は遠くへ行ってしまった もしかしたら僕は最初からひとりで この森に迷い込んでいたのか そんなふうに思えてきた いつのことだろう 彼女と触れていた時間があった 声だって聞いたことがある 優しいキスだってしたことがある それなのに今はどうもおかしい 鬼さんこちら手の鳴る方へ 彼女はまだいるんだ 声が遠くから聴こえてきた 懐かしくせつない気分に包まれる 鬼さんこちら手の鳴る方へ 鬼さんこちら手の鳴る方へ 鬼さんこちら………
さらさら重なり ここはどこのあそこ 光は私に反射すればするほど ここはどこのあそこ 静けさに耳を傾けてみると 未知に身体をピクリとさせては 白い呼吸の詩に変えてゆく この静けさは誰が聴く この冷たい切なさは誰が聴く ひとりの景色は 便りの種になり春を待つ たらたら解ける ここはどこのあそこ 雨は自分の形を残せば残すほど ここはどこのあそこ 廻り廻る長さを聴く 人生のどの辺に立っているのか ひとりの景色は 地に浸みて沈んでいく この滴は誰が聴く この冬を消す音を誰が聴く ひとりの景色は 便りの種になり春を待つ
思ったより 細くて柔らかい腕に 君を守ってあげなくては と、気づいた気持ちに 僕は驚いています 恋とは違う感情があって 鏡を覗いて見ても まだ僕の顔は頼りなく 愛という言葉は映りません だけど 僕の心より君という初めてに 生きる意味を知りました
砂糖入れる? わたし 甘党だから三杯で 新築祝いに来てくれた 友だちにコーヒーを入れた どうぞ ブッファッーーー とゴジラが火を吐くように コーヒーが飛んだ どうしたの? と訊くとコーヒーカップを渡された そして私も コーヒーをおもっきり吹き出した ………汚れた新築祝いに笑う
息子と公園で遊んでいた 公園内をスクーターで乗り回すヤンキー ひとりのお父さんがそのヤンキーに近寄る ヤンキーの足をはらい倒す このお父さん どんだけケンカしてきたんだろう 百戦錬磨の強さだった 110番され ヤンキーは逃げ お巡りさんに囲まれるお父さん ヤンキーを追いかけろよ
今日はじいさんの むかしむかしのお話しが聞きたいとな そうじゃなあ ひとつお話しをしようかな わしの初恋ってのはどうだい そうか それは聞きたくないって言うと思ったが では話を始めるかねえ わしが小学校に上がる前の話じゃ 家はまだぼっとん便所でな ああ 今みたいな水洗トイレでなくてな 和式便器があってその下に大きな穴があって そこにするんじゃよ 便所のサンダルをそこに落としてしまい 父親によく叱られたわ そんな話はいらないな そうそう まだ洋風な家などなかった近所に レンガが数段つまれてた塀で その上に白いパイプが建てられての そこにバラが巻きつき 真っ赤な花を咲かしていたんじゃよ 家も真四角で真っ白な家で 外国のお話しに出てくる 世界って感じの不思議な魅力があった そうなんじゃよ そこの家族は金髪で鼻の高いひとたちで なんせ言葉が通じなかったんじゃよ パパさんは少し日本語が話せたんだけどな いつも家にいるのはママさんとお嬢さん そうそう そのお嬢さんの名前はヘレンって言って わしと同じ歳くらいだったの 言葉はまったく通じなかったけど ずっといっしょに遊んでいたんじゃ ヘレンはピアノが上手で 聞いた音楽をすぐに弾いたりするんじゃよ 「上を向いて歩こう」がわしはとても好きで 人差し指を立て日本語で「もう一回」というと 嬉しそうにピアノを弾いてふたりで歌ったんじゃ 今でもあのヘレンの笑顔は忘れないの わしはヘレンを笑わせるのが楽しくて バラのトゲをパチンと取ってツバをつけ 自分の鼻の頭やおでこにつけて 怪獣のマネをするとヘレンはキャアーと 半分笑いながら逃げるんだよ 楽しかったの そうそう ヘレンの誕生日に わしは上手ではなかったけどヘレンが ピアノを弾いている姿を絵に描いてプレゼントしたんじゃ その時な はいはい その時な ヘレンはわしのぽっぺたにキスをしたんじゃ 固まっているわしを見るヘレンが笑っていて 嬉しいのに嬉しくないというか 初めての感覚だったの しかし 楽しい時間というのあっという間に過ぎてしまい ヘレンとは小学校を上がるちょっと前に さよならすることになってしまったんだよ 別れる日のことは鮮明に覚えてるの ヘレンにサヨナラの言葉さえ出なくて 車に荷物を運ぶパパさんとママさんを見て ヘレンとわしは手を繋ぎ突っ立っていたんじゃ パパさんとママさんがわしに「ありがとう」と とても優しく言ってくれたんじゃ だが それがヘレンとのお別れの時というのがわかり 口をきつく結び泣くのをガマンしたんじゃの ヘレンと手が離れた感触も今でも覚えてとる 車が出るとわしは突然に大きな声で 「上を向いて歩こう」を歌い出したんじゃ するとヘレンは後部座から振り向いて ピアノを弾くマネをしたんだ わしは「涙がこぼれぬように……」と歌ったが 涙はいつまでも流れたんじゃなあ これがわしの初恋の話になるの おお お前さんも泣いてくれるんかい 聞いてくれてありがとうな
風は冷たいかもしれなくて 「かもしれない」と感じるほどの心は ここにあるのだけれども 地に着いていない毎日 不安を誤魔化すほどの楽観はないけれど 進まなくていけないと 理由もわからず暮らす日々もあろう 冬の風は冷たいかもしれなくて 近くを見るばかり 枯れ葉がまた足元に落ちた
破れない風船は お世話になったひとたちへ 垂れ下がった糸を振りながら 感謝の気持ちを伝えに行きます 少しの間 この世界を自由に飛べるのです 私も風船になりました 先ほどから挨拶まわりをしています 飛んでいるのは夢のようで なんだか不思議な気持ちがします カラスはカァーカァーと鳴きながら 私のことを見ています けれどもクチバシで突くことはしません その黒い出で立ちで親近者のように 喪に服しているのだろうか 懐かしい小学校が見えてきました 私が描いた絵はまだ飾られているだろうか 見てみたいけれど そこまで時間はないようなので 家族のところへ向かいます なんてことでしょう 私の身体を囲み家族が泣いています ろくな人間ではなかったのですが いざ風船になると ちょっといいひとになるようです 家族には ありがとうの言葉しかありません この世界で共に過ごせた幸せ 私も泣いています ああ どんどん空の上にあがり とっても速く景色は流れています もう雲の上まで来てしまいました なんだかとても懐かしい匂いがします そして おふくろと親父の声が聞こえ どんどん光の世界に近づいています ただいま 帰って来ました お前の帰りをずいぶんと待ったよ いい人生だったんだね ご飯の準備はできているから いっぱい食べるといい
帰るところを知らない 僕たちを星が笑っています 手をつなぐ温かさがあれば 寂しいさは どこかに飛んでいきます なんだろう このありがとうの気持ち こころは夜空に とっても澄んでいきます ふたり手をつなぎ歩く ここが ただいまの場所でしょうか 僕たちを星が笑っています