我が身のように 潰され脊椎は伝えることを鈍くし 色褪せ乾いていた 尽きた振り子のように落ちてゆく お前は何処で何をしてきたのかい 青き頃にはどんな詩を歌ったのかい 幸せだったのかい 想い出まで枯らし 軽くなったというのに落ちてゆくんだね 傷んだ神経は戻りやしない 腕の痺れはまだ意志が伝わる痛み 目の前に落ちてきた葉 手のひらで潰せることのできる私 粉々になった枯葉 お前は私ではない まだ時間があることに気づき ひとつの詩を歌っていた
むかしむかしあるところに 誰もいない話がありました なので物語が始まらないと思うでしょうが 強制的に話を続けたくなるのは私の性分 さあさあ、聞いてくださいな そうです、誰もいなかったのです もちろんいなかったのは人間 その中に知的生物体っていうのかな 宇宙人はいないってことなのかな やはり訊いてきました 宇宙人なら人間だという考え方はおかしいです 宇宙人は人間だと思いますか 僕にはわからない そうでしょ、断定はできないでしょ ネズミみたいなカラダの知的生命体がいたとしたら 人間だという概念や定義では説明つかないでしょ まあ、そういうことです 誰もいない世界なので根本的に静かです 腹減った、だの つまんねえ、とか ビール飲みてえ、など 騒ぐ声など聞こえないのですから そう、孤独なくらい静かですよ 時にはそんな世界を満喫するのも良いものです 誰もいないといいつつ 語っちゃう自分がいることが矛盾していると よくいわれてしまいます じゃあ、いるじゃん あなたはそういいますが 実は私もむかし話を聞いているあなたも 存在していないのです イミフ〜 えっ、意味わかんないって そうですか、難しいですかね では、私はどこにいるでしょう? もう、この話を終わらせてくれよ もうちょっとですので我慢してください あなたには私が見えないでしょ 私もあなたが見えないし お互いどこにいるのかわからないのだから もう誰もいないということなのです また、振り出しに戻っているのかよ だから、どこにもいないって会話しているじゃないか そりゃ、むかしむかしの話ですから なんせこの話は百年後のブログへ 投稿されるようになっていますから そうです、もしかすると 百年後は誰もいない未来になってしまい ほんとうに誰もいない話は実話になるでしょう はい? いえ、あなたではないです この話を読んでいるあなた はいはい、隣は誰もいませんよ だからあなたです ほう、いたのですね 誰もいないはずなのに…… そうでしたか 誰もいない話をしていたつもりだったのですが これは嬉しい誤算になってしまいました
私は職場に向かうおうとする矢先 駅前でコーヒーを飲んでいる サボってしまいたいような 仕事が嫌いなわけではない ただなんとなく 疲れているわけではない ただなんとなく 人間関係が悪いわけではない ただなんとなく 駅に向かう険しい顔が連なって それはそれは近寄り難い働くひと 夏休み明けの子どものように 私はそこに居たくなかったようだ なぜかコーヒーの一杯が長く感じる 腕時計を見るとまだ仕事へ間に合う時間だ どうしようㅤどうしようㅤどうしよう 真面目が勝ったようだ 私はやはり働くおじさん それは日本人の遺伝子レベルの話し せっせと頑張ってしまう 今日も一時間ほど早めに家を出て コーヒーを飲んでいるのだから準備万全だ
夏の仲間は何処にもいない 蚊はふらふらと飛んでいる そのカラダでは刺すこともできず 寄航先もわからず羽は静かにもがく 生まれた孤独すら知らない 私に哀れを感じさせる刹那の意味は いったい何であろうか ああ せめてこのまま手を出さぬよう そこにある自由を見守って 夏の残り香にふらつき 私の悲しみの中を蚊が飛んでいる
心地よい風 コスモスはゆらゆら揺れ 僕は何かを成し遂げたかのように 満足気な微笑みをこぼしているのかな ひと夏の苦労を労い Tシャツの袖から新たな風が抜け 焦がした日々を想い出が冷やして 繋がれた先の季節に立ち 新たな風の香りに幸せをのせ 言わせてもらうよ ありがとう ありがとうにありがとうを重ね また僕はここに立っているんだね
詩を書き続けるために 視力が失ったら 手があるじゃないか 手を失ったら 口があるじゃないか そんなに弱くない もし喋ることも聞くことも 失ってしまっても 足があるじゃないか もし表現するための 手段をすべて失っても 生き方がある 詩は言葉だけじゃない 俺という詩の生き方がある
ひとの幸せ ひとがあって自分の幸せ 自分があってひとの幸せ 自分の幸せ 自然からの幸せ 自然あっての幸せ 生かされている幸せ 生きて行こうとする幸せ 捨てることの幸せ 拾うことの幸せ 生きる幸せ 生きた幸せ
脳も 心臓も 肺もない カラダのほとんどが水分 動き続けなればガス交換も体内循環も出来やしない それでいて遊泳能力もなくどこへ行くかは水流まかせで生きる 脳も 心臓も 肺もある カラダは進化していった 考え続けなければいとも容易く壊れてしまう生態 それでいて幸せへの道を間違って進んで生きてしまう不思議
もう誰もいないその家には 遺品になってしまったモノたちが おかえりも言えず静かに佇んで 主を失った家は時間の止まった箱 咳ばらいがひとつ聞こえそうで 聞こえない空しさが回っている 積み重ねられたノートに 今年もツバメが来ましたと書かれ ツバメの親子が並んでいる絵 歌いだしそうに描かれていた 若き日 絵を描くことに憧れ 山形から東京へ旅立った 現実はやはり厳しくて 絵の世界では生きてゆくことは出来ず 寮のあるパン工場に勤め四十年 結婚することもなく 派手に遊ぶこともなく だけど絵を描くことはやめなかった やめれなかったのだろう 大学ノートにはツバメの親子ばかり 誰に見せるわけでもないのに そこには叔父の控えめさはなく 賑やかな世界が広がって そしてノートの最後には じゅんㅤありがとう がんばれよ そう書かれていた 私がこのノートを見ることを 知っていたかのように 私も一生ㅤ詩を書いてゆこう 叔父のように貫く人生の意志を継いで なるべく純粋に無垢に進んでゆこう ありがとうㅤ叔父さん そう呟いて私はノートを閉じた