動く景色 俺は止まっている まだ何処へも向かっていない 何処で降りる? いつでも進める足がある怠惰 俺に足があるとは言えない 動かずに生きている死んでいるようなモノ どうしたら一歩が踏み込める どうしたら生きていると言える 俺の何を打破すれば 動く根拠が芽を出すのだろう
みんなカタチも大きさも それに厚みもそれぞれちょっと違う 社会というナカミを入れられ 生きて行くわけだが それはたいへんなことなのだ 僕らは丈夫でなければならない でもすぐに壊れてしまうのだ ダンボールの素材では濡れたり 押されてしまえば 精神のように弱かったりする ナカミを漏らしたら 使いモノにならないヤツだといわれ ロボットたちに捨てられてしまう でも搬送の途中で壊われなければ たいてい回収されて またダンボール箱に再生するんだ 前とはカタチが変わってしまうけど 今朝はトラックに揺られ ギシギシと押されながら運ばれている でもみんなの大きさが違うから 隙間が少しできて息苦しくはない そんなちょっとしたことで 救われたりもするんだ 僕たち昔は人間のカラダだったらしいよ 手があって足があって 胴体があって頭があって 生身のカラダを持ちどこにでも行け 夢を描くこともできたらしいよ でも神様はそれを許さなかった どんどん自分を満たそうと 憎み合って争いが始まったから 人間のカラダをダンボール箱にしたんだ 配送センターに『愚かな人間』という銅像もあるし 人間って悪魔にでもなりたかったのかな 僕たちは何回も再生され 大事にしなくてはいけないモノが 少しづつわかってきたんだ 最近はダンボール箱も イケているなんて思っているのさ 「神様 僕たちのカラダがダンボール箱でも 器などもうどうでもよいのです ダンボール箱を全うすれば それでよいと思っています」 さてさて 今日はどこへ行くのだろう ずいぶんと揺れているから田舎の方なのかな……
詩は文学であろうか 詩は学問であろうか 詩は芸術であろうか 詩を書く者は誰であろうか 個人に帰する道徳のフィールドから 共有可能な最小の心象を表現 人間として バランスを得るための 対人との折り合い 自身の折り合い 如何なるものなるか 如何に洞察するか 心中模索から 捻出された労りを結晶させ それらで奉仕する者 更に 詩人とはユーモアセンスの持ち主 未来を描く個人の生き方の納得により構築 消えない魂の匂いを醸し出す作業に没頭する 誰もが持てる天才力を有する者である
「可哀想だな、ずっと檻の中で」 ゴリラに言った 「貴様こそずっと檻の中じゃないか」 ゴリラが言った 「そんなことない。俺は檻の中にはいない、自由だ」 「貴様、何か勘違いをしているな。 わしと比べて自由などと考える時点で、 自由な心がすでに檻の中にある」 「何をゴリラのくせに偉そうなことを言いやがる」 「ほほっ。貴様は偉いとか偉くないとかまた比べるのか。 自分が秀でていると思い幸せを感じるタイプだな。 最近の人間は自分で檻に入っているのだから滑稽だ」 「何を言いやがる。それなら、お前は幸せだというのか」 「ああ、幸せだ。心は我にあるからな」 「誰でも心は自分にあるに決まっている」 「はあ、そうかなあ。貴様は心あっちにある、そんな感じだな。 わしを責めることで躍起になっている。 はあ、くだらない。早くパンダを観に行けばいい」 うーん なかなか良い詩が書けたみたいだな やっぱり僕って人と比べて才能あるねえ おっと、僕が檻に入ってしまったよ
暮れゆく車窓のスペース 自由が紅く染まれば どんなくだらない一日も 許せる気がして見つめている 行き先のない夜は 何も持たずに彷徨うがよい 偶然のエピソードなんて要らない ただ誰にも邪魔されず 歩くことさえ出来ればそれで 曖昧な時間が壊してくれるさ 巻き込まれたい 冷たい風を感じながら 言葉は煩わしくて 虚しい夜空の向こうの向こう 気づかない振りして 一番星はポケットの中にしまい 呼んでいるのは揺れる葉の鈴 なるべく空白に寄り添うスマイル こぼれ落ちるクレイジー 静かに見惚れている吸収の月
かなりお待ちになると思いますが…… 三時間待ちの受診 予約なしなのだから仕方ないか 耐えられる病状だし 高校生の時 電車を待つのに五分がとても長く感じていた 時計を見ても時間はさほど進まなくてイライラ 退屈が苦痛で仕方ないかった 今はおじさんになってこの退屈加減がなかなか良い 無駄に時間が流れている感は否めないが それでもボッとすることが上手になり イライラはしなくなった 受付に暫く外へ出ていることを伝え 病院近くの公園でパンを齧る ヨレヨレののら猫ちゃん登場 遠くからこちらを見ている iPadで詩を綴って顔を上げると んっ なんだか近づいている気がする ダルマさんが転んだ 視線を液晶画面から猫ちゃんに向ける んっ もっと近づいている 眼の周りが少しただれて 耳が少し欠けているが上品に座っている ああ このパンが欲しいのだね のら猫に餌をやるな という人もいるけど自分の腹を満たすより 静かだけど必死で生きている情に揺さぶられる ほれっ 匂いを嗅ぎ舐める 大丈夫だと決断しゆっくり食べ始め完食 そして パンがあったレンガのところを舐める ほれっ パンを追加するとまたパクパクと食べ完食 のら猫ちゃんは静かに待っている もうないよ 手のひらを見せたら 少ししか開けれない眼を閉じて わかりました そう言っているのだろうか 私はまた詩を綴り始めた そして チラッとのら猫ちゃんを見ようとしたら もうどこかへ行ってしまったようだ さあ もうひとつ詩を綴ろう そうだ のら猫ちゃんとランチした マッタリ感のある作品を仕上げてみよう
さあ行くんだ 薄汚れた後悔なんて脱ぎ捨て 僕らは涙ばかり流しても 何も始まらない そりゃいろいろある訳で お前に何がわかるのさ そう叫びたくもなるけど 落ち込むために 僕らは生きている訳ではない さあ行くんだ 輝ける思想を殺さないように らしさの究極の君を見せてくれ 待っているよ 何もせずにグズグズした姿 センチメンタルになって 喜んでいるスタイルは 自分すら歓迎してないからさ さあ行くんだ 薄汚れた後悔なんて脱ぎ捨て 僕らは涙ばかり流しても 何も始まらない さあ行くんだ 嫌いな自分なんて炸裂させる そんな君を僕らは歓迎さ
アメリカでは賞賛を浴びたが 日本へ帰国すると作品は相手にされない そのことで悩み自殺未遂を繰り返したという 認められない苦しさと闘ったのだろう でも如何してそうなるのだろうと 芸術は奉仕 見返りを待つことに疑問が生じる 表現することへの 純粋が欠けているように思えるが 偏っているのは私だろうか……
僕はエネルギーをもらいに行く それも上質のものである 自然よりもっと感情にググッと 入って来るのだから楽しみだ 個人的な意見なんだけれどね 芸術ってのはググッと来て スコーンと打たせてもらうんだ 長嶋茂雄みたいなこと 言ってみたいだけどそんな感じ あの色を観に行くんだよ あのカタチを観に行くんだよ たまたまその芸術家が昨日 テレビに出ていたんだよ 表現は溢れるが時間がない 死んでも絵を描いていく みたいなことを言っていた 僕も最近は限られた時間を考えると 詩を書く時間が足らないと 思っているから共感したんだ そんな訳で矛盾しているけど 詩を書く手を休めて 六本木に赤毛の芸術家から 元気をもらいに行くんだよ わが永遠の魂を観に (写真フリーを添付)