結婚30周年を迎え近所のガーデンストアで記念写真を撮りました。
それにしても何と言う手抜き記念日だろうか!
近所を散歩して桜を見ました。
吹雪いた後なのでかなり散ってましたが一応良かったです。
信仰の友であるカネヤンとノリ牧師を訪ねた折、
カネヤンに動画で撮られちゃった。ガラ悪!爆笑!
最後にノリ牧師が出てるのも愉快!
牧師、バイカー、鮨職人として。。。シェア from LA
第50話 「 鮨屋にて、トラクト配布 」
パートで鮨板前をしながらよく”自家製“トラクトを客に手渡す。駅前などのトラクト配布でのヒット率(受け取った人が教会へ来るなど)は通常1/5000~1/10000と言われるが、客の目の前で鮨を握る私自身が「これ私が書きました」と言って手渡せば、みな嬉しそうに受け取ってくれる。わざわざ出かけて行って巷で「教会へ来てください。イエスさま信じましょう。」などと言っても嫌そうな顔をされるだけだが、向こうから来てくれる上に、旨いものを食べ酒でほろ酔い気分になった客は時には身を乗り出して話を聞いてくれる。挙句「何で牧師になったんですか?」などと聞いてもらえれば、ここぞとばかりに伝道大会と化す。
前回49話の店でいた時の話。ずいぶん前のこと。ハルミさんという30歳前後の小柄でチャーミングな日本人女性が年配の白人男性と共にやって来た。こちらの大学を卒業しこちらの企業で勤める優秀な人だ。2人で外回りのセールスをしており彼は上司と言う。「実は彼氏なんです。」と笑った。一緒に仕事をしているうちに彼にコクられ付き合いだしたそうな。彼は40歳半ば、割と気難しい感じの小太りの人。この時も私は自身が牧師をしていることを彼らに告げ、盛り上がったところで自家製トラクト「もの言う牧師のエッセー」を3枚ほど手渡した。
4ケ月ほど経ったある日、また2人が訪れ鮨カウンターに座った。すると「ミッキーさんですよね!ハルミです!覚えてますか!?」などと彼女はいきなりハイテンション。「エッセー読みましたよ! 面白かったー!」と喜んでくれた。何のことかと聞いたところ、スイス時計の話を書いたエッセー第43話「またオメガかよ。。。」(HP参照)の話であることが分かった。「実は私の彼、スイス人なんです! それで彼にもあのエッセーを英訳して読み聞かせちゃいました!」 ありゃまビックリ。何と言うまぐれ当たり。
日本のクオーツ時計が世界を一度は席巻したものの、その後スイス時計は盛り返し、オリンピックの公式時計にはスイス製しか使われていない話を通して、人のおごりを戒め、無力を示し、神を畏れるよう説く内容だったのだが、まさかスイス人にまで読まれるとは。実のところこれほどの反応はめったにない。神さまがハルミさんを通して、地道に奉仕を継続することが無駄ではないことを改めて示してくださったことを知り胸が熱くなった。彼らの救いを祈りつつ、トラクト配布はこれからも続く。
「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。
朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。
あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。
二つとも同じようにうまくいくかもわからない。」 伝道者の書11章1,6節
4-16-2021
今年もついに蘭が5つ咲いて満開になりました。神さまに感謝!
カミさんが丁寧に世話してるので6年連続咲いてます。
今年もついに蘭が5つ咲いて満開になりました。神さまに感謝!
今年もついに蘭が5つ咲いて満開になりました。神さまに感謝!
牧師、バイカー、鮨職人として。。。シェア from LA
第49話 「 鮨屋にて、イチャモン瞬殺 」
今から数年前、全米最大規模の売り上げと面積を誇る地元OCの巨大モール「スペクトラム」内にある鮨屋に勤めていた時のこと。一日の営業がほぼ終わり午後9時半頃に片付けをしていたら、白髪の鮨職人の爺さんがいきなりボクに向かってわめき出した。
カレ 「バカ野郎!! テメーッ!! 何が神さまだよ?!
そんなもんいるわけねえだろ!!
もしいるなら見せてみろってんだい!!」
ボク 「ああ、いま見せたるで!!
じゃぁ まずアンタの心を見せてみろ!!」
カレ 「何ぃ!! ここ!!。。ろ。。。?? 心?。。。ん~? え~と。。。」
ボク 「早く見せろ!!」
カレ 「いや。。。その。。。えーと。。ん~。。。」
ボク 「じゃ、ないんだ? 心。アンタ、心持ってないんだ?」
カレ 「いや、あるよ。。。」
ボク 「じゃ、はやく見せて。」
カレ 「。。。いや。。。その。。。心なんか見せれるわけねえだろ。。。」
ボク 「じゃ、アンタの過去未来を見せて! アンタの思い出を見せて!
アンタの怒りや愛を見せて!」
カレ 「。。。 」
ボク 「アンタ、さっき神は『見えないから いない』
とか言ってたな? これで分ったろ?
人間にとって最も大事なものはたいてい見えないんだよ!」
そうしてボクはまた片付けをしてる手を再び動かし始めた。すると爺さんは、「心。。。見えねえよなぁ。。。でも、あるよな。。。心。。。? アレレ? 心?。。。アレ?? じゃぁ。。。やっぱり神さまっているのかな。。。?」とポツリ。一件落着、晴れるや! 彼の救いを今も祈っている。
牧師をしてるとイチャモンをよくつけられるが、聖霊が激しく降るとイチャモン相手”瞬殺KO“も珍しくないので恐るるに足らず。それは、救い主イエスを心から信じ、彼を心に迎えた者には、神が聖霊を通して日々の信仰の歩みを守り導いてくださるという確信があるからだ。確かに神は霊なので “物理的” には見えないが、
「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるもの。」 そして
「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、
したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟る。」
へブル人への手紙11章1,3節
のである。言い換えれば、イエスを信じる信仰のない人は「神が見えない」。だから私は議論もイチャモンも脇に置き、今日も地道にまず福音を伝えるため働く。
3-27-2021
9つの蕾をつけたイースターリリーがまず3つ咲きました。
おかげで家中がユリの香り充満!あと6つも楽しみ。神さまに感謝!
- ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
- まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ