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OBON Society Blog

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朝日新聞/太平洋に散った旧日本兵の日章旗 77年経て遺族の元へ(Japanese Newspaper featured flag returning in Hokkaido)

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朝日新聞/太平洋に散った旧日本...
「武運長久祈ル」「元気で頼む」「北海男子」「盡(じん)忠報国」「守れ祖国の生命線を」。その日章旗には、戦地へ行くのを見送った故郷の人たちの、数々の寄せ書きが残されていた。
太平洋の激戦地で戦死した北海道雨竜町出身の海軍兵の所持品とみられる日章旗が、77年の時を経て遺族の元に戻る。元米国兵の家族が保管していたもので、旧日本兵の遺品を遺族に返す活動をしている米オレゴン州の非営利団体「OBONソサエティ」の仲介で、30日に同町の雨竜神社で返還式が行われる。
OBONソサエティは、オレゴン州在住のジーク敬子さんが戦死した祖父の日章旗の返還を受けたのをきっかけに、夫のレックスさんと2009年につくった団体だ。兵士らの遺品の返還活動を通じて旧交戦国との和解と友好を訴えている。これまでに戦利品などとして米国などに持ち帰られた日章旗約400枚などを、日本の遺族らに届けてきた。
今回返還される日章旗には、旧日本海軍の第九艦隊第九十警備隊に所属した、岡村耕平一等兵曹の名が書かれていた。妻子4人と農家を営んでいた岡村さんの出征の際に「雨龍村第九区住民一同」が贈ったとみられ、日の丸を囲んで約30の寄せ書きがあった。
防衛研究所の戦史叢書(そうしょ)やOBONソサエティの調査によると、太平洋南部・ニューギニア島の北岸ホーランジアに上陸した同警備隊は、1944(昭和19)年4月、連合国軍の急襲を受け、29日に部隊は散り散りになった。
「ゲリラ活動を続行せよ」との命令で戦闘を継続したが、5月3日には艦隊司令長官以下の玉砕が報告された。岡村さんも同日に戦死、38歳だった。部隊の生存者は数人にすぎなかったという。
岡村さんの日章旗を所有していたのは、米国陸軍兵士の息子のジェイムス・ルイスさん(73)。亡くなった両親の遺品の中に階級章などと共に保存されていたのを見つけ、OBONソサエティに連絡した。----------

全文は添付の画像かリンク先で読んでいただけると幸いです。
https://www.asahi.com/articles/ASP8M4K7QP8KIIPE01H.html
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新潟TV21が日章旗返還について放送/戦地の日章旗 76年ぶりの返還(Japanese TV featured successful flag return)

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終戦から76年。
当時、妙高市から沖縄に向かい戦地で散った
男性の日章旗が76年ぶりに遺族のもとに返還されました。
8月15日は76回目の終戦記念日でした。76年ぶりに戦地から遺族のもとに返還された日章旗が、新潟県の妙高市役所で展示されています。
妙高市役所で開催されている平和パネル展。見学に訪れた人は当時に思いをはせていました。来場者は「私の父は33歳の時、第二次世界大戦で亡くなった。二度と戦争はしないでほしいと昨日の戦没者追悼式を見ていて実感した」と語りました。
展示の一つの日章旗は、妙高市出身で沖縄で散った男性の遺品です。6月30日に妙高市出身の戦没者の追悼法要で、日章旗は遺族に渡されました。旧新井市矢代出身で沖縄で戦死した古川學さん(当時30歳)に、出征の時に贈られたものでした。
受け取った遺族の古川行雄さん(66)は、「なんとなくお盆にお参りするだけでしたが、學の偉大さを痛感しました」と語りました。
日章旗には、戦場での無事を祈る「武運長久」と書かれ、周りの名前は共にすごした戦友とみられています。古川学さんは1945年6月15日に沖縄で戦死。日章旗はアメリカ兵が戦利品として持ち帰っていました。今回は、日本兵の遺品などを返還する活動をしているアメリカの市民団体から、日本遺族会などを通じて返還が実現しました。
遺族の古川行雄さんは、「戦争の悲惨さ。肌身離さず持っていて命を落とした。これをアメリカ兵が持って行かれて、日米の友好で返還という話が来て戻ってきた」と語りました。
戦争を体験した人が少なくなる中、妙高市遺族会ではこういった遺品を通じて悲劇を語り継ぎたいとしています。
妙高市役所で開催されている「平和パネル展」は、8月20日まで開催されています。https://news.yahoo.co.jp/articles/41840f9edac05f5f27c5f75c5c63ce4c99efa4ee?fbclid=IwAR1KA-sUB2hCknqRP2lt--3vkORqVI9t4zJEFXwrmXVTZjdNXYhixGbCVAU
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FRIDAY誌(デジタル版)に共同代表インタビュー記事掲載/Japanese magazine featured about OBON SOCIETY.REX and KEIKO's interview

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FRIDAY誌(デジタル版)に...
戦地に散った日本兵の遺品を「戦利品」として持ち帰った米兵が今、返還を願っている

2021年08月14日

戦後76年。戦時にアメリカ人の手に渡った「日の丸」を、日本に返還している人たちがいる。

第二次世界大戦のとき、日本兵は、家族らの寄せ書きが入った日の丸の旗を持って戦地に向かった。旗には、出征する兵士の名前とともに「武運長久」ー戦闘での幸運の願いや、無事を祈る家族、友人の名前が書きこまれていた。

兵士は、折りたたんだ旗を胸ポケットに入れお守りにして、激烈な戦地に赴いたという。旗には「思い」がこめられていた。

ーーー続きはリンク先で読んで頂きたく思いますーーーーー

https://friday.kodansha.co.jp/article/198913?fbclid=IwAR21QWCk4J5ztta0Xys8vInKEoeL0IY-GWi2GQeIcY9vNUq6gYpYus-IgU0

(OBONソサエティ https://obonsociety.org/jpn/


預かった大量の日の丸「これを還していくことが私たちの使命」と話すレックス夫妻
取材・文:和久井香菜子
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新潟日報/日章旗、76年ぶり故郷に(Japanese town paper featured successful flag return)

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新潟日報/日章旗、76年ぶり故...
日章旗、76年ぶり故郷に
沖縄で戦死した妙高出身・古川さん遺品

2021/07/10 14:05

太平洋戦争末期の1945年、沖縄で戦死した新潟県妙高市出身の陸軍伍長古川學(まなぶ)さん=享年(30)=が持っていた日章旗が、終戦から76年を経て、市内の遺族に米国から返還された。妙高市の遺族に日章旗が戻されるのは初めて。関係者は「返還は敵国同士だった米国と日本の友好の証し」と、改めて平和の尊さを心に刻んでいた。

戦争で亡くなった妙高市出身の戦没者1691人を追悼する本年度の戦没者追悼法要が6月30日、同市の新井別院で営まれ、その席上で日章旗が遺族に渡された。旗には「為古川學君」「武運長久」と書かれ、日の丸の周りには8人の名前が記されている。古川さんは45年6月15日、沖縄本島で戦死した。

日章旗は戦後、戦利品として米兵が持ち帰ったもので、米国オレゴン州を拠点に活動する非営利団体や日本遺族会などによって返還が実現した。これまで約380枚の日章旗が国内の遺族の元に返されている。県連合遺族会によると、県内遺族への返還は今回で7例目。

旗を受け取った遺族の古川行雄さん(66)=妙高市志=は「返還されるという話を聞いたときは本当に驚いた。家で保管したい」と述べた。妙高市遺族会の間島英夫会長は「遺族会では戦没者の遺品を整理しているので、守り伝えたい」と話した。

戦没者追悼法要には行政関係者や市遺族会、市社会福祉協議会役員ら約40人が参列。読経が響く中、参列者が焼香し冥福を祈った。入村明市長は「悲しい歴史を二度と繰り返すことのないよう、次の世代に受け継いでいく使命がある」とみ霊を追悼した。https://www.niigata-nippo.co.jp/.../20210710627683.html
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上越妙高タウン情報誌/遺留品の日章旗 76年ぶりに遺族のもとへ(Japanese town paper featured successful flag return)

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上越妙高タウン情報誌/遺留品の...
妙高市出身で戦争で亡くなった人たちの追悼法要が30日、妙高市で行われました。これにあわせ、沖縄の地上戦で亡くなった男性の遺留品として、日章旗がアメリカから遺族に返還されました。

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追悼法要には妙高市遺族会や社会福祉協議会の役員など約40人が参列しました。妙高市では第二次世界大戦などで1691人が亡くなっています。法要では、社会福祉協議会の三浦了好会長が追悼文を読み上げました。

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三浦会長は「平和で豊かな社会は、戦火に散った多くの尊い犠牲の上に築かれたことを忘れてはならない。我が国では戦争を知らない世代が8割を占める。戦争の記憶の風化が危惧されている。改めて戦争の悲惨さと平和の尊さを、後世に引き継がなければならない」。

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入村市長は「悲しい歴史を繰り返さないよう、我々には次の世代に引き継ぐ使命がある」と述べました。

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この後、昭和20年6月15日、沖縄の地上戦で亡くなった古川學さんの日章旗が遺留品として、遺族の古川行雄さんに返還されました。學さんは矢代地区の出身、当時30歳でした。 日章旗はアメリカ兵が戦利品として持ち帰りましたが、アメリカの非営利団体、OBON(オボン)ソサエティや日本遺族会などを通じて返還されました。

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縦70センチ、横100センチの旗には、學さんを含む9人の名前と無事を祈る「武運長久」の文字が書かれています。

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日章旗は出征する人に対し、家族などが寄せ書きしますが、遺族会によりますと、學さんの旗にある寄せ書きは地元には無い名字であることから、戦地で戦友が書いた可能性があるということです。遺族に日章旗が返還されるのは妙高市内では初めて、県内でも2例目ではないかということです。

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古川さんは「自宅に(學さんの)石碑があり、お盆にお参りしていたが偉大さを痛感した。国のためにとはいえ命を捨てた。戦争はあってはならない」と話しました。

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妙高市遺族会は、市内にある戦没者の遺品などを探し当て、登録する取り組みを進めています。この日章旗も古川さんの理解を得て、活用させてもらえたらと話しています。

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遺族会の間島英夫会長は「語り部として(市内の中学校に)戦争の話をしている。(日章旗は)生きた教材として、切実に訴えることができる」としています。
https://www.joetsu.ne.jp/148686?fbclid=IwAR1uwTtTfiFotAY6ApPyFqPdHWWHWrfMnB2PbuB5YZ2FazChU67KQZkhmCo

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盛岡タイムス/76年の時を経て遺族に 盛岡出身戦没者の日章旗 米国の非営利組織通じ 「御霊が一緒に帰ってきた」(Japanese newspaper featured successful flag return)

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盛岡タイムス/76年の時を経て...
盛岡市旧新田町(現夕顔瀬町)出身の戦没者・谷藤幸二郎さんの日章旗が、76年の時を経て、遺族の元に帰還した。日章旗は、出征者の無事を祈り直筆で署名やメッセージを寄せ書きしたもの。「祝・壮途 谷藤幸二郎君」「忠誠」「忠義は黙して行ふべし」「不死身」などの願いがしたためられていた。

幸二郎さんは、暁2948第三揚陸隊所属の陸軍兵長。1944年6月25日に、ニューギニア・ゲンエイムで戦死したという。

日章旗は、太平洋戦争時に米軍第5空軍の戦闘機パイロットだったラルフ・キッチンズさん(2017年10月逝去)が、沖縄で米陸軍兵士から譲り受けたもの。今回の返還は、娘のメアリー・ジョンソンさん=米国フロリダ在住=が父の遺志を受け継ぎ、オレゴン州の非営利組織OBONソサエティに依頼し、実現した。

OBONソサエティは、09年発足。欧米諸国を中心に、寄せ書きされた日の丸の持つ意味を正しく伝え、返還を通じた平和啓発に取り組んでいる団体。代表者はレックス・ジークさんと京都出身の敬子・ジークさん。

16年にメアリーさんから返還依頼を受け、旗の文字の書き起こしが行われた。

記されていた「新田町第一町内会」に着目し、捜索範囲を盛岡市に絞った。20年11月に市内関係機関に協力を依頼したことから、國雄さん、勝利さんが遺族であると判明した。

26日、市役所会議室で日章旗返還式が行われた。

谷藤裕明市長と、幸二郎さんのおいにあたる谷藤國雄さん(79)、佐藤勝利さん(77)、県遺族連合会の甘竹勝郎会長、盛岡市遺族会の工藤新悦会長、夕顔瀬町第一町内会の平野耕一郎会長が出席。谷藤市長から國雄さんに、幸二郎さんの出征を見届けた日章旗が手渡された。

谷藤市長は「遺留品である日章旗を76年の時を経てお返しでき、喜ばしい。温かい思いに感謝し、平和の尊さを継承したい」とあいさつした。

旗を受け取った國雄さんは「各団体のお力添えに深く感謝いたします」と謝意を示し、「御霊(みたま)と一緒に旗が帰ってきた。叔父の記憶はないが、若くして亡くなったと聞いていた。供養してあげたい」と感慨深げな面持ちで語った。

式では、レックスさん、敬子さん両代表とメアリーさんのビデオメッセージも紹介された。

メアリーさんは「戦争は恐ろしいもの。運よく父は帰ってこられた。幸二郎のこと、気の毒に思う。お返しできてよかった」とコメントを寄せた。

敬子さんは「(アメリカにも)日本の遺族の方を真摯(しんし)に思う方がいる。平和への歩みを進める第一歩となれば」と、友好と平和の継続を望んでいた。http://www.morioka-times.com/detail/?kijiid=626&fbclid=IwAR3mHmhVAP_jJdwapvfSH1tYi9QmrfvHgJ4viTQsMuXPYSmfRG2zlZ8HV_I

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NHK岩手/アメリカ兵が戦利品として持ち帰った日章旗を遺族のもとに返還(Japanese TV featured successful flag return)

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NHK岩手/アメリカ兵が戦利品...
太平洋戦争でアメリカ兵が戦利品として持ち帰ったとみられる日章旗がインドネシアで戦死した岩手県盛岡市の男性のものであることがわかり、26日、遺族のもとに返還されました。

この日章旗は、昭和19年6月にインドネシアのニューギニア島で戦死した盛岡市の谷藤幸二郎さんのものです。

26日、盛岡市役所で返還式が行われ、谷藤市長から遺族の谷藤國雄さん(79)と佐藤勝利さん(77)に手渡されました。

日章旗は、アメリカの非営利団体がフロリダ州在住の元アメリカ兵の持ち主の娘から5年前に依頼を受けて調査を進めたところ、記載されていた地元の町内会の名称や寄せ書きをした親族の名前などから、幸二郎さんのものであることが判明したということです。

持ち主の娘、メアリー・ジョンソンさんは動画でメッセージを寄せ、「返還に時間を要し申し訳なく思っています。ご遺族の安らぎとなることを願っています」と話していました。

遺族の2人は、幸二郎さんの直接の記憶はないということですが、國雄さんは「幸二郎の母親の墓前には息子がみ霊とともに返ってきたよと報告しました。みなさんの協力に感謝しています」と話していました。

また、佐藤さんは「『青天の霹靂』とはまさにこのことだと思いました。よく返ってきたなというひと言に尽きます」と話していました。

日章旗の返還に取り組むアメリカの非営利団体「OBONSOCIETY」などによりますと、太平洋戦争中、日本兵が持っていた日章旗は戦利品としてアメリカ兵が持ち帰ることが多かったということです。

この団体では日本遺族会などと連携して子や孫などから譲り受けた日章旗を遺族に返還する活動を12年前から行っています。

アメリカ国内での活動の浸透もあり、これまでにおよそ400枚が遺族の元に返還されたということです。

去年は新型コロナウイルスの影響で外出を控えた人が倉庫などを片付けていた際に偶然発見し、返還を希望するケースもあったということです。https://www3.nhk.or.jp/lnews/morioka/20210426/6040010570.html?fbclid=IwAR1CdGPiaP2X_2Ex6G1GGpAG8d9zLoAswtt7Syvzqq1yJviYW4DuqNwUnYg
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IBC岩手放送/盛岡出身の戦没者の名~旗がアメリカから遺族へ(Japanese TV featured successful flag return)

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IBC岩手放送/盛岡出身の戦没...
太平洋戦争で戦死した盛岡市出身者の名前が記された日章旗がアメリカで見つかり、26日、遺族に引き渡されました。

こちらが盛岡市出身の戦没者、谷藤幸二郎さんの名前が記された日章旗です。26日は盛岡市の谷藤市長が市内に住む遺族2人に旗を手渡しました。谷藤さんは太平洋戦争に従軍し、1944年6月にパプアニューギニアで戦死しました。旗は出征前に名前が書き入れられたもので、戦後は元アメリカ兵が保管していました。その家族が返還のため遺族を探していたところ、去年判明し、終戦から75年あまりの時を経て遺族のもとに戻りました。幸二郎さんの甥にあたる佐藤勝利さんは「青天の霹靂だった。良く帰ってきたという気持ちです」と話していました。https://news.ibc.co.jp/item_42751.html
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東近江市役所がホームページに返還式の記事を掲載して下さいました/Higashiomi City Hall has posted an article about the return ceremony.

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東近江市役所がホームページに返...
戦争遺留品返還式/令和3年2月9日(火)

戦争遺留品の返還式が滋賀県公館で開催されました。
このたび、県内3名の方の戦争遺留品が御遺族に返還されることになりました。本市では、故山田芳蔵様の日章旗が、戦後75年の時を越えて返還されることになり、大変喜ばしいことであります。今回の返還式に立ち会えたことで、戦争の無い平和な世界を築くことの大切さを改めて感じました。戦没者の皆様に追悼の誠を捧げますとともに、御霊の安らかならんことをお祈りします。
http://www.city.higashiomi.shiga.jp/0000012874.html
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滋賀報知新聞に県知事寄稿/The Governor of Shiga Prefecture contributed an article .

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滋賀報知新聞に県知事寄稿/Th...
滋賀報知新聞 2021年3月09日(火)
【寄稿】滋賀県知事 三日月 大造
「健康しが」をめざして 平和への誓いを新たに暦では5日が「啓蟄(けいちつ)」。まだまだ寒い日もありますが、少しずつ、日差しの中に春の気配が感じられるようになってきました。
 春は別れと出会いの季節です。コロナとともに、コロナを乗り越え、新たな一歩を踏み出せるよう、一日一日を大切に過ごしてまいりたいと思います。
さて、先日、滋賀県公館において、「戦争遺留品返還式」が執り行われ、私も立会させていただきました。
今回、滋賀県ご出身である三名の方の遺留品が、関係の皆様のご尽力により、ふるさとへ戻ってまいりました。出征にあたり、多くの方から寄せ書きされた日章旗、日々の行動記録が記された軍隊手帳を、私から、ご遺族の皆様にお返しさせていただきました。戦後七十五年を経て、ふるさと滋賀へ戻ってこられた御英霊の御霊に、改めて心より哀悼の誠を捧げます。
「戦争遺留品返還式」にて。戦争の悲惨さ、平和の尊さを痛感しました。
返還式では、滋賀県遺族会相談役の國松善次元知事より、「これらの遺品は無言ではあるが、戦争の悲惨さ、平和の尊さ、友好の大切さを、誰よりも何よりも訴える力をもっている。ぜひ次の世代に伝えてほしい」とのメッセージをいただきました。改めて、滋賀県知事として、このことを深く心に刻みたいと思います。
戦争体験の風化が懸念される今日、二度と戦争の惨禍を繰り返さないために、私たちは、先の大戦において国内外で犠牲になった人びとに思いを寄せ、戦争の悲惨さや平和の尊さを学び続けなければなりません。
東近江市に滋賀県平和祈念館を開設してから、来年で十周年を迎えます。これまでに収集した資料は四万点以上。また、二千人以上の方に戦争体験などを語っていただきました。貴重な資料や証言から紡ぎ出される平和への願い。この思いをしっかりと受け止め、次の世代へ語り継いでいくことが私たちの使命です。
平和と友好の輪が世界に広がるよう、頑張りましょう、共に…。

http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0033611&fbclid=IwAR2vb2nIQblTH4a2QA1r9CVgodfLAG2bG_VTdazxL1m6VPEtftasO4CR9FA
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