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中日新聞/日章旗、80年ぶり帰郷 ガダルカナルで戦死した土岐出身木村さん遺品(Japanese Newspaper featured Flag return in GIFU Prefecture )

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中日新聞/日章旗、80年ぶり帰... 中日新聞/日章旗、80年ぶり帰...
 太平洋戦争の激戦地・ガダルカナル島に土岐市妻木町から出征した日本兵の日章旗が、同町の遺族の元に戻ってきた。持ち主は木村保さん=当時(22)。約八十年ぶりの遺品の“帰還”に、遺族は「これだけ時間がたっても戻ってきたということは、本人もそれだけ帰ってきたかったんかな」。遠く離れた地で命を散らせた親族に思いをはせた。 

 日章旗は、戦争中に連合軍兵士が持ち帰った日本兵の遺品の返還活動を行うNPO「OBONソサエティ」(米オレゴン州)を通じて日本遺族会に託された。書かれた内容から木村保さんの持ち物と分かり、県や土岐市の遺族会を通じて遺族を捜索したところ、おいとめいでいずれも妻木町在住の木村義典さん(74)、中嶋克子さん(74)、木村雅英さん(71)が見つかった。

 旗は日の丸の上に「祈 武運長久」と書かれ、保さんの無事を祈る四百六十八人分の名前が隙間を埋め尽くす。地元住民だけでなく、当時遠くに住んでいた親族の名前もあった。
 市遺族連合会の吉川時行会長によると、召集令状が届いてから出兵までは一週間ほど。吉川会長は「短い期間にこれだけの署名を集めたということは、息子の無事を願う両親が署名の依頼に奔走したのでは」と推察する。

 ガダルカナル島では一九四二(昭和十七)年八月、連合軍の猛攻により、日本軍は物資の輸送が滞り、多くの兵士が飢えや感染症で命を失った。日本遺族会の記録によると、保さんは島からの撤退が決まった二週間後の四三年一月十三日、命を落とした。死因は分かっていない。

 保さんは七人きょうだいの三男だったが、両親、きょうだいともすでに亡くなっている。日章旗は今月十六日、妻木町の義典さんの自宅で義典さんらおいとめいが集まる中、市遺族連合会を通じて返還された。

 「会ったことはないので顔は知らない。でも保さんという人が戦死したというのは伝え聞いていた」と義典さん。旗を一目見てその傷みの少ない保存状態に驚いたという。「(保さんにとって)一つ区切りがついたのでは。改めて『ご苦労さまでした』と言いたい」と語った。

 返還された日章旗は、一月一日から妻木公民館で展示される。

https://www.chunichi.co.jp/article/610454?rct=gifu&fbclid=IwAR0kGlnrXk5cKHVqMThAcPrm6zS6PPsVLUtyTF2PKxd0Wljy_jZS3m7ioaY
#flagreturn #japanesflag #obonsociety #obonソサエティ #ww2 #ガダルカナル島 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #岐阜 #戦没者 #日本遺族会 #日章旗返還 #英霊

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福島TV/ガダルカナル島で戦死 終戦77年・無事を願った日章旗が遺族のもとへ つなぐ平和への願い【福島発】((Japanese News TV featured Flag return in Fukushima Prefecture ))

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7月22日に郡山市役所にて 7月22日に郡山市役所にて 福島TV/ガダルカナル島で戦死... 元米兵「チャールズ・マーコット... 元米兵「チャールズ・マーコット」さん 共同代表 敬子・レックス ジー... 共同代表 敬子・レックス ジーク 郡山市遺族会  郡山市遺族会  福島TV/ガダルカナル島で戦死...
昭和17年にガダルカナル島で散華された、福島県郡山市出身の 宇南山 民男 命(当時23歳)の所持品だった日章旗が22日、保管されていた米国からご遺族に返還されたました。返還式の様子を福島ニュースTVが放送して下さいました。

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80年を経て、遺族のもとに戻ってきた日章旗。

郡山市から出征した宇南山民男さんのものだ。宇南山さんの写真は残されていなく、遺族にとって本人を偲ぶ数少ない遺品となった。

南太平洋の島、ガダルカナル島。
旧日本軍とアメリカ軍が激しい戦いを繰り広げ、宇南山さんは砲弾の破片を受けて戦死。1942年11月29日23歳だった。出征する際、故郷の家族や友人などが無事を祈り贈った日章旗。宇南山さんは戦地でも肌身離さず持っていたとみられている。
ロバート・マーコットさん:「何が書かれてあるものだろうと、いつも不思議に思っていました。小さかったですから。いつもこの日章旗は誰のものだったのだろうと思っていました」

アメリカ・マサチューセッツ州に住むロバート・マーコットさん。
軍人だった父親のチャールズさんがガダルカナル島に派遣された際、同僚から宇南山さんの日章旗を受け取りアメリカに持ち帰ったという。

ほとんどの日本兵が身に着け、戦利品として最も人気だった日章旗。
しかし、ロバートさんの父は自宅に飾ることはなく、タンスの奥で大切に保管していた。
ロバート・マーコットさん:「私たちは日章旗に敬意を払っていました。日本兵の御霊を示すものだからです」

チャールズさんが亡くなった後、ロバートさんが日章旗を受け継いだ。
ロバート・マーコットさん:「ご遺族に返したかった。でも、方法が分からなかったんです。でも『OBON SOCIETY』が助けてくれました。日章旗をご遺族に返すことができ、御霊を(祖国に)帰すことができて、とてもとても誇らしく思います」
日章旗をはじめ、日本兵の遺品を返還する活動に取り組むアメリカのNPO団体『OBON SOCIETY』これまでに、450本以上の日章旗を遺族の元に返還してきた。
OBON SOCIETY レックス・ジーク代表:「悲惨な戦争はやめなければいけない。日章旗の返還は、その重要な教訓を全世界に知らせる取り組みだと思っている」
OBON SOCIETY 敬子・ジーク代表:「ご先祖様、国のために亡くなられた兵士の魂がきっと平和を願い、旗とともに私たちにおそらくメッセージを伝えられているんじゃないかと思います」

『OBON SOCIETY』などと連携し、宇南山さんの日章旗返還を実現した郡山市遺族会。遺族会の高齢化が進む中、孫やひ孫の代に戦争を伝える上でも日章旗を遺族のもとに届ける意味は大きいと話す。

郡山市遺族会・宍戸武さん:「その(戦争の)話が、子どもの耳におさまることは結果的には大きい事業なの。そういうふうに私は自信をもっているんです」
戦地に向かう兵士の無事を願った日章旗。

今は戦争を風化させない意志、そして平和への願いも込められている。

宇南山洋子さん(民男さんの甥の妻):「返還は本当に感謝ですね。大事に保管してくれてね、それも日本に送ってくれたということで。本当に会えれば会って話したいくらいですね。お礼を言いたいですね。民男さんが一番天国で喜んでいると思っていて、日章旗を大事に私たちが持っていて、お盆の時とかにみんなで話合えるから、民男さんは天国できっとそれを見ていると思います」

https://www.youtube.com/watch?v=UM2Hw6DgbNI
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読売新聞/ガダルカナル島の日章旗、80年ぶり故郷・郡山へ…遺族「お墓の家族に報告したい」((Japanese Newspaper featured Flag return in Fukushima Prefecture ))

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読売新聞/ガダルカナル島の日章...
太平洋戦争の激戦地だったソロモン諸島のガダルカナル島で、1942年に戦死した郡山市出身の 宇南山うなやま 民男さん(当時23歳)の所持品だった日章旗が22日、保管されていた米国から遺族に返還された。80年ぶりに古里に戻り、遺族も感慨深げだった。

郡山市遺族会や宇南山さんの遺族などによると、民男さんは1919年生まれ。42年1月、広島県の宇品港から戦地に向かい、同年11月、ガダルカナル島で腰と腕に砲弾の破片を受けて戦死したという。

日章旗は43年1月、ガダルカナル島に滞在していた米軍のチャールズ・マーコットさんが、現地の住民から受け取って持ち帰り、保管していた。受け継いだ息子のロバートさんが、日本兵の遺品返還活動を行う米オレゴン州のNPO法人「OBONソサエティ」に提供し、日本遺族会などの確認作業を経て返還が実現した。


この日は、宇南山さんのおいの妻・宇南山洋子さん(80)が郡山市役所を訪れ、市遺族会の渡辺守久・副会長から「武運長久」などの寄せ書きが入った日章旗を受け取った。洋子さんは「お墓の家族に、日章旗とともに民男さんの 御霊みたま が戻ったと報告したい。皆が喜んでいると思う」と話した。

同席した品川万里市長は「日章旗の返還は、日米の善意のリレーによって実現した。世界で戦禍が絶えない中、一日も早く平和と秩序が保たれてほしい」と語った。  
https://www.yomiuri.co.jp/national/20220723-OYT1T50130/
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関テレ/日本兵の遺品が遺族の元へ アメリカ兵が持ち帰っていた日章旗を返還 滋賀・大津市(Japanese TV News featured flag return in Shiga)

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関テレ/日本兵の遺品が遺族の元...
終戦からことしで77年となる中、アメリカ兵が持ち帰った日本兵の遺品が、滋賀県の遺族に返還されました。

家族や友人の思いが書き込まれた日章旗。太平洋戦争で戦地に向かう兵士に託されました。

これらはアメリカ兵が自国に持ち帰っていたもので、アメリカのNPO団体が遺族に返還する活動を続けていて、26日は日章旗3枚が遺族に返されました。

フィリピンのレイテ島で20歳で戦死した大継昇さんの旗は、おいの井上準一さんが受けとりました。

【井上準一さん(71)】
「20歳で亡くなるという戦争の怖さ。ウクライナの戦争で本当にわが身にこう迫ってくるというか。もしまた日本で戦争があったら…もうやめて欲しいという気持ちです」

NPO団体は日章旗などを多く集めていて、持ち主の遺族を探しています。
【動画あり】
https://news.yahoo.co.jp/articles/ada659d0f624c75a6441d6c540168ec39cf3b344?fbclid=IwAR1PrXcdIeoP-rxwxIaqCwe8vKfuLLPWDlXNYiLRw7nNJOjjwlU1iA7gfyI
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朝日新聞/出征の日章旗3枚、遺族の元へ(Japanese Newspaper featured flag return in Shiga)

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朝日新聞/出征の日章旗3枚、遺... 朝日新聞/出征の日章旗3枚、遺... 朝日新聞/出征の日章旗3枚、遺...
【滋賀】太平洋戦争に出征した人らが戦地などに持って行った日章旗の所有者3人が分かり、2月27日に大津市で遺族への返還式があった。いずれも米国にあったもので、戦後77年を経て太平洋を越えて滋賀に戻ってきた。返還活動を続けるオレゴン州のボランティア団体「OBONソサエティ」と県遺族会の協力で実現した。

3人は長浜市の吉田元弘さん(享年75)、東近江市の布施長左衛門さん(同72)、湖南市の大継昇さん(同21)。

3枚の日章旗はいずれも「武運長久」の文字と、出征者の名前、知人と思われる人たちの名前が記されている。当時、出征する兵士に故郷の人たちが贈るのが習わしだった。何らかの方法で、米兵らが戦地などから米国に持ち帰ったものという。

吉田元弘さんの日章旗は、長男の源市さん(67)が受け取った。元弘さんは中国大陸に出征したが、生前は戦争の話をほとんどしなかったという。「つらい思いをしたんだと思う。まさかこんなものが残っているとは思っていなかった」

今年、27回忌の法要を予定している。子や孫に日章旗を見せることを考えている。源市さんは「平和の大切さを伝えたいと思います」と話した。

布施長左衛門さんの日章旗は、長男の吉蔵さん(66)が受け取った。長左衛門さんは広島県呉市の軍港で勤務していた。「軍艦のメンテナンスなどをしていたと聞いたことがある。なぜ日章旗がアメリカにあったのか不思議だ」と首をかしげる。

軍服姿の写真が残っているが、戦争の話はあまり聞かなかった。戦後は農業や大工の仕事に打ち込んでいたといい、父の在りし日を懐かしんでいた。

大継昇さんの日章旗は、おいの井上準一さん(71)が受け取った。井上さんは大継さんの死後に生まれたので面識はないが、親類から「列車の窓から手を振って泣きながら出征していった」という話を聞かされたことはある。

大継さんはフィリピンのレイテ島で亡くなった。「70年以上たって日本に旗が帰ってくるなんて、感無量です。信じられません」と驚いていた。(奥平真也)

https://www.asahi.com/articles/ASQ317L0CQ2WPTJB001.html?iref=pc_photo_gallery_bottom
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関テレ/日本兵の遺品が遺族の元へ アメリカ兵が持ち帰っていた日章旗を返還 滋賀・大津市(Japanese Newspaper featured flag return in Shiga)

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関テレ/日本兵の遺品が遺族の元...
終戦からことしで77年となる中、アメリカ兵が持ち帰った日本兵の遺品が、滋賀県の遺族に返還されました。

家族や友人の思いが書き込まれた日章旗。太平洋戦争で戦地に向かう兵士に託されました。

これらはアメリカ兵が自国に持ち帰っていたもので、アメリカのNPO団体が遺族に返還する活動を続けていて、26日は日章旗3枚が遺族に返されました。

フィリピンのレイテ島で20歳で戦死した大継昇さんの旗は、おいの井上準一さんが受けとりました。

【井上準一さん(71)】
「20歳で亡くなるという戦争の怖さ。ウクライナの戦争で本当にわが身にこう迫ってくるというか。もしまた日本で戦争があったら…もうやめて欲しいという気持ちです」

NPO団体は日章旗などを多く集めていて、持ち主の遺族を探しています。

【動画あり】https://news.yahoo.co.jp/articles/ada659d0f624c75a6441d6c540168ec39cf3b344?fbclid=IwAR1PrXcdIeoP-rxwxIaqCwe8vKfuLLPWDlXNYiLRw7nNJOjjwlU1iA7gfyI
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京都新聞/旧日本兵の日章旗、米から遺族のもとへ 大津で返還式(Japanese Newspaper featured flag return in Shiga)

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京都新聞/旧日本兵の日章旗、米...
旧日本兵の日章旗、米から遺族のもとへ 大津で返還式
太平洋戦争時に戦地に赴くなどした県内出身の旧日本兵三人の遺品の日章旗が、遺族の元に返還された。二十七日、大津市におの浜のアヤハレークサイドホテルで県遺族会主催の返還式があり、三日月大造知事が遺族三人に日章旗を手渡した。 
写真:遺品の日章旗を受け取った遺族ら=大津市におの浜のアヤハレークサイドホテルで
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中日新聞/戦死した祖父の遺品、祖国へ 神岡の橋詰さん、米団体から日章旗返還(Japanese Newspaper featured flag return in Gifu)

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日章旗の返還を都竹市長(左)に... 日章旗の返還を都竹市長(左)に報告した橋詰克也さん(中)ら=飛騨市役所で
戦死した祖父の遺品、祖国へ 神岡の橋詰さん、米団体から日章旗返還


 第二次世界大戦で戦死した、飛騨市神岡町の橋詰運平(かずへい)さんの遺品の日章旗が一月下旬、米国のNPO団体「OBONソサエティ」から、孫にあたる同町の橋詰克也さん(58)の元に返還された。

 運平さんは一九一二年生まれで、四四年七月十八日にサイパン島で戦死。運平さんの遺品はなく、長男で克也さんの父の哲雄さんも、四年ほど前に亡くなったという。

 遺品の日章旗は、米国人が保管しており、旧日本兵の遺留品返還に取り組む同団体が遺族を探していた。飛騨市遺族連合会を通じて連絡を受けた克也さんが、受け取りを希望して、返還が実現した。返還された旗には「必勝」などの文字とともに、当時の区長や住民らの氏名およそ六十四人分が書かれている。

 今月二十五日には、克也さんと市遺族連合会の水谷兼太郎会長代行が市役所を訪れ、都竹淳也市長に経緯を報告。日章旗を見た都竹市長は「八十年近くたっても、戻ってくるのがすごい。(旗から)思いを感じる」と話した。

 克也さんは「『こんなことがあるんや』と、信じられない気持ちでいっぱい」と思いを吐露。運平さんの長女・道子さんが現在、愛知県春日井市に住んでいるといい「まず、春日井に送って見てもらい、春になったらお墓参りをしたい」と話した。 

https://www.chunichi.co.jp/article/425126
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NHK【戦跡】79年ぶりに帰ってきた兄ちゃん(NHKfeatured flag return in KITAMI HOKKAIDO )

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北見市に住む中股かず子さん 北見市に住む中股かず子さん 学生時代の新江繁規さん 学生時代の新江繁規さん 新江さんと許嫁 新江さんと許嫁 NHK【戦跡】79年ぶりに帰っ... 1942年のガダルカナル島 1942年のガダルカナル島 NHK【戦跡】79年ぶりに帰っ... 新江さんの戦死を伝える文書 新江さんの戦死を伝える文書 新江さんの昇進伝える文書 新江さんの昇進伝える文書 元兵士から送られてきた兄の写真... 元兵士から送られてきた兄の写真を見つめる中股さん 日章旗を返還したシェルトンさん... 日章旗を返還したシェルトンさんの写真の前で話す中股さん マーク・シェルトンさん マーク・シェルトンさん シェルトンさんからの手紙 シェルトンさんからの手紙 NHK【戦跡】79年ぶりに帰っ... シェルトンさんと孫のジョセフ君 シェルトンさんと孫のジョセフ君 戦死したジョセフ・シェルトンさ... 戦死したジョセフ・シェルトンさん 手紙を読む中股さん 手紙を読む中股さん 中股さんに別れのあいさつをする... 中股さんに別れのあいさつをするシェルトンさんとジョセフ君 NHK【戦跡】79年ぶりに帰っ...

79年ぶりに帰ってきた兄ちゃん(2022/2/2 北見局記者 徳田亮祐)

「ああ、兄ちゃんが帰ってきた」

ぼろぼろに破れて色あせた日章旗を受け取った時の気持ちを女性はそう語りました。

令和3年(2021年)11月、アメリカから北海道北見市に住む女性のもとに、突然、日章旗が届きました。79年前、太平洋戦争の激戦地ガダルカナル島で23歳の若さで戦死した兄が持っていたものでした。

日章旗を「兄ちゃん」と呼んだ女性は、戦後をどのように過ごしてきたのだろう。
そして、なぜ、旗はアメリカから突然返還されたのだろう。
多くの疑問を解くため、「79年ぶりの兄の帰還」の取材を始めました。

「兄ちゃん」のことが知りたい

日章旗を「兄ちゃん」と呼んだ女性、北見市常呂町に住む中股かず子さん93歳。
自宅を訪ねると、「兄ちゃん」の新江繁規さんのアルバムを見せてくれました。
繁規さんは9人きょうだいの長男だったそうです。



中股さん
「兄ちゃんはラッパを吹いたりスキーをしたりするのが好きでした。成績もみな「甲の上」をとっていて、すごく優秀でした。だから、お父さんも兄ちゃんの通知表だけは大事にとっていました。きょうだいみんなでお風呂に入る時、兄ちゃんに入れてもらったりしてね。本当にいい兄ちゃんだったと思います」


さらに中股さんは、繁規さんと和服姿の女性の写真を見せてくれました。
女性は繁規さんの許嫁でしたが、2人が結婚することはありませんでした。
繁規さんが今の旭川商業高校を卒業したあと、結婚前の21歳で徴兵されたからです。
そして繁規さんは、日本陸軍でも屈指の精鋭と呼ばれた旭川の一木支隊に配属されました。


中股さん
「私が13歳の時、兄ちゃんが入隊することになって網走まで送りました。それが兄ちゃんと会った最後ですね。兄ちゃんが汽車の窓からね、上半身を大きく出して『みんなで自分の分まで親孝行してくれ』と言ってくれました。戦争はだんだんひどくなる時でしたからね。もうこれで会えないんだなと思いました」



昭和17年(1942年)8月、繁規さんの部隊はわずか900人余りで、1万人のアメリカ海兵隊に占領されたハワイとオーストラリアの間にある要衝、ガダルカナル島の飛行場の奪還作戦に投入されました。
軍部の甘い見通しで10倍の兵力に挑んだ結果、隊員の8割以上が戦死し、ほぼ全滅しました。

中股さんが兄、繁規さんの戦死を知ったのは、4か月後の昭和17年12月11日でした。
父のもとに文書が届けられ、兄がガダルカナル島で頭部を撃たれて死亡したことだけがわかりました。



当時の東条英機総理大臣の名義で、繁規さんが戦死した日に陸軍中尉に昇進したと伝える文書も届きましたが、遺骨や現地で身につけていた遺品は一切届きませんでした。

前途洋々の若者の命を奪いながらも「紙」が送られてきただけだったということに、私は怒りを感じましたが、中股さんは「時代」という言葉とともに静かに「しかたがない」と、心情を語ってくれました。

中股さん
「戦死の公報を受け取った父は、兄が亡くなったと言って涙をこぼしていました。あの時はみんな亡くなったら『お国のためだから』という時代だから。『お国にご奉公した』と言っていました」


繁規さんはガダルカナル島でどのような最期を迎えたのか。かつて、ガダルカナル島から生き延びて帰国した別の元兵士から、写真とともに、『繁規さんが戦死したのに、自分は何の役にも立たず、おめおめと生き延びてしまい申し訳ない』と書かれた手紙が届いたことがありました。中股さんは兄の最期を知りたいと思いましたが、送り主の名前も住所も書かれていませんでした。
心の傷が完全に癒えることがなかったという中股さんでしたが、そんな時に突然、アメリカから送られてきたのが、兄の日章旗でした。

中股さん
「ガダルカナル島は激戦地だったので旗が戻るとは夢にも思わなかった。きっと旗を体に巻いていたんだと思う。弾があたったりして、旗が破けちゃったんだと思って。旗を受け取った瞬間、どすっと重たかった。それで『ああ、兄ちゃんが帰ってきた』と思った。この一枚の旗がね、本当に重たかった」

この時になって初めて私は、中股さんにとっては「旗の返還」ではなく、「79年ぶりの兄ちゃんの帰還」なのだと知ることができました。

手を握ってお礼を伝えたい

中股さんの話を聞いていると、居間の目立つところに孫やひ孫の写真と一緒に、ある家族写真が飾ってあるのに気づきました。
写っていたのは、日章旗を返してくれた65歳のアメリカ人、マーク・シェルトンさんとその家族でした。

ルイジアナ州に住むシェルトンさんは8年前、父の遺品を整理していたところ、クローゼットで旗を見つけたといいます。その後、テレビ番組で日章旗のことを知り、自身で経緯を調べた結果、旗は21年前に亡くなったシェルトンさんの親戚が、戦利品としてガダルカナル島から持ち帰ったとみられることがわかりました。
シェルトンさんは、日章旗の返還に取り組むアメリカのNPO「OBONソサエティ」に相談します。そして、旗は、出征する兵士のために一人一人が心を込めて寄せ書きをしたもので、多くの遺族が見つかることを待ちわびていると知り、NPOに託したといいます。

中股さんは、旗とともに送られてきたシェルトンさんの手紙を大事に保管しています。

シェルトンさんが中股さんに宛てた手紙
「親愛なる中股さま。
 お兄様が生きた確かな証である日章旗が故郷にかえってくることで、あなたやご家族、そして私自身にも、喜び、平和、そしてある意味、心の平穏がもたらされることを願っております。マーク・シェルトンより」

取材中、中股さんは、「年も年だし、アメリカに行くことは難しいが、本当はシェルトンさんの手を直接握ってお礼を伝えたい」と、たびたび話してくれました。
しかし、新型コロナウイルスの感染拡大もあり容易にアメリカには行けない状況です。私は繁規さんの遺影を見ながら、「何かできることはないか」と考えるようになりました。

それと同時に、私はシェルトンさんの手紙に「アメリカ軍人として自国のために誇りをもって戦った私の親族のことをあなたに知って頂ければ幸いです」、「旗のことを一生懸命に調べていると、私の心の中でたくさんの疑問や感情が混ざり合いました」とも書かれていたことが気になりました。
シェルトンさんは、どうしてかつての敵国である日本にわざわざ旗を送り返したのだろうと。

私にできることは・・・
中股さんの話を聞いた私は、NPOを通じてシェルトンさんと連絡を取り合い、2人がオンラインで話す場を設けることを提案しました。
シェルトンさんも「ぜひ中股さんと話がしたい」と応じてくれ、令和3年12月に実現しました。
私は、2人が対話する中で、シェルトンさんが日章旗を送る決断をした背景もわかるのではないかと思いました。


ひらがなで「こんにちは」と書かれたフリップを片手に持ち、笑顔であいさつをしたシェルトンさん。隣にいた孫を、中股さんに紹介しました。

シェルトンさんの孫
「僕の名前はジョセフです」

シェルトンさん
「孫のジョセフの名前は、私の叔父ジョセフ・シェルトンにちなんでいます。
 あなたのお兄さんと同じように戦争から帰ってきませんでした」

シェルトンさんには旗を持っていた親戚とは別に、戦争に参加したジョセフ・シェルトンさんという叔父がいました。昭和20年(1945年)に名古屋の空襲に参加した際に撃墜されて捕虜となり、その後、処刑されたといいます。

シェルトンさんの手紙に書かれていたのは、このことだったのです。

しかし、シェルトンさんはかつての敵国である日本に旗を返すことに、全くためらいはなかったといいます。
国は違えど、家族や親戚を戦争で失った遺族の悲しみは同じだと考えたからです。

シェルトンさん
「戦争に巻き込まれたのは『人間』なのです。私よりも前の世代が日本に対して厳しい感情を持っていることは知っていますが、私の世代や若い世代は、過去に何があったのかを受けとめ、次に進む準備が出来ています」

「思いはみんな一緒」

中股さんはこの日のために用意した手紙をシェルトンさんに読み上げました。

シェルトンさんに宛てた中股さんの手紙
「親愛なるマーク・シェルトン様へ
シェルトンさんのご家族の写真をいただき、毎朝『おはようございます』と声をかけています。私は1人暮らしの93歳という年寄りです。おかげさまで元気です。
日章旗は兄が身につけていたもので、兄が帰ってきてくれたのと同じです。これからは仏前で毎日兄と会えるのです。兄との昔の思い出を思い出しながら暮らしていきたいと思います。長生きしてよかったなとつくづく思います。
捨てられてもしかたないほどにぼろぼろな旗なのに、捨てずに返して下さいましたシェルトン様に心よりお礼申し上げます」

手紙を読んでもらったシェルトンさんは「とてもうれしく光栄です」と応じ、中股さんがアメリカに来たらアメリカンフットボールの観戦に案内したいと笑顔で話していました。中股さんも涙をぬぐいながら「いつか北海道に来て下さい。私が生きている間にお会いしたい」と、別れのあいさつをしました。

マスク越しでも、中股さんがほほえんでいたのがわかりました。

中股さん
「戦争中、アメリカのことはただ、敵国だという気持ちでした。だけど、終戦になって、こうやってじかにシェルトンさんのお話を聞かせてもらい、お互いにたくさんの方が亡くなっているんだから、思いはみんな一緒だと思いますね。だから戦争だけはもう2度とないように、ない世界になってほしいです」

取材を終えて
中股さんは「今の時代とは違い、当時は戦死したら『おめでとう』という人もいた。家族は涙を流しても外では誰にも言えないような時代でした」と話していました。だからこそ、そのような「時代」に後戻りしないよう、戦争だけはやめてほしいという訴えは、胸に響きました。

そして、中股さんは、旗がどれぐらい大事なものなのか、私に教えてくれました。今にもちぎれそうな旗が、「どすっと重たかった」こと、そして中股さんが毎日仏壇の前で優しかった「兄ちゃん」に会っていることを。

一方で中股さんは「兄ちゃん以外にも戦死した人はたくさんいる。1人でも多くの人に遺品が届いてほしい。私ばかりよくしてもらって申し訳ない」とも話していました。
中股さんのように遺品が返ってくるのを待っている方々は今も全国にいます。遺族が高齢化する中、1つでも多くの遺品が早く見つかり、遺族の手元に返されてほしいと思います。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_139.html?fbclid=IwAR2yEr8J8H-I9lbSf3yqRg_IC20a2GCewSUMYZZLtvvARmlHNhC3A-6Qv4Q
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河北新報/ 父の日章旗、息子に返還 石巻の亀山さん(Japanese Newspaper featured flag return in Miyagi)

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河北新報/ 父の日章旗、息子に...
父の日章旗、息子に返還 石巻の亀山さん
2022年01月07日 10:48

太平洋戦争の激戦地、ガダルカナル島に軍属として参戦した旧稲井村井内の亀山實夫(みつお)さんの日章旗が昨年12月21日、長男の桂太さん(69)=石巻市のぞみ野1丁目=に返還された。亀山さんはガ島でマラリアにかかり日本に帰還、戦死を免れた。桂太さんは「父が生きて帰れたのは日章旗のおかげ」と話した。

日章旗の返還は日本遺族会などを通じて実現した。ガダルカナル島などの戦闘に参戦した元米海兵隊員が持ち帰り、戦没者の遺留品の返品を進める米国のNPO「OBONソサエティ」が保管していた。

石巻市社会福祉協議会であった返還式で、県連合遺族会石巻市支部の鈴木喜美男支部長が「戦争の悲惨さ、平和の尊さを次の世代に語り継いでほしい」とあいさつし、日章旗(横100センチ、縦70センチ)を桂太さんに手渡した。

亀山さんは高校を卒業後、都内の石材問屋に就職。軍属として出征し兵舎の建設に携わったという。出征前に書かれた日章旗には、無事を祈る「武運長久」や、「祈る健闘」などの寄せ書きがある。

マラリアにかかりガ島から生きて日本に戻った亀山さんは戦後、戦争のことはほとんど話をしなかったという。1974年に病気で50歳で亡くなった。

日米開戦から80年の年に父親の日章旗が戻ってきた奇跡に驚く桂太さん。「戦争は駄目。何もいいことがない。これを機会に子ども、孫たちに平和の尊さを語り継いでいきたい」と語った。https://kahoku.news/articles/20220107khn000020.html
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