京都御苑(烏丸通)にある幕末史跡、禁門の変(元治元年・1864年)の御門です! 【蛤御門(はまぐりごもん)】 現在の京都御苑の外郭九門の一つ。 本来の正式名称は 「新在家御門(しんざいけごもん)」 門の形状は高麗門型の筋鉄門。 御所の火災の際、滅多に開くことのなかった門がこの時だけは開いたため、 固く閉じていたものが火にあぶられて開いたことをハマグリになぞらえて 「蛤御門」 という俗称が付けられたとされる。 八月十八日の政変によって弾圧された長州攘夷派は、藩の名誉回復を目的に御所へ逆襲。 これに対して薩摩藩、新撰組、会津藩、桑名藩の連合軍とこの蛤御門周辺で戦闘事件が発生した。(禁門の変) 当初は長州藩優勢で御所内へ入り込んだが敗退。久坂玄瑞らは自害に追い込まれた。 長州藩に対しては朝敵とされ、「長州征伐」へと向かう。 【下立売御門(しもだちうりごもん)】 京都御苑には、9つの門と4つの出入口があり、その内のひとつ 「下立売御門」。 烏丸通に面して、4つの御門があるのだが、その一番南にあるのが、この御門です。 烏丸通の4つの御門は禁門の変では、そのいずれの門でも、 長州と幕府軍とにより戦が行われたのであるが、その一つ。 蛤御門での戦いが激戦を極めたので、その他の御門での戦いがかすんでしまうのだが、 この下立売御門も禁門の変で、戦の一端を開いた所である。