「つまらない」は余白
6月
14日
何だかとても停滞している気分。
いや、間違いなく停滞しているんだ。
自分自身も惰性で過ごしているはわかっている。
「またいつもの繰り返しか~…」と心の中でため息をついている自分がいるのも、わかっている。
「何も面白くない」
「刺激がない」
「やっている意味が感じられない」
そんな感情に支配されると、集中力も発言の意欲も、取り掛かりのテンションさえも下がり続ける。
本当は、何かが嫌なのではなく「自分が何も生み出していないこと」に退屈していたんだと思う。
ある日、資料の隅に書かれた誰かの手描きのイラストに、ふと笑ってしまった。
素人にしてはうまい。
ボクの10000倍はうまい。
話しも面白い。
そうやって誰かが何かをやっているのを見て
「自分も何かを仕掛けてみようかな」
思ったその瞬間、目の前の退屈をどうやって埋めてやろうか、退屈がまっさらなまだ埋まっていないでかいキャンバスに思えた。
思いつく工夫を少しだけ日々に加えてみる。
初めは気づかれなくても、やがて笑い声や「こういうのいいね」が聞こえるようになった。
さらに、個人的に「自分なりの工夫ポイント」を1日ひとつ、手帳に書き留めるようにした。
すると、どんなことに対しても「工夫の入り口」が見えてくるようになった。
「つまらない」とは、物事の問題ではなく、「関わり方の余白」のことかもしれない。
与えられたままの状態に飽きたのなら、自分で「引っかかり」をつくって、「とっかかり」を楽しんでみる。
遊び心や問いかけ、誰かを観察したことから得たの気づきなど「面白くする力」は、外にはなく自分の中にあることを実感する。
そしてその視点は、一度持つと日常のすべてに、どこか遊び場があるような感覚にもなれるような、そんな気がする。
ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ
投稿日 2025-06-17 12:26
ワオ!と言っているユーザー