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国鉄の白紙ダイヤ大改正 ヨンサントウ【昭和43年10月ダイヤ改正】第三話 第3次長期計画の中間成果としての改正

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最近のダイヤ改正比較 国鉄線 ... 最近のダイヤ改正比較
国鉄線 昭和43年10月号から引用
国鉄の白紙ダイヤ大改正 ヨンサ...
ヨンサントウのダイヤ改正について、もう少し続けたいと思います。

ヨンサントウの改正は、サンロクトウの改正以来の大改正であり、昭和40年から改正に向けての準備は始まったと言われています。
第3次長期計画の一環として計画されたこの、ダイヤ改正は、スクラップアンドビルドを意識したものでした。
特に、ローカル線に関しては厳しい目が向けられ、ローカル線の廃止に至らないまでも利用者の少ない路線では、本数を減らすなどの間引きを行いました。
 記録によりますと、全国112線区で、昼間帯を中心に運転キロで18,050 kmを削減したとされています。
 その反面、通勤輸送等には、大型の投資が行われ、線路の増設や車両基地の改良、ホーム延伸等が行われた他、地方幹線の複線化や電化などの輸送力増強並びに、近代化が推進されていきました。
他に、特徴的な点を列挙して見たいと思います。

  1. 季節列車の増発【従来の不定期列車の名称を季節列車と改めて、列車本数を増加】

    現行147本から305本と倍増

  2. 愛称の整理と。呼称の統一。
    従前、「第一○○」や「○○号」という愛称の使い方がありましたが、これを「○○号」に統一するとともに、愛称を統合することに なりました。

    これは、全優等列車をマルスに収用するための意味合いもあり、ダイヤ改正に合わせて、従来のや、マルス101【30,000席】、102【10万席】とは別に、マルス103【200,000席】が増備され「特急あさかぜ」一人個室などの、一部寝台車を除き、国鉄の運転する列車の95パーセントまでをカバーすることとなりました。

  3. 設備改善が全国で行われ、複線化や電化が実施されたほか、特急列車の120 km/h運転に備え、軌道強化が行われました。

    電化は、函館本線 小樽~旭川。東北本線(盛岡~青森)、奥羽本線(福島~山形)、仙山線(作並~山形)両毛線(小山~前橋)、中央西線(瑞浪~中津川)間が電化されました。

    120 km/h運転に対応するため、軌道強化も実施され、東北本線(上野~青森)、高崎・上越・信越線(大宮~新潟)北陸本線(米原~金沢。山陽本線(神戸~下関)。鹿児島本線(門司~博多)で実施されました。

    なお、軌道強化工事は、直線区間では、木枕木→PC枕木、に変更するほか、道床の厚みを20 cm→25 cmに変更するなどを実施するほか、タイプレートと呼ばれる補強板を木枕木とレールの間に挟むといったもので、現在と比べますと、貧弱なものではありました。

  4. 貨車は二軸貨車の、二段リンク対応が行われ、65 km/h以下の貨車は、北海道と九州に封じ込める処置が行われ、一般の貨車は75 km/h以上の速度となりました。

    これにより、山陽線では、夜行急行の運転速度が約40分も短縮されました。


さらに、車両に関しても総額700億円の投資が行われ、新形式としてキハ181系気動車が14両新製され、「特急しなの」に導入されたほか、昭和42年に試作されたEF90の量産型としてEF66が15両増備。他にも蒸気機関車の置き換え用に、DD51が45両、入換用にDE10が134両増備されるなど、積極的な車両増備が行われました。

ただし、前述のとおり、ローカル線での列車削減などもあり、列車全体の増発キロでは、サンロクトウ改正の規模を若干下回るものとなりました。
下記にその比較を載せたいと思います。
昭和36年改正 旅客列車 83,892 km 貨物列車 31,461 km
昭和43年改正 旅客列車 60,200 km 貨物列車 31,300 km
ただし、昭和43年では、旅客列車のうち、新幹線。16,800 km、を含めた数字であり、財らせんだけでは、増発キロは43,300 kmとなります。

続きます
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みどりの窓口と、端末機の話

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昭和40年の時刻表から... 昭和40年の時刻表から V形端末機【初期の端末機】で出... V形端末機【初期の端末機】で出力される切符
みどりの窓口は、昭和40年10月のダイヤ改正で拠点駅152駅及び、交通公社(JTB)拠点83営業所に設置されたそうですが、全ての駅並びに、交通公社に端末機が配置されたそうでは無いそうです。
交通公社は81営業所に、108駅に端末が設置されたものの、44駅は窓口はあっても従来通り電話で近隣の端末がある駅に照会をかける方式のようです。
なお、当初設置された端末は337台と書かれておりますので、全ての駅に複数台が並んでいた訳ではなさそうです。

余談ですが、国鉄の駅に設置する端末機の場合は鉄道電話網を使っているので、問題は無かったそうですが、交通公社に設置した端末に関しては電電公社の回線を使うため、回線の種類が一般電話回線では無く専用線扱になったそうです。

また、このときに開発されたのがマルス102と呼ばれるシステムで、昭和39年から開発が進められ、昭和40年10月からの利用が開始されたとされています。
取扱座席数は1日13万座席であり、それまでのマルス101では4列までしか指定できなかったため新幹線の指定席に関しては従来通り、手作業であったものの、新システム導入で新幹線も電子計算機で指定券を発行できるようになったとして大幅な効率化を図ることが出来ました。

このシステム導入により、指定券の誤発売は全くなくなったというわけは無いが半減したと、当時の部内誌では報告されています。
特に新幹線での発売効果は顕著で、マルス導入前の誤発売が1日平均、8.52件であったのが、0.94件に激減、在来線でもほぼ半減となったとされています。

なお、みどりの窓口設置に合わせて、窓口職員はベテランを充てると共に、出納の過不足金に対する任意弁償の制度を無くすことで、職員の負担を軽減すると言った施策も合わせて実施したとされています。

マルスの一日平均有効コール数は当時で1日平均14万コール、発売枚数は12万枚程度と言われています。
初期の端末は、駅名が書かれたゴム印を端末に挿入するもので、これを切符に印字するようになっていました。

国鉄線、昭和41年4月号を参照しますと、失敗談として、昭和41年1月27日未明の保守作業で、機器の不備と書かれていますが、過電流によりマルス102が完全にストップして夕方6:50まで機能が停止したとのことで、冗長構成などが取られていなかったのかも判りませんが、異常時対策の確立を考える貴重な機会になったとかかれています。
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みどりの窓口の開設 設置編

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みどりの窓口が昭和40年10月... みどりの窓口が昭和40年10月の改正で設置された、ただし全ての駅にマルスが設置されたわけではなかった。
現在でも駅で指定券を購入する場合「みどりの窓口」というカウンターがあります。(JR東海は、「きっぷうりば」としており、みどりの窓口自体がJR東日本の登録商標であることが関係していると言われています。

それ以外のJR各社及び、JRから第3セクター鉄道に変更された鉄道等で「みどりの窓口」という名称が使われています。

「みどりの窓口」の発祥は、門司鉄道管理局と言われており、全国に先駆けてはじめた国鉄セールスマンによる団体旅行勧誘に始まるとされています。

当時、小倉駅、博多、佐賀、佐世保、後藤寺の各駅に1人ずつ配属されたが、小倉駅の助役が第一号で、現在の「みどりの窓口」の発案者の1人でもあるとwikipediaには書かれていますが、当時の資料等を確認していませんので今後確認する予定です。

当時の資料等を参照しますと、指定券発売業務自体が電話取り次ぎとなっており、実際には下記のような苦情が多かったのでは無いかと書かれています。

具体的には、


  1. 窓口で満員ですと断わられたのに乗ってみたらガラガラだった」

  2. 「発率直前に特急券を買おうとしたが行列でやむを得ず入場券で乗車した」

  3. 「苦労して手に入れた寝台券がダブっていて不愉快だった」


結局、国鉄としても肝心の収入源である指定席を十分販売できないことは問題であるとして、切符の販売が多い、152駅を選び出して、「みどりの窓口」を開設し、端末(マルス)102が設置されたそうです。

みどりの窓口設置駅
当時の国鉄部内誌を参照しますと、みどりの窓口は、下記のような目的で設置されたと書かれています。

少し長いですが、全部引用させていただきます。

窓口が果たすべき役割であるから上記のような旅客の要求にマッチした、新しい指定券の発売体制というものを確立すぺきである。

三、「みどりの窓口」前節でのぺた旅客の要求にマッチした新しい販売体制の第一歩として「みどりの窓口」を設置する。

従来の画一的な販売体制に代え、指定券の発売拠点となっている一五二駅を選定し、ここに指定券を専門に発売するI。みどりの窓口」を設置し、これを抜本的に強化する。

この窓口はどんな指定券でも完全なサービスで提供できる体制を作るとともに、このことを広く一般に周知させる。したがって「ここだけは絶対に信頼できる窓口」である必要がある。

このため、有能で経験豊かな職員をこの窓口に集中配置し、座席予約自動システムの端局装置を中心に発売体制を再編成することと

する。

 (注)現在国鉄では全国約五〇〇〇の駅で、どの駅でも全ての指定券を同じ条件で購入できる制度をとっている。だが現実には、主要一〇〇駅で全発売枚数
の八〇%が発売されている。

このようにして、国鉄では昭和40年の時刻改正で、マルス102を開発すると共に、指定券を国鉄の重要な商品として発売していくこととなりました。
続く
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