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生産性運動の終焉と国鉄、荒廃する職場

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国労・動労による反生産性運動は、潤沢な資金を使ってマスコミ等に情報を流すという手法が取られました。
特にどのような方法で録音したのか明確ではありませんが、現場管理者【助役】が、国労組合員を鉄労に加入させるのが生産性運動だと勘違いした?もしくは誘導尋問をされたのかも知れませんが、そうした発言をしたという言質を取られて、それがマスコミに報道されたことで大きな問題に発展、磯崎総裁が国会で陳謝【謝るとともに、生産性運動の見直し、実質的に中止】することとなり、生産性運動を推進していた「大野能力開発課長」他の幹部を更迭【左遷】することで収拾を図ることとなりました。

生産性運動終了後は、敗戦処理よろしく、国労・動労との間で紛争対策委員会が開催され、国鉄当局は、両組合に対して大幅な譲歩をすることとなりました。
特に、人事権すらも組合側に渡してしまうと言う一般の会社では考えられないような痛恨のミスを犯してしまい、国鉄幹部の人事にさえ国労幹部などの意向を伺うと言ったことをしています。

これにより、国鉄は当事者能力を失ってしまうこととなり、その後のスト権ストなどに対しても弱腰の対応しかできないという失態を出すこととなり、このような状況が昭和57年のブルトレ闇手当問題でマスコミが問題視するまで続くこととなりました。

国鉄の現場では、助役や駅長で決定できないような事項が職場での現場協議の議題となったりしたと言われていますし、こうした現場協議が延々と続き、仕事をしない状況が続くこととなりました。
ここに、当時の国鉄の現場について告発した、本があります。
昭和51年10月1日発行、鷹書房刊 「拝啓動労・国労殿」
と言う本ですが、当時の国鉄の現場が赤裸々に綴られています。
ここから、当時の現場の様子をご覧いただこうと思います。
鷹書房刊 「拝啓動労・国労殿」鷹書房刊 「拝啓動労・国労殿」


保線をしない保線区



飯山保線区を見てみよう
「実働は2,3時間というところですかね」と、Qさんはこともなげに言ってのけた。

飯山線というのは、長野県と新潟県をつなぐ線で、豪雪地帯を通る線として名をはせている。

ところが、国労の保線区員は、ここでも冬のはじめは雪かきをしないという。雪をかくのも保線うちではないのだろうか。冬の協約が″現協″で決まるまで、雪かきはならんということで、雪降っても出動しない。しかも、この現協は、十一月のはじめから延々と続けられ、協約ができるが、毎年、暮れもおしせまったクリスマスーイプのころだというからあきれかえってしまう。

その前に降った雪はどうするかというと、全施労と管理者、それに地元の除雪協力会が行なうとう話だ(この区には鉄労がいない)。もちろん、たくさん降って、災害適用(三十三条)となると、国も出るそうだが、これとて、毎日、降った雪をすこしでもかいておくなら、災害適用-つまり車がとまることにもならなかったのにと、地元の人も恨んでいるそうである。

それに何よりも協力会の人たちを驚かせたことは、国労の連中は、メシを食べに帰るといって早と現地を引きあげて、そこから何キロと離れた詰所に帰ってしまうこと、全施労の人たちは、現・近くの休憩所で休息をとって午後になるとすぐに仕事につくのだが、国労はなかなか戻ってこない。″列車を動かすつもりがあるのか″といわれているそうである。


引用ここまで

こうしたことが、全国の国鉄で行われていたという事実があります。
実際、当時の国鉄では残念ながら現場は現場協議という名のサポタージュで実質的に仕事をせず、さらに合理化反対闘争ということで、合理化することを極端に嫌う、もしくは、合理化して機械を入れても要員を減らさない(例えば一人でできる仕事を引き続き3人で行わせるなど)と言ったことが続くわけです。

こうした状況の中、国鉄の財政は急速に悪化し、国鉄と言う不沈選戦艦に40万人の職員が乗船していたことになります。
そして、過激な組合運動はやがて、組合の悲願であるスト権奪還に向けて動き出すことになるのでした。

労働運動・生産性運動に関する記述はこちらも、参考にご参照ください。
日本国有鉄道 労働運動史(別館)
日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

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