景気循環と国鉄 第1話 神武景気と鍋底不況と国鉄
12月
1日
日本史で聞かれたことはあるかと思いますが、神武景気は昭和29(1954)年 12月から 昭和32(1957)年6月まで 31ヵ月間続いた好景気の俗称ですが、国鉄も、好景気を受けて第1次5か年計画がスタートするのは前述した通りですが、その原資となるべく運賃値上げは当初18%で申請しますが、運輸審議会の答申でその値上げ額は15%に圧縮され、さらに国会審議を経て13%に圧縮されたと言われています。
そこに来て、第1次5か年計画の当初に国際収支の悪化を端緒とした、公定歩合の引き上げが5月を始め、金融引き締めを強化したことで景気は後退、不況期(後になべ底不況と呼ばれる)に入りました。
これにより、鉄道輸送も大幅に後退を余儀なくされ、好景気を元に組んでいた予算ベースで比較すると、旅客収入で10億円、貨物収入では30億円の不足、計40億円の収入不足が見込まれるうえ、利子支払いの増加(約14億円)や、物件費などの増加(120億円)に入り、国鉄としては、初年度から計画にかなり無理が生じる形となりました。
その後、昭和33(1958)年7月からは日本銀行の金利引き下げと国内消費の回復で岩戸景気と呼ばれる景気回復局面に入りました。
この時は、積極的に工場などが建設され、投資が投資を呼びと言われた時代でしたが、国鉄の場合は輸送量の増加以上に人件費の増加、更に支払利子の増加が大きな足かせになったと言われています。
当時は人件費だけで100億円毎年増加し、利子払も34億円の増加したという記録があり?。
人件費の増加はいびつな年齢構成にあることがこの頃から指摘されており、適切な人員配置などの合理化がなかなか進まなかったことも原因と言われています。
どうしても趣味誌ベースで考える部分だけでは見えてこない、問題がいくつか潜んでいるように思えてなりません。
追記 2018/12/19
当時の大蔵省【現・財務省】の考え方としては、国鉄の改良工事などの必要性は認めつつも、政府は国鉄の施設改良に関しては、自前の資金調達などを促していました。
国鉄では、下記のように、「建設費については政府出資にすべきであると国鉄は主張しているが、今年もついにその実現を見るに至らず、加えて五ヵ年計画の線を上回る九O億になったことは、将来の国鉄経営にも、また五ヵ年計画の達成にも大きな影響もたらすものといえよう。従って改良費は逆に三O億程度圧縮された形となり、総係費の増加や利用債の増額等を考慮に入れるとその内容は前年度よりもかなり苦しく」という件があるように、国鉄のこうした施設改良はどこまでも国鉄の自力で行輪ざるを得ない状況でした、そのうえ、昭和32年には、地方納付金という名目の固定資産税が国鉄を含む公社に加算される上、国鉄のローカル線は国鉄の意思とは関係ないところで決定されて勧告されるという矛盾を持つことになるのです。
工事勘定の支出の面では、建設費が前年度の七O億から九O億に増額されているのが目立つ。従来から建設費については政府出資にすべきであると国鉄は主張しているが、今年もついにその実現を見るに至らず、加えて五ヵ年計画の線を上回る九O億になったことは、将来の国鉄経営にも、また五ヵ年計画の達成にも大きな影響もたらすものといえよう。従って改良費は逆に三O億程度圧縮された形となり、総係費の増加や利用債の増額等を考慮に入れるとその内容は前年度よりもかなり苦し〈、五ヵ年計画の達成には工事費の節約等にも特段の努力が要求されるのである。
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