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輸送力増強と国鉄 第6話 ディーゼル機関車の開発と頓挫

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ECAFEで展示されたDD50... ECAFEで展示されたDD50形機関車(第2次形)
画像 wikipedia
 戦前からディーゼル機関車並びにディーゼル動車の研究は進められていましたが、太平洋戦争(大東亜戦争)により石油が流通しなくなったことから研究は頓挫していました。
  戦後はローカル線経営における輸送改善の見地から山間部を走るローカル線などを中心にそういった無煙化に関する要請が強くなったこともあり、再び研究が開始されました。
気動車に関しては、戦前にDMF31系エンジン【鉄道省が、新潟鐵工所・池貝製作所(現・株式会社池貝、株式会社 池貝ディーゼル)・三菱重工業の3社が同一仕様で競作した3種の試作エンジンに便宜上同一の省形式を与えたもの】を試用して、キハ43000と呼ばれる気動車が開発されましたが、大出力を必要とするデイゼル機関車は、中々普及せず、戦前に、DC10、DC11、DB10と言った機関車が輸入され若しくは試作されまた程度でした。
いずれも、出力が小さくせいぜい入換用機関車程度のものでしかありませんでした。
 戦後大きく発展するディゼルカーは、戦前にほぼ完成していたエンジン(ガソリンエンジン GMH17をベースにディーゼル化したDNH17)とこれまた戦前に完成していた液体変速機を載せたものをベースに発展するのですが、(この辺はまた別の機会に書かせていただきます。)
国産大型デイゼル機関車は、ドイツ製エンジン搭載
 国産での大型機関車の開発に時間がかかることから、昭和28年にはDD50形ディゼル機関車が導入されます、この機関車はスルザー形ディゼル機関(900PS)に発電機を搭載、130KWモータ4台を駆動する方式で、片運転台で当時人気のあった湘南形スタイルの前面マスクを意識していたものでした。
 早速、昭和28年には1次車3両が製造され、翌年更に2次車3両が製作され、全車北陸本線に投入されました。
 出力的にはD51形蒸気機関車を少し下回る性能という触れ込みでしたが、実際の運用では、短編成の旅客車を牽引できる程度であり、方向転換にSL同様転車台を必要とすることから、常に重連使用を余儀なくされることから使い勝手はあまり良いとはいえませんでした。
 晩年は北陸本線、米原~田村間の小運転に使用されたりして昭和50年頃にその姿を消しました。(電化当初、北陸本線は坂田~田村間には架線を張っていなかったので、列車は米原及び田村で機関車交換を行なっていた。)田村駅が無人駅でありながら広い構内を持つのは当時の名残。)
 その後、DD50のエンジンの出力を増大したDF50が昭和31年に登場し、ここにひとまず亜幹線向けの機関車の標準型が出来上がりました。
ただし、電気式の欠点として、構造が複雑で重量も重く、当然車両単価も高くなるので、比較的安価で、軽量化が可能な液体式の研究も引続き行なわれていました。
現場では不評であったDF50
 また、現場の回想としてDF50も故障が多く、かなり苦労したと言った記述を見ることができます。
 また、昭和30年代には、鉄道車両業界は多くの試作機関車を試作しては国鉄で試用してもらっていました。
 成績良好な機関車jはそのまま購入されたりしましたは、多くは試用の後返却されました。
 有名なところでは常磐線で試用されてその後、購入されたDF40 (後DF90)や、DF41(後のDF91)や、山陰本線で試用されたDD91(DD54のベースとなった機関車)などが上げられます。
 余談ですが、DF90はエンジン音が非常に大きく今では騒音問題で苦情になるレベルでは無かったかと思われます。



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