輸送力増強と国鉄 第4話 湘南電車に見られる、電車の活躍
11月
4日
また、湘南地方の蜜柑の色を表現したと言うのは、後からつけた理由であり、本来はとにかく明るい色を・・・と言う理由から選ばれたそうです。
この電車、当初の計画では15両編成+荷物車の最高16両編成が東京~沼津間を60分間隔、小田原までは30分間隔(ラッシュ時は15分間隔)で運転すると言う方向で進められこれに伴う車両の発注も計画されたそうですが、折からのドッジ旋風(ドッジ・ラインの縮小経済をこのように呼んだ。)により、発注数は縮小されました。
結局発注数は、73両と大幅に縮小されましたが、その後の高速電車の礎を築くこととなりました。
この電車の登場は、戦後のすさんだ風潮の中で未来への期待を持たせるものとして役立ちました。
特に、昭和26年の増備車から採用された流線型2枚窓は、中央部をくの字型にさせた構造で、先頭車の通称金太郎塗りとあいまって、一世を風靡したものです。
その後このスタイルは、多くの私鉄にも影響を与え、各社で非貫通、2枚窓の湘南形の亜流とも言うべき車両が全国で誕生した他同時期に誕生した気動車にも影響を与えました。
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国鉄があった時代 JNR-era
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