昔の話
7月
9日
日本のドラマを見ていた、
毎日、家の修理と、庭の手入れ、同じことの繰り返して、疲れた、
どういうわけで、このドラマ”” やまとなでしこ” のサイトにいったかは解らないが?
見始めたら、かっぱえびせんの宣伝ではないが、止まらない。
ドラマを見始めてから、ブログも更新せず、最終話まで、婆さんと二人で、
途中、婆さんは、眠たいと、ベットに、爺さんは、最終話まで、
ドラマに近い話は、あるかもしれないが、爺さんにも、若いときはあった、
水道工事、おもに、地方の工事現場、爺さんの回りりには、若い女性はいない、
会社の事務員と近くの喫茶店の女性しか知らない、
爺さんは、大分、湯布院の仕事場だったが、下請けが、熊本、同僚も熊本で
仕事、工事期間は大体、三ヶ月から半年、長ければ一年、
当時、マツダの ロータリーエンジン ”カペラ”は 本当に静かな車、
なぜ、いま、この車がないのか? 下請けの車を借りて、
ヤマナミハイウエーを大分と熊本を行き来した、
熊本の旅館に、三人姉妹が どの人も美人、ただ、
爺さんも大阪弁がきついが、この美人さんも、熊本弁で、ビックリ、
仕事がら、旅館の水漏れ、下水の詰まりの修理は、簡単、無料で修理、
それで、旅館の人たちとも親しくなり、工事も終わり、一年後に、遊びがてら、
訪れてみた、真ん中の娘さんがいないので、どうしたか?と
今、アメリカにと、親戚がサンフランにいるからとのこと、
爺さんの小さい頃は、海外旅行など、考えも及ばなかったが、
会社を辞め、自分一人で、仕事をして、結構金は、儲かった、
それで、ハワイの旅行、ツアーだけれど、経験あり、それで、
旅館のオバサンに、アメリカ一周旅行したいから、手紙を書いてと、頼んだ、
無料で、家の修理をしたせか、サンフランの親戚の家を紹介してくれた、
長女は、すでに、彼氏が、中の娘さんなら、結婚しても、いいと思ったが、
いえなかった、 アメリカ一週三ヶ月の後、一年後に、アメリカに、
アメリカに行く前に少し、ymcaで、英語の特訓、アメリカに渡り一年が過ぎた、
その頃、爺さんは、ロス市内に住んでいた、昔せわになった、おばさんが、
アメリカに来るので、ロス市内の観光案内をと頼まれた、
ロスにいる時は、サンフランのおばさんの家も時々、訪れたことが、
市内旅行も終わり、サンフランに住むおばさんが、ロスのホテルに戻るときに、
サンフランに住むおばさんが、爺さんのアダナ ” ガンちゃん” 熊本の
おばさんに、話がないのと いってくれたが、いいと、いって、
なにも言わずに分かれた、サンフランのおばさんは、姪が、アメリカに嫁にくれば
いいなと、おもっていたかもしれなし、爺さんも、本当は、結婚したかったが、
黙っていた、ロス市内のボーディングハウス、”食事つきの安宿には、
日本人が二十人ほど、その中には、何人か、結婚適齢期の女性も、
爺さんも、三十に近い年に、熊本にいる女性とも思ったが、
その頃、その、ボーディングハウスに、大阪弁のキツイ女性が、後に、爺さんの
パートナーとなる、婆さんの最初のデイト場所はは サンディエゴに近いラホヤ、
海岸線は綺麗し、あしかの生息地、なかなかいい場所です、
遠くの人より、近い、大阪の女性と結婚することに、
プロポーズの言葉、”俺と結婚したら、一生貧乏だけどいいかと”
今、婆さんは、あんな約束守って欲しくないと、いっている、
けっこう、がちゃがちゃと やかましいが、ま、大阪弁が通じるので
三年ほど前になるが、世話になった、サンフランのおじさんが、サンディエゴに
用事があるので、案内してくれないかと、連絡あり、
カールスバット、ラホヤ、サンディエゴ市内と観光、
おじさんが、 ”がんちゃん、なぜ、熊本の姪と結婚しなかったのかと”
昔、サンフランの家での話で、熊本の娘さんは、結婚してもいいと思っていると
話をしたかもしれない? で、なぜ、 プロポーズしなかったのか、
確かに、結婚年齢適齢期、 でも、その当時、永住権はなく、違法滞在の
状態、弁護士に高い金を払い、何とかせいかつ、足元がシッカリしていない
状態で、収入も不安定、そんな状態で、結婚して暮れとはいえませんと、
今から、昔には、戻れませんが、日本で、仕事をしていたら、
その人と結婚していたかも? みんな、 それぞれ、テレビのドラマには
ならないかも知れないが、いろんなドラマが、
昨日の、ドラマ、”やまとなでしこ”を見て、ブログを書きました、