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岩魚太郎の何でも歳時記

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岩魚太郞歳時記・昭和20年8月15日・終戦の記録

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昭和20年8月6日0時5分から... 昭和20年8月6日0時5分から0時47分、第58爆撃団のB29が64機襲来。死者454人、重傷者150人、全焼家屋8,199戸(8,212戸の説あり)、被災者34,200人、市街地の80%が焼失。犠牲者の中には、松山高等女学校や松山城北高等女学校の女子生徒、沖縄から動員されていた女子工員も多数含まれていた。

わたしはこの松山で空襲に見舞われてた。国民小学校2年8歳であ



■エピソード1

 四郎の8歳の母の名は菊子と言った。

昭和20年8月6日、菊子と四郎は松山大空襲に遭遇、菊子に手を引かれ、近くにあった防空壕に駆け込もうとした。

防空壕の入り口に隣組の組長らしき老人が立っていた。



「あんた、見慣れない顔だが何処の組(隣組)だ」

「主人が呉海軍工廠に配属されて、昨夜ここに引っ越して来たばかりです」

「そうか。引っ越して来たばかりか……気の毒だが、この防空壕は隣組の人数しか入れない広さしかない。残念ながらほかの場所に退避してくれ」

「ほかの場所っていいましても、引っ越して来たばかりで何処に避難したらいいかわかりません。お願いですから入れてください」



「いくら頼まれても駄目なものは駄目だ」

 菊子が哀願するそばを、「組長さんお願いします」と腰を低く頭を下げながら、二人の子供を連れた若い女と、老夫婦の五人が、防空壕の前にやって来た。

組長が「遅いじゃないか、早く早く!」



 やって来た五人に、声をかけ防空壕の中へ招き入れる。

老夫婦の夫が「早く中へ入りなさい!」と言って四人を防空壕の中へと急がせる。

連れの四人が防空壕の中に入ることを確認すると組長に「よろしくお願いします」と言って頭を下げる老人。



 組長が「あんたも気をつけて」そう言って、防空壕の扉を閉めようとした時、老夫婦の妻が手で扉を押さえて「組長さん、夫の一人ぐらい何とかなりませんか?」

「決まりは決まりだ!」

「俺は大丈夫だ。明日の朝迎えに来るから」

「あんた! 気をつけて」

老夫はその妻の顔を振り返りながら走り去った。



 近くで、爆弾と焼夷弾が炸裂する。

「母ちゃん!」

四郎は大きな声で母の顔を見上げながら叫んだ。

「四郎! 母ちゃんの手を離すんじゃないよ!」

「うん!」

 

■エピソード2

 昭和二十年七月二十七日午前八時

松山大空襲の翌日である。防空壕の入り口に、大勢の人々が輪になって立っている。

菊子が肩越しに覗き見る。

四郎が人々の足の隙間から最前列に進み出る。

菊子が四郎を追うように人をかき分けて前に出る。

数人の人々が、防空壕の中から死体を運び出し、その死体をむしろの上に順番に並べている。



「焼夷弾と爆弾で、防空壕の入り口が塞がれ逃げられなかったそうだ」

そのむしろの上に、昨夜防空壕に入ることを拒んだ組長の顔があった。

その枕元には、昨夜見た二人の子供と菊子親、それに老婆が横たわっていた。

その四人が寝かされた頭上に「俺は大丈夫だ。明日の朝迎えに来るから」と老婆に言った。



 老夫が、放心状態で座り込んでいた。

突然その夫が吠えるように叫び始めた。

「馬鹿野郎! 馬鹿野郎! 馬鹿野郎!」

 叫びながら、両手のこぶしを振り上げ、地面に叩きつけながら狂ったように叫びはじめた。

こぶしから鮮血が流れた。見かねた側にいた男が、羽交い締めをしてその行為を止めた。

それを見ていた菊子は、四郎の目線まで腰をかがめ黙って強く抱きしめた。



 菊子の涙は止まらなかった。

菊子の脳裏に「俺は大丈夫だ。明日の朝迎えに来るから」と言う声がエコーになって聞こえてきた。

 

 私が、もし……組長さんの好意で、防空壕へ入れてもらっていたら……菊子と四郎は骸となってむしろの上に……夢遊病者のように防空壕を後にした。

四郎が立ち止まり顔を見ながら「母ちゃん……」と言った。

その声にふと我に返った。

「そうだ。四郎がいる。何とかしなきゃあ!」

と、菊子は心の中で呟いた。

選択肢の無い運命だった!



■エピソード3

 松山大空襲で松山郊外に避難した。その二日後の昭和二十年八月八日午後一時頃、四郎はじめ10名程度の子供たちが農道を下校していた。その最後尾に、友達の政志と四郎がいた。突然空襲警報が鳴り響き、艦載機(航空母艦に搭載された戦闘機)の爆音が響き、急降下してしながら、下校していた子供たちに機銃を浴びせはじめた。



 四郎の足元に砂塵が激しく走った。

四郎の前の政志が倒れた。

四郎も左足に激痛が走り倒れたが軽傷であった。

 逃げていた子供たち複数人が、政志と四郎が倒れているのを見て逃げ出した。

艦載機が上空で折り返し、再び機銃を浴びせはじめた。

四郎は眼前に倒れていた政志を、必死で転がして一回転させる。

その横を再び銃弾が走った。

「まぁちゃん! まぁちゃん!」と言って肩を揺する四郎の顔。



 動かぬ政志の顔に、四郎の額の汗が落ちる。

政志は死んだ。

四郎は空を見上げる。

蝉の鳴き声が聞こえる。

焼けつくような真夏の太陽を仰ぎ見る四郎……

四郎の目に、ギラギラと燃える太陽の光が飛び込んでくる。



■エピソード4

 政志の通夜がおこなわれた。当然菊子と四郎も参列した。

ところが参列した菊子と四郎を、周囲の村人たちの奇異な視線を感じていた。

大家の桜井初音が、菊子の耳元でささやいた。

「亡くなった政志ちゃんを、四郎ちゃんがほったらかして真っ先に逃げたって噂よ」



 菊子は思わず四郎の顔を見た。

菊子と四郎は目線を合わすが、菊子は何も言わなかった。

葬儀が終わった後、学校での四郎の評価は一変した。

下駄箱に「卑怯者・非国民」と書かれた紙が置かれ、靴は運動場に放り投げられ、教室では無視された。



■エピソード5

 昭和20年8月15日、玉音放送終了後、土下座して号泣する人、直列不動の姿勢で泣く人々、四郎は大人たちが涙を流す理由が、理解できなかった。

 菊子も泣いている。

「お母ちゃん、何故泣いているの?」

「日本が戦争に負けたのよ」

「鬼畜米兵に負けたの?」

「そう。鬼畜米兵に負けたのよ」

「じゃあ防空壕に入らなくていいの?」

「そうよ。もう空襲もなくなり、防空壕に入る必要もなくなったの」



 四郎は、母の言っている意味がよく理解できなかった。

竹槍で鬼畜米英の人形を刺す行為と、飛行機で焼夷弾や爆弾を落とす行為、先生は言った。

「我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにして敵と戦えば必ず勝利する」

先生がそう言っているのに「何故負けたんだろう?」

 空襲もない。防空壕に入らなくてすむ。爆弾や焼夷弾で人が死ぬこともない。喜んでいいはずなのに何故泣くのだろう?



 戦争に負けたから?



 四郎はほっとした。

しかし四郎は、終戦後の荒廃した社会を想像出来なかった。

それから2年、母菊子は肺病(肺結核)患い、薪を積んだ荼毘にふされた。

四郎は天涯孤独になった。

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【昭和を生きた物語・著者:本郷太郞(岩魚太郞)作品】より抜粋引用

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