東京物語を鑑賞しました。
9月
3日
『東京物語』は、1953年に公開されたモノクロの日本映画である。監督は小津安二郎、主演は笠智衆と原節子。『晩春』(1949年)、『麦秋』(1951年)、『東京物語』(1953年)で原節子が演じたヒロインはすべて「紀子」という名前であり、この3作品をまとめて「紀子三部作」と呼ぶことがある[2]。昭和28年度文化庁芸術祭参加作品。
上京した年老いた両親とその家族たちの姿を通して、家族の絆、夫婦と子供、老いと死、人間の一生、それらを冷徹な視線で描いた作品である。戦前の小津作品、特に『戸田家の兄妹』などにすでに見出されるテーマだが、本作でより深化させられることになった。「ロー・ポジション」[注 1]を多用し、カメラを固定して人物を撮る「小津調」と形容される独自の演出技法で、家族を丁寧に描いている。家族という共同体が年を経るとともにバラバラになっていく現実を、独特の落ち着いた雰囲気でつづっている。
(以上はウィキペディアよりの引用)
■岩魚太郎感想
1953年に公開された『東京物語』は、正に2018年の現代と同じ核家族の問題を、通説にに捉えいる。特に、笠智衆:東野英治郎:十朱久雄 (同じ世代の老人の役)、東京で笠智衆が会った旧友の子供に対する酔っぱらっていた三人の老人の愚痴は、現在の核家族の問題を的確に捉えている。
2018年の老齢者問題を、1953年に意識していた小津監督ではないと思うが、人間の本質的問題は、新藤兼人の「姥捨山」にも継承していたのかもとA……推測する。
唯一、紀子:原節子の夫が戦死した次男の妻、上京した笠智衆:東山千栄子(老夫婦役)の真心こもった対応が、心打たれた。しかし、夫が戦死して十年、夫の面影が徐々に遠くなっていく 紀子:原節子の心と、笠智衆:東山千栄子が演じる老夫婦の思いやり、次男のことは忘れ、紀子(原節子)の幸せを願う老父婦の心と、紀子(原節子)がこのまま一人で老いていく本人不安……そのギャップが、小津監督の一番表現したかった狙いだと思った。
そのシーンが、笠智衆と原節子の会話にあった。
その会話の後に、呉の海を滑る小型貨物船の汽笛で【東京物語】は終わった。
投稿日 2018-09-03 20:23
ワオ!と言っているユーザー
投稿日 2018-09-03 20:46
ワオ!と言っているユーザー
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