映画 椿 三十朗
12月
18日
Internetの意見だが賛否両論に分かれている。
映画の質の論争はともかくも、森田芳光・椿三十郎・織田裕二作品の鑑賞は、黒澤 明・椿三十郎・三船敏郎を鑑賞した時の、私の熱き青春時代の記憶を彷彿させられた。
映画
私の20歳前後の時代は(昭和30年代)、娯楽と言えば映画しかなかった。そのころ大阪に居住、100円玉で、55円で二本立(作品の違った映画を二本上演、三本立ては三本上映)の映画を鑑賞、20円で「すうどう(中身はだし汁とうどんだけ)」市電が10円。合計締めて85円おつり15円。
この金額で1日遊べた時代である。ちなみに売春禁止法前で1時間(正確には45分)500円で我が青春の童貞を喪失した時代である。
映画
日本最初のカラー映画(別名総天然色映画)は、東映作品の「鳳城の花嫁」と記憶している。(間違っていたらゴメン)黒澤 明・椿三十郎・三船敏郎の作品は、その時代前後の作品だと記憶している。黒澤 明は、自分の制作する作品に自分の要求する色が出せないと言う理由で白黒フイルムを廻し続けたと言う。
映画
私の人生を大きく変えたのが映画である。映画好きが理由で映画のシナリオを勉強すべき日本に唯一の「シナリオ研究所」第二期生夜間生として入学、昼は会社勤務、夜間は午後10時勉学と言う生活を3年間続けた。
当時の生活は、畳み一畳千円で三畳三千のアパートで生活、学費三千円、三千円は食費、収入は一ヶ月一万円と言う生活を三年間続けた。
映画
卒業直後テレビが出現、プロレス力道山の実況中継を街頭で大勢の人々が見る時代、映画に変わってテレビドラマの登場で映画産業が急速に衰退、映画産業の求人がなくあえなくダウン!
そして私の青春時代は、テレビと言うメディアの出現により、映画の世界に終わりを告げさせられた。
映画
完全に映画と言う世界に終わりを告げさせらた私は、その時点で大きく人生行路の舵を180度変更で会社人間に、通信と電子機器の製造分野で年金を頂く年齢を迎えた。
映画
黒澤 明・椿三十郎・三船敏郎 森田芳光・椿三十郎・織田裕二。この映画が私の過去から現在までの人生を、強烈に思い浮かべる機会になった。
私の人生とは何だったのだろうか?
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