JR羽越線の事故に思う
12月
26日
特急が脱線転覆 3人死亡、車内になお1人 JR羽越線
25日午後7時20分ごろ、山形県庄内町のJR羽越線砂越(さごし)―北余目(きたあまるめ)駅間で、秋田発新潟行き特急電車「いなほ14号」(6両編成)が脱線した。(gooニュースより以下省略)
という内容のニュースが流れた。尼崎JR西日本の事故が思い出させる。尼崎の事故とは事故原因が相違するようだが、事故に遭遇して命を落とされた方には心からご冥福をお祈り申し上げます。
しかし、事故に遭遇すると事前にとわかっていて事故が発生する現場に出向く人はいない。事故は人災であっても天災であっても、予期せぬ現象でありしかも尼崎の事故も今回の事故も、あらゆる事故が命を落とす人と奇跡的に助かる人との一線が引かれる。阪神大震災でも上越地震でもスマタラ沖の地震でも人為的なテロでもそうである。
自分の意志とは無関係に「死と生」が選択される。即死する人、瀕死の重傷を負って助かる人と助からない人・・・その道を選択させるものは何なんだろう???と考えさせられる。それが「運命」という人も多くいる。
「運命」という言葉を広辞苑で引いてみた。(人間の意志にかかわりなく、身の上にめぐって来る吉凶禍福。それをもたらす人間の力を超えた作用。人生は天の命によって支配されているという思想に基づく)とある。
人は命を持ったときから死に向かって歩み始めているといえます。人も動物もあらゆる命を育む生き物は、死という終焉に向かって生きていると思うのです。
しかし事故に遭遇して死を迎えた人々は、天寿をまっとうする間に感じるであろう喜怒哀楽と、人を愛することの喜びを強制的に奪うことにもなるのです。
人の「死」・・・事故に遭遇しての死・病死・老衰・命を育むあらゆる生き物も、いずれ命の鼓動が止まる時を迎える。神を思し召し?運命?
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