先日(日曜日)、時代劇の「蝉しぐれ」が放送されました。映像の中で何回も流された蝉しぐれが、毎日聞かされている蝉しぐれと重なって、暑くてだるい日本のどこかで、今おきている出来事のような気さえして見ていました。ドラマの後半ではエンマコオロギの鳴き声も流され、一瞬テレビから聞こえてくるのか、部屋の外から聞こえてくる本物の鳴き声なのかの区別がつきませんでした。もともとテレビでは、チャイム音の「ピンポーン」とか、電話の呼び出し音の「リリリリリーン」などの電子音は忠実に再現され、家族でもよく「あれ、テレビなの?うちの玄関なの?」と迷うことがあります。きっと、せみや秋の虫達の鳴き声も、電子音に近いのかも知れません。
以前、虫の鳴き声を日本人と欧米人に聞かせて、その反応を調べると言う実験番組がありました。その中で、日本人は虫の鳴き声を聞くときれいな音と感じ、リラックスできていやされるからもっと長く聞いていたいと反応します。ところが、欧米人は金属をこするような耳障りな音と感じ、少し聞いていると頭が痛くなるからもう聞きたくないと反応したのです。全く逆の反応でした。そこで、何がちがうのかを知るために脳波を調べる装置にかけてみたのです。すると、虫の鳴き声を聞いた日本人は左脳(言語、計算、理論を管理する)が反応し、欧米人は右脳(音楽、芸術、直感を管理する)が反応したのです。たしかに、日本人は虫の鳴き声を言語のように考え、これを「リンリンリン」とか「チンチロリン」とか「コロコロコローリ」などと言葉に置き換えようとします。ですから、日本ほど虫の鳴き声に対していろいろな言葉をあてはめている国は少ないのです。一方、欧米人はきっと音楽で演奏される何かの曲のようなつもりで聞くのでしょう。ですから、拍子も合わないし、音色も他の楽器などに比べてそれほど優秀でないものに感じてすぐに飽きてしまうのだと思います。
日本の文化は、石や木や森にも神が宿るという“自然神”を中心に組み立てられてきました。ですから、虫にも人格を与えることがあるのです。これに対して、欧米の文化はキリストなどの“人格神”を中心に組み立てられてきています。そのため、人間中心の考え方が強く、虫は人間以外の物として取り扱われるからなのだと思います。それにしても、これほど大きな違いがあることに、本当にびっくりします。
昼には真夏の蝉しぐれ、夜には秋の虫の鳴き声と、暑い今年の夏を象徴するような毎日が続いています。なのに今夜に限ってくもり空になってしまい、楽しみにしていた皆既月食も見られそうにありません。とてもうらめしく思う半面、記録的に暑かった今年の夏もいよいよ終わりになるということなのだと考えると、少しホットもします。
先日友人宅の新しい家族になった
生後2ヶ月のトイプードルの「まりも」に会いに行って来ました。
何をしてもかわいくて
トイレが上手に出来たといっては
みんなで褒め、
お座りが出来たといっては
かしこいと感心していました。
友人宅の子どもが一言、
「いいなぁ、そんなことでみんなにほめられて」
そうなのです。
あなたがそこにいるだけでうれしいと
存在承認することは
コーチングにおいても大事なことです。
どんなに反抗しようと
親の思い通りにいかなくても
あなたが我家の家族であること、
そのことが大きな喜びであることを
子どもたちに伝えてみませんか。
福井
猛暑日が多いせいか
年配の男性の帽子姿を見かけます。
パナマ帽に、麻の開襟シャツ、大きめの扇子を片手に
我家に顔を見せてくれた祖父。
麦茶をおいしそうに飲み干す姿を
鮮やかに覚えています。
森茉莉が書いた「父の帽子」も思い出に彩られた本です。
父である森鴎外と一緒に帽子屋に出かけた折の出来事、
頭が大きく合う帽子がなかなかなかった鴎外のこと。
父である鴎外を心から慕っていたことが
文面からにじみでています。
物を介して、時間をこえて
心にしみてくるものがあります。
この夏、子どもたちは
虫捕り網や浮き輪、汗拭きタオルに
思い出をたっぷりしみこませたでしょうか。
夏休みも残り一週間です。
福井
今年の高校野球もたくさんの感動を与えてくれました。しかも、スター選手のいない全員野球が力を発揮した大会になりました。優勝チーム監督のコメントが印象的です。
「この子達のどこにこんなパワーがあったのでしょうか。毎試合ごとにいろいろなことを教えられた。いつも監督自身がビクビクしていたのにも関わらず、子ども達は堂々と一生懸命にプレーをしてくれた。他のチームに自慢できることは、底知れぬ体力と甲子園で重ねてきた試合数。」
子ども達が持っている底力を痛感した大会だったと思います。実力が均衡するチームが多かった中で、確実に勝利を勝ち取ったチームは堅実なプレーと絶え間なく続けた走り込みだったようです。たくさんのことを教えてくれた大会でした。
最近、旅館や温泉あるいは飲食店に「囲炉裏」が復活してきています。昔は田舎の家では土間を上がったところに広い「囲炉裏」があったものでした。そこにはやかんかお鍋がかけられ、お湯が沸いているかあるいはお味噌汁が温められていました。また、夜になると魚を串焼きにしたり、正月にはお餅をあぶったりと、今思えばとても便利な場所でした。
しかも、寒い冬でも暖かく、なかなかそこを離れられませんでした。ある意味、キッチンでありリビングルームでありと家の中心になっていた空間でもありました。家の長は必ずと言ってよいほど一番奥に堂々と座っていたものです。そしていつも家族が集い、客人もそこでもてなしを受ける理想的なコミュニケーションの場でもありました。
また、「囲炉裏」はよく考えられていて、常に温かな空気を家中に充満させることで家屋の木の腐食を防いだり、薪から出るエタノールが防虫の役目を果たしていたそうです。小さいながらよく火事にならないなと心配したものでした。そして、ある時、野口英雄の伝記を読んでから、少し近づくのが怖くなったこともありました。
日本の伝統には深い味わいがあります。
6月の末に父の葬式がありました。その日の夜9時すぎ、車で帰る親せきを庭に出て見送っていたときのことです。庭の隅に立てられた電柱に1匹のホタルが止まっており、電柱のまわりをとび回ったりもしていましたがそこをはなれなかったのです。それを見た父の孫達が、
「あれはきっと、おじいちゃんが見送りに来てくれたんだ。」
「おじいちゃんが見送りに来てくれた!」
などと言って、大さわぎになったのです。
以前この辺りでは、小川のある所ならどこでもホタルは当たり前のようにたくさん見ることができました。窓を開けて寝ると、迷い込んだホタルが“かや”に止まって光っていたことも度々ありました。ですからそのころは、夏休みの夕食の後、近所の子ども達と待ち合わせをし、竹ぼうきを持ってホタル狩りに出かけたものです。ホタル狩りと言っても、近所の家の庭や、歩き慣れた道でする程度でした。わが家の横にはホタルのたくさんいる竹やぶがあったのですが、5〜6人いてもそこには恐くて近づけませんでした。近づくと、そこに吸い込まれてしまい、二度ともどれないような気がするほど暗闇だったからなのです。
ホタル狩りの思い出は、年上の者に連れられて行った記憶しかありません。本来高学年になったら、私達が年下の子を連れていくのが当たり前のはずです。いつからホタル狩りが中止になってしまったのか。テレビの普及もその理由の1つかも知れません。でも1番の理由は、ほとんどの電柱に街灯が設置されたことにあると思います。ホタル狩りは、やはり真っ暗闇でないと面白くなく、本物ではないのです。
十数年前の夏休み、まだ小中学生だった父の孫達がこの家に集まったときに、夜の9時近くにもなってから“きも試し”をしていました。どこでやっているのかと聞くと、家からかなり離れた山のふもとにある周りを畑で囲まれた神社まで行っていたのです。やはり、今の子ども達にとってもきも試しは真っ暗闇でないと本物ではないようです。
今これを思うと、子ども達の遊びが昔と変わってきてしまったのは、新しい遊びができたことばかりではなく、昔ながらの遊びをする環境がなくなってしまい、同じことをしても面白くないのです。遊びも、心底ハラハラ、ドキドキするものでないと生き残れないようです。
田舎ではめっきり少なくなってしまったホタルですが、逆に都内では見られる場所が増えてきていることは意外です。実は、私の家の近くにある百草園のある山から湧き出している小川の周辺では、何匹もホタルが見られるのですから。
将来自分も近づきたいと思う憧れの人。
そんな存在が昔はたくさんいたように思います。
年に二回手入れに来てくれた庭師の親方、
見事な仕事ぶりに半日傍で見ていたことがあります。
本屋のおじさんも置いてある本を全部読んだ事があるように
色々な本を紹介してくれました。
一つのことにこだわりを持ち
誇りを持って仕事をしている人に
憧れいた小さい時の自分を時々思います。
コーチングではロールモデル、
手本となる人を具体的にイメージすることを取り入れます。
子ども達のロールモデル、
お父様、お母様、そして見守る大人たち。
私は未だに悪戦苦闘中です。
福井
花火見物や夏祭りに出かけるのでしょうか、
浴衣姿を電車の中で見かけます。
昨日座っている私の前に立ったグループの一人、
藍色の地に白と紅色の白粉花の柄の浴衣が
とても似合っていました。
和服は日本独自の大切に伝えたいものです。
学生仲間と会った先日、
国語の先生の話題になりました。
何十年前のことですが、
時々和服で授業をされていました。
手入れなどさぞ大変だったことと思います。
そして私達位の年齢になり、普段に着物を着ることが
和服のよさを伝えることかも知れないと話し、
今度皆で和服で食事にいきましょうと盛り上がりました。
いつか和服で授業をするのもいいかも知れませんね。
子ども達のびっくりした顔が目にうかびます。
福井
夏といえばキャンプ、キャンプと言えばテント、テントと言えば【飯盒炊爨】です。テントをきちんと張るのも子どもには難しいのですが、それ以上に難しいのが【飯盒炊爨】です。
しかし、電子ジャーのようなものでしかご飯を食べたことのない頃には、妙に新鮮でした。ご飯がこげるというのを見るのもまた何とも言えず風情がありました。
それではワンポイントアドバイスを・・・
飯盒の蓋に棒切れをあてて耳につけるとグズグズと言う音が消えるころ、ようやく炊き上がりです。そして、その後、飯盒を逆さまにするとうまく蒸らせたりします。キャンプの定番と言われるカレーやトン汁、あるいは缶詰ぐらいしかなくてもこの【飯盒炊爨】だけでも十分ですね!
※昨日の答えです・・・ 同じ頃、校舎の反対側からも実は別の6年生が僕達を脅かすために3Fに上がって一斉に廊下の電気を点けたのでした!本当に驚きました。
夏休みの前半、小学校6年生は学校に1泊します。教室にマットを敷き、持参した寝袋に入って寝ます。小学校4年生と5年生はクラス委員だけが代表して6年生と一緒に行動します。
寝るフロアは1Fですが、真夜中にこっそりと探検が始まります。実はこれが肝試しで、毎年6年生が4年、5年のクラス委員を脅かすこともまた代々のしきたりになっていました。そしてある年、まんまとひっかかってしまいました。真夜中に6年生に起こされ、2F、3Fの教室に探検に行こうと誘われたのです。しかも、音楽室にはお化けが出るという言い伝えもあり、それを確かめるためというのが口実でした。
何人かの先輩に連れられ、足音も立てず、真っ暗な廊下を端まで進み、さらに真っ暗な階段を手すりだけを頼りに目的地の3Fまで上ったときのことです!!! パッ!!と3Fの廊下の電気が一斉に点いたのです! 絶対にありえないことが目の前で起きてしまったのです!これには、自分だけでなく、側にいた6年生までもが僕をおいて一目散に1Fまで逃げ惑うのでした。
これまででベスト5に入るサプライズでした!
※この理由は次回発表します。それまでに早く3Fまで上りましょう・・・・
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