2021年1月10日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ
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新年二回目の礼拝のメッセージです。
世界ではいろいろなことが起き、また自分の身の周りでもいろんなことが起き、教会でも変化があり、今日も一組の家族が日本という新しい土地に移ろうとしています。
そんな中、神様から大切なメッセージを預かっています。
ここ何か月か、キリスト教についての疑問について答える機会がありました。そして、一つ気が付いたことがあります。神は愛なり、というとおりに、全ての答えは、愛、に行き着くのです。
★人生の質問Life Questions
シェルターで神を信じるか迷っている人たちの質問に多かったのは、どうして苦しみがあるのか、どうして悪があるのか、どうして処女が妊娠したのか(奇跡に関すること)、どうやって神の御心を知ることができるのか、どうして神は罪を作ったのか、などです。
神は、私達に自由意志を与えました。それが神の最大の愛の現れです。私たち人間も物を作ることがありますが、完全に私たちに従わせるように造ります。完全にコントロールします。しかし、私たちの神はそれはしなかった。なぜなら、神は愛だからです。
神は、私達と愛の関係を持ちたかった。愛の関係とはなんですか、私達が強いられてではなく、自分で選んで相手を愛することです。
愛さない選択があるからこそ、愛に意味があるのです。私がエリックを愛しているという意味には、犠牲が伴います。私は、他の男子にノーと言って、エリックに忠誠を誓っているのです。愛しているからです。もし、神を愛することを選ぶなら、私は神意外にノー言うのです。犠牲を払わずしての愛など存在しないのです。
苦しみや、悪というのは、善、神を愛することを選ばない人、人たちによる世の中がもたらしたものであり、また代々引き継がれてきているものもあります。
ざっくり、簡単にいうとこういうことになります。
また、神の奇跡についての質問も、全て愛に帰っていきます。神の計画、神の愛ゆえに、私達に新しい創造という奇跡を神はもたらして下さいます。
●今日のみ言葉を読みましょう。
2コリントCorinthians 5:17-21
17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。18 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。
20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。
★愛に立ち帰る必要性A need of return to God for Love
まず第一に、愛、を知る、すなわち自分のものとして受けとるには、キリストのうちにある必要があります。イン クライストです。
それは、あなたの罪のために、そう、自由意志が与えられていて、愛を選ぶことではなく、反対を選ぶようにしたその過ち、罪の報いを私達から取り去ってくれた、
私をあなたを愛している、イエス様を信じることから来ます。
V17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。Therefore, if anyone is in Christ, the new creation has come: The old has gone, the new is here!
と、あるように、信じるだけで、あなたの心が変わります。今日、この愛を受け取りませんか。あなたも新しく造り変えられることが出来ます。
●仲介者イエスChrist, the Mediator
不思議なことに、シェルターでみんなの疑問に答えていましたが、誰一人としてイエス・キリストを疑う質問をした人はいなかった。
私達の罪のために身代わりになって死んでくださったキリストについて疑問を持ったり、シンパシーの無い人はいなかった。
なぜなら、キリスト教、クリスチャンというのは、キリスト、キリストに入れ込んでいるキリスト馬鹿というもともとの意味があるほどに、キリスト中心の信仰であるのに、そこを疑う人はいなかった。
私の心は、この事実にわあって驚きました。これが私達への励ましのメッセージとなります。キリストは、その謙遜の故に、の愛の故に、その行動の故に、神を信じてない人からも、ノンバイオレント、害を与えられる人だとは認識されてない。
私達は、このキリストに私たちの使命を見出すのです。
マタイMatt.5:9
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
Blessed are the peacemakers, for they will be called children of God.
まさに、イエス様は平和を作る方であり、私たちも平和を作るなら、神の子供と呼ばれるのです。まさに、神そのもののお働きとなります。
★和解の務めThe ministry of reconciliation
V18-20
18 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。
キリストにより、神と和解させていただいた私たちには大きな平安が心にあります。それは誰にも取り去ることが出来ません。何があっても、どんな苦しみ迫害があっても、私達は最終的には神の優しい懐に帰るのです。死も自分には怖いものではありません。待ち遠しいくらいです。
しかし、人との和解と考えると途方もなく難しいと感じます。相手の有ることですし。また、私にも意見があります。
◎愛には、常に痛みが伴います。Love involves pain
私達も、ある人を立ち直らせようと、助けようと祈ったり、教えたりすることがあります。しかし、その人が正しい道を選ばず、間違った悪い友を選ぶなら、私達の心は痛みます。自分の思い通りにならないから痛むのではありません。「愛しているから」痛むのです。
シェルターでも、立ち直り、そして成長し、リーダーになっていく人ほど、痛みが多くなります。それは、もっと愛するようになるからです。
皆さん、愛には犠牲が伴います。どんなに時間を割いて、愛を注いでも、裏切られるようなことがあります。自分の時間が無駄だったような気になることもあります。愛することは、痛みと犠牲が伴います。
あなたがもし痛んでいるなら、正しいことをしているのです。
◎愛はカメレオンではない Love is not Chameleon
平和を作るものは、ネゴシエーターではないのです。時々、間を取り持つときに、二つの派があるとして、こっちに言って話を聞き、こっちに言って交渉をして理解できように。。。とやる。それも大切ですが、こっちについたり、あっちについたりとネゴシエーターが行き来して一つにすることではないのです。
◎イエス様の例
イエス様は、神と人類、そして罪と聖の架け橋となられました。イエス様は完全な憐れみと完全な義を両方兼ね備え居てる方でした。
この方が、人の罪を見て、心が張り裂けなかったわけはありません。この方は、唯一人を裁く権利を持っている方ですから、裁くこともできたのです。しかし、裁くことはされなかったのです。
イエス様は、罪人を愛し、ご自分も罪人の一人として数えられることをよしとし、そして、み父に見放されることさえ、その身に受けました。
真ん中に立つときに、このようなことを経験するのです。
相手側を裁けとチームメイトは言うでしょう。どちら側かに立ってないと、自分が責められることもあるでしょう。イエス様も、裁判で、「なぜあなたは口を開かないのか?!」と問われました。間に立っている人は、そのように迫られることもあるでしょう。
◎とりなしIntercessor
この二手のギャップにとどまり、とりなすことが、まさに和解の務めです。非常に居心地の悪い、孤独な位置です。しかし、イエス様こそ、そこに立たれた方です。
私達も、万人祭司の時代ですから、祭司です。私達もそこに立つように、とりなすように召されているのです。
★神の平和・シャロームGod’s peace, Shalom
祭司がギャップに立つ時、祭司がとりなし、祈る時。祭司が神に痛みを持って行くとき。力があります。
アブラハムがソドムとゴモラのために祈ったとき、モーセが祈ったとき、ダニエルが祈ったとき、エステルが祈ったとき、エリヤが祈ったとき、ハンナが祈ったとき、ヨブが祈ったとき、何が起きたんでしょうか。神は、キリストのように、ギャップに立つ人の祈りをことごとく聞かれてきています。また、痛みをもち、犠牲を払っている祈る人たちを顧ておられます。
神の与える平安は世が与えるものと違います。
Shalom とは、True biblical shalom refers to an inward sense of completeness or wholeness.
完全であり、欠けのないこと、その感覚が心の中に生まれることです。
またそれは、神から来るところの平安であり、正義や安全であること、また回復、和解も含まれています。また、それは、自分の心の内側に訪れます。自分の内側のものは誰にも奪われることがありません。
マタイMatt.5:9
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
Blessed are the peacemakers, for they will be called children of God.
この言葉は、有名です。またクリスチャンたちは和解の務めに召さていることを知ってますが、それに従事している人は圧倒的に少ないです。辛いからです。まだ迫害されている地域のクリスチャンの方が率先してギャップに立っています。
今、神は、あなたを呼んでおられます。ピースメイカーになるようにと。
多くのクリスチャンたちが、この務めを真剣に受け止めたら世の中がどう変わるだろうかと思います。あなたの祈りは力です。
信仰、希望、愛、そして忍耐と祈りをもって、和解の務めに専念していきましょう。
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