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主の祈り

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主の祈り 天にまします我らの父... 主の祈り
天にまします我らの父よ。
願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。
御国(みくに)を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を
今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試(こころ)みにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなく汝(なんじ)のもの
2020年7月26日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


マタイMatthew6:5-13
5 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。7 また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。8 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。

9 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン〕

ケニーさんの葬儀式に参加しました。
ケニーさんの育った教会も、お母さんも祈り深い方々でした。ケニーさんは証しをみなさんご存知の通り祈りを通して生まれました。また、天に召されても、お母さんの祈りの通りケニーさんが生きてくれたとお母さんは私たちの話を聞いて、涙されていました。
今日はお祈りの話しをします。

★お祈りとはWhat is prayer?
今日の箇所によると、祈りは、おねだりでも業でもない。私達の必要を神様が知らないので、お知らせするものでもない。また、人に見せるために、自分をよく見せるためにするものでもない。神はすでに私たちの必要を知っておられるのだ。そのうえで祈る必要があるのは、なぜでしょうか。

★祈りのひな型 The Given Prayer Template

ルカLuke11:1
さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」
One day Jesus was praying in a certain place. When he finished, one of his disciples said to him, “Lord, teach us to pray, just as John taught his disciples.”

マタイでも、祈りについてイエス様が語られ、ルカでもイエス様が祈っているのを弟子たちは見ていて、イエス様はどのように祈っているのだろう。どうも神と特別な関係があるようだ。イエス様は、人気が出ても一人でよく祈られる。しかも隠れて寂しいところで祈っている。一体何を祈ってるんだろう、と弟子たちはそばで見ておもっいてたのでしょう。

祈る時は、このように祈りなさいと言われ弟子たちに教えた祈りが主の祈りです。イエス様は、先の記述のように、同じことをお経のようにただ繰り返すのではないと言っているので、主の祈りを何回も繰り返するのが完璧な祈りではありません。イエス様は、このように祈りなさいと、祈りの型、テンプレートをくれたのです。テンプレートはそのままでは、どこにも提出できないし文書としては使えませんよね。そこから広げて行くのです。空手の型も、さんざん練習しますが、型ができてないと、実際の試合で使い物になりませんね。“In contrast with ostentatious prayer or thoughtless prayer, Jesus gives his disciples a model. But it is only a model: ‘This is how [not what] you should pray.'” (Carson)

イエス様は、この祈りの型を通して、弟子たちに、神との親しい関係、敬虔と従順、信頼と依存を教えられたのです。
Jesus then gave His disciples a model for prayer, prayer marked by close relationship, reverence, submission, and trust and dependence.

★主の祈りから学んでみましょう。What is in The Lord’s Prayer?

1. 天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。Our Father in heaven, hallowed be your name,
天の父よーーとイエス様は始めます。私たちすべての源である、父なる神との関係を表します。礼拝…主をあがめることからイエス様は始められます。
全てを治めている神である、父をあがめる。父の導きを認め、従う姿勢。

2. 御国が来ますように、地上に御心がなされるようにThy Kingdom come, Thy will be done on earth
…父の御心を積極的に受け入れ、招き入れ、そして、その通りにする。この地が天のようになるように、働くことに同意する。
御心がなるためには、
イエス・キリストの十字架の贖いが無ければならなかった。このような、従順と働きがあってこその御国である。
神を知らない人々のご利益信仰とは違い、天的な目的があり、その目的に祈る自分が預かっていることを認めながら祈るのである。

3. 日ごとの糧 Daily bread
イエス様は、神でありながら地上で肉の身体をとって生きられた。朽ち行く体に住むことは如何に糧に頼らなければいけないかという脆弱性を理解していた。
私達の身体は、日々食べ物を与えられなければ生きて行けない存在である。日ごとの糧は、私たちの最も必要不可欠な祈りであります。Fundamental need for our daily life starting even in mother’s womb. The form of daily bread changes as ages advances. お母さんのお乳は、ただ栄養を受け取るだけでなく、信頼や愛や、慰め、安心など、人間関係のもとになるものを含んでいますね。
それを、天の父に求めることは、私たちの霊的な成長spiritual development に必要不可欠です。

また霊においては、天からの生けるバンをいただかなければ生きられない。すなわちイエス様る。イエス様もあなた方の知らない食べ物がある問われました。天的な食べ物、使命を達成する、喜び、人生の目的など見えないが、私たちの心を満たす満たしが日々必要です。
神に食べさせていただくという、ポジション、態度、神という源を認め、自分の存在を神の養いに頼る。
今日、霊の糧を神様にいただきましたか。日々与えてください、いただきます。という姿勢で神によりたのみましょう。

4. 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。And forgive us our debts, as we also have forgiven our debtors.

私達の負い目を。。。負債という意味。私達も人の負債は無効にする。すなわち返さなくてもいい。すなわち、罪の裁きがない。人を裁かないということです。
私達は、罪が当たり前になることが一番怖い。麻痺してしまい、その重大さが分からなくなってしまう。また、この世に迎合するならば、それくらいみんなやっているとし、何事もなかったかのように感じる。
先日、天国に行った人の話しを聞きました。その人によると、神に対面したときに、自分がした罪について、その傷つけられた相手が感じたように全て自分の身体の中で感じたんだそうです。それは、もう辛くて辛くて大変な感覚だったそうです。
負い目をまともに感じることは、このようなことです。
私達も赦しましたから、赦してください。
赦しについて真剣に取り組むことが、祈りの目的でもある。
イエス様の最期の祈りに、「父よ彼らをお赦しください」とありますが、イエス様は本当に神の使命である和解の務めと罪の解決のためにこの地上に来られました。
罪に対して、赦しに対して軽くは見ておられず、必ず祈りの中に入れられていたのです。
私達は、天国に行ってからは、このようなことはもうできないのです。もう全てが終わるのです。天ではすべての人の涙がぬぐわれ、痛みが消えますが、和解の働きは地上にいるからできるのです。今、それに取り組むべきなのです。

5. 試みに合わせず悪より救い出したまえdeliver us from the evil one And lead us not into temptation, but 悪より救い出したまえdeliver us from the evil one

試み、神を信じるか、信じないか。いろんな状況の中で、神の支配を信じ、神の目的を信じ、神にお任せすることを良しとするか。これが私たちの信仰の戦いであり、試みです。信仰が勝つか、恐れが勝つか。
人はみな試みにあう。聖書もそう言っている。苦しみは、他者への憐れみの心を育てます。苦しんだことのない人は、他者が理解できません。また、苦しんでも、癒されてなければ、他者への思いやりは生まれません。。。
また、イエス様の例を見てみましょう。イエス様は、公生涯の始めに40日荒野で試みにあわれました。聖霊が導かれたのです。
また、イエス様は、ペテロのために誘惑に陥っても立ち直るようにとりなしておられました。
そうです、誘惑はあるのです、しかし、そこから勝利していく、あるいは立ち直っていくことがとても大切なのです。そして、試されてこそ、本物になっていくのです。
ですから、ここでは、誘惑への準備と対処をしっかりと覚えておくようにと言われているかのようです。誘惑を避けて行こう、というわけではありません。


7. 国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり。アーメンFor the kingdom, the power, and the glory are yours now and forever. Amen

神の支配、御国の到来と、神の全てを変えられる圧倒的な力と、神に従うものによってもたらされる主の栄光は決して消し去られることはありません。
これを、宣言し、心に刻みながら祈るのです。

★祈りの実践
以上が主の祈り、私たちの祈りの型です。
これから祈りを広げていくときに、私たちは友のために、家族のために、またまだ見ぬ人たちのためにこの祈りを広げて行くのです。
イエス様の祈りは、まず父なる神の愛を知ること、また互いに愛し合うことを体験するように。。。
#主の祈り #礼拝

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