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  • 美しさはまた、「ノスタルジー」を感じます。美しいものが、悲しくなるとき。

美しさはまた、「ノスタルジー」を感じます。美しいものが、悲しくなるとき。

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美しい音楽を耳にすると、昔はそ... 美しい音楽を耳にすると、昔はそれだけで心が軽くなった。
自然の風景もそう。空のグラデーションや、風にゆれる葉の音に、胸がすーっとした。


でも、このごろは、ちがう。
美しいものを見ると、ふと、深いところに沈んでしまう。


理由なんて、はっきりしない。ただ、涙が浮かんでしまう。


美しい、ということが、どうしてこんなに切なくなるんだろう。


私の中では、「美しい」はそのまま「儚い」にすり替わってしまう。
この一瞬で、もう失われていく、... この一瞬で、もう失われていく、という感覚。


たとえば夕暮れ。誰かと見たあの茜色。
たぶん、もう二度と、同じ空は見られない。


「懐かしい」という言葉も、少し苦手になった。


懐かしい、の奥にあるのは、「過ぎ去った」という事実。
もう戻らない、という距離。
手をのばしても届かない、音や匂いや笑い声。


思い出して、心があたたかくなる……なんてこと、あまりない。


どちらかというと、「ああ、あれも終わっていたんだな」と、
そっと置いていかれるような感じ。


こんなふうに感じる自分を、どこかで責めてもいる。
もっと素直に、喜べたらいいのに。
でも、心は言うことをきかない。


もしかすると、私は今、「変わり目」にいるのかもしれない。


何かを手放す途中で、まだ受け入れきれていない。
だから、美しさの中に、喪失を見てしまうのだろう。
 
それでも、ふとしたときに思う。
こんなふうに、何かに感じすぎてしまう心も、
ひとつの「生きている証」なのかもしれないと。
 
涙しながら聴く音楽も、
立ち尽くして見上げる空も、
そういうときのほうが、本当は心に深く残っている。
 
美しいものは、時に悲しい。
でもそれは、きっと、
私がそれを大切に思っている証なんだろう。
 
今日もまた、窓辺で珈琲を飲みながら、私はそれを見つめている。

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