立秋を過ぎても、陽ざしはまだ夏の色をしています。
それでも朝夕の風の中には、ほんのわずかに涼しさが混じり、庭の影が長くなった気がします。
母がお世話になっている介護施設へ向かう道では、畦道の稲が風に揺れています。空には入道雲と秋雲が同居しています。
施設に着くと、涼やかな風が廊下を抜けていきます。
母はよく言う。「食事は、一品一品がおいしいのよ。職員さんが、よく気が付いて換気や身の回りの世話をしてくれるの」
その言葉を聞くたび、日々の暮らしを支えてくれる人々の存在が、どれほど大きな安心を与えてくれているかを思います。
慌ただしい現場であろうに、細やかな心配りを欠かさない――その姿勢に、深い感謝を抱かずにはいられません。
私が仕事を離れてから、何年だろう。しょぼい年金暮らしを楽しんでいます。再雇用の話もいただいたが、静かな田舎暮らしを選びました。
畑ではナスが濃い紫に輝き、ゴーヤの葉陰でセミが最後の声を振り絞っていま。
月に2回スタジオでのドラム練習
週に5回のスイミングに時間を使う日々は、ささやかな幸せをもたらします。
けれど、ときおり胸の奥にぽっかりと空白が広がるのです。
現役時代の「使命感」や「責任感」が、そこにないからでしょう。
介護の現場で働く方々も、きっと日々の激務に追われている。疲れは深く、報われぬこともあるでしょう。
それでも振り返れば、その慌ただしさこそが「生きてきた実感」となり、後の自分を支える温もりになるのだと思います。
私はもう、仕事の現場にはいない。東京・横浜に10年、ドイツに3年、点々と転勤。疲れました。
思い切って「田舎暮らし」を始め、野菜作りも6年目にはいりました。
自分では「燃え尽き症候群」とうそぶいて、再任用ではなく、「ボンビー父さん」を選びました。
だからこそ、老いる自分を責めずに、「まあ、これでいい」と許してあげたい。
足りないものは足りないまま、今日できることをして、また明日を迎える。
夕暮れ、送り火の煙が空に溶け、盆とんぼが川面をかすめて飛んでいきます。
静かで軽やかな歩みを、これからも続けていきたい。