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2か月ほど放置状態になってしまいました、こうして改めて記述をしようと色々と調べていきますと、私の無知を改めて知らされることとなります。 まぁ、その都度blog等は修正していくことになりますが。色々と面白いことが見えてきました。 国鉄では、新幹線整備計画が昭和46年1月に決定しますが、国鉄の赤字は引き...
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全国に新幹線を敷設しようとする膨大な計画 全国新幹線鉄道整備法は、日本全国に高速鉄道(新幹線を建設しようという構想で、現在の整備新幹線構想の基礎となっているものです。 決定までの流れ 当時の政府が掲げていた、「経済社会発展計画」に呼応して国鉄が太平洋岸縦断新幹線(盛岡~博多間〉を提案したのが始まりで...
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前回は、宿泊でお寺に泊まることが出来ると書かせていただきました。 改めて、もう少し詳しく書かせていただこうと思います。 2年目のキャンペーンと言うことで、かなり新しゅう取組が行われていることが窺えます。 丁度、国鉄ではマル生運動も始まった頃であり、若手の国鉄職員を中心に国鉄を変えようという意識があっ...
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万博輸送その後の計画されたキャンペーン 国鉄は1970年10月に万博終了後の旅客確保対策として、個人旅行拡大キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」が開始されました このキャンペーンの目的は、経済成長により可処分所得が増えたことや、万国博覧会を経て、個人旅行の機会が増えたこと等から更なる旅行者の誘発を...
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首都圏から蒸気機関車引退 新鶴見操車場から横浜港を結んでいた、高島貨物線が電化されるのに伴い、それまで使用されていた蒸気機関車が廃止になることに伴い、昭和45年10月10日、11日、18日に東京駅~横浜港間をD51形蒸気機関車が牽引する旅客列車が走りました。 東京駅に、蒸気機関車が入線するのは、13...
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万博輸送後のダイヤ改正 大阪府吹田市千里丘丘陵で開催された、日本万国博覧会(Japan World Exposition, Osaka 1970)は、1970年3月15日から9月13日までの183日間開催され、アジア初かつ日本で最初の国際博覧会として開催されました。 期間中の入場者数は、6,421万...
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ユニークな臨時列車 万国博覧会向けに、ユニークな列車が運転されました、大鉄管内だけで見ますと、「万博号」の運転と言うのがあります。 国鉄線という部内雑誌に出ていたのですが、大阪鉄道管理局管内の小・中学校生徒を中心に計画輸送を行なうため、河瀬・姫路間に毎日三往復の臨時モデル電車(快速型)を運転となって...
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日本万国博覧会とは日本万国博覧会、大阪府吹田市の千里丘陵で1970年3月15日から9月13日までの183日間開催された国際博覧会であり、現在はその跡地の多くが万博公園として残されているのは御存じの通りかと思います。輸送計画の概要万博輸送の概要について、当時の部内誌などを参考にしながら述べてみたいと思...
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ヨンサントウ改正では、波動輸送について特に注意が払われました。 それまでの臨時列車は、いわゆる、「盛りスジ」と呼ばれるもので、既に出来上がったダイヤの隙に押し込む形で臨時列車を設定するようになっていました。 この方式だと、同じ急行列車であっても、途中駅で後続の定期急行列車に抜かれたり、単線区間では普...
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国鉄の部内誌などを参考にして、ヨンサントウ改正の記述を見ていきたいと思います。 ヨンサントウの改正で、もう一つの目玉はやはり東北本線でしょう。 東海道線と比べると、近代化も遅れ気味でしたが、盛岡~青森間が複線化・電化開業で近代化は一気に進み、昭和42年に月光がたでデビューした583系電車が東北路を走...