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国鉄の誕生 GHQの見解を聞いて頭を悩ませたのは時の政府でした。 GHQの命令は絶対であり、マッカーサーからの書簡(指示)という事になれば尚更でした。 前項に書きましたように、政府としては鉄道総局をどうすべきか考えた結果、政府の意向ができるだけ通る、すなわち政府が公共企業体を支配できる体制を考え出しました、これが後々まで国鉄を苦しめる結果となりますので、よく覚えておいてください。 そこで政府は、3つの案を考え出します。 (1) 国務大臣を総裁とする鉄道総庁 (2) 運輸大臣の監督下に置く特別法人国鉄公庁 (3) 特別の管理機関をもつ特殊法人国鉄公社 政府は、(1)の形で決着を着けたか...
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労働運動の台頭 当初、労働運動には寛容であった、GHQでしたが、これを日本共産党が解放運動と感じたことに大きな誤りが生じることとなりました。この辺りにつきましては、国鉄とは直接関係ないので割愛させていただきますが、後ほど機会を見つけて論述したいと思います。 当時の、日本共産党は、ソビエトの指示、すなわち、コミュンテルン(国際共産党)の指示を受けていたこともあり、ソ連の情勢判断は、世界革命近しということで、労働者を指導し、労働運動を活発化させるとともに、非合法活動(銀行襲撃や、爆弾製造など)も平行して行われていました。 戦後労働運動の推進役を担ったのは官公労であり、民間では食べることに精一杯でそ...
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はじめに 国鉄を鉄道国有化の明治時代まで遡るか、戦後の昭和24年以降とするかは、議論の分かれるところではございますが。 ひとまず、昭和24年以降の日本国有鉄道以後の内容ということで、記述を進めたいと思います。 なお、国鉄に関する労使問題や、車両の動きなどといった専門的と思われる分野は、別の機会ということで、ここでは、概要のみを伝えることにしたいと考えております。 日本国有鉄道の誕生前史 日本には、かって鉄道省という役所(さらに古くは鉄道院)という役所がありました、戦時中は逓信省(現在の郵政公社の前身) と統合され、運輸逓信省に、さらには運輸省になり、空襲激しくなる中でも、兵員輸送に、また...