【思考実験】電動スーツケースで歩道を走る自由はあるのか?
5月
27日
― シニアカーと“制度のほころび”を見つめて ―
ある日、ニュースで「中国人が電動スーツケースに乗って歩道を走行し、警察に検挙された」という話題を目にした。
その光景は、突飛でユーモラスなものとして拡散されたが、ふと立ち止まって考えたくなった。
シニアカーなら合法で、電動スーツケースは違法──その線引きに法的な一貫性はあるのか?
ある日、ニュースで「中国人が電動スーツケースに乗って歩道を走行し、警察に検挙された」という話題を目にした。
その光景は、突飛でユーモラスなものとして拡散されたが、ふと立ち止まって考えたくなった。
シニアカーなら合法で、電動スーツケースは違法──その線引きに法的な一貫性はあるのか?
制度を掘り下げてみると、驚くほど曖昧である。
まず、シニアカー(ハンドル型電動車いす)は道路交通法上、歩行者に分類されている。
最高速度6km/h以下であれば、免許もナンバーも不要。歩道の通行も認められている。
だが、これには明確な登録制度があるわけではない。
「歩行困難者のための補助機器である」という“想定”のもとで、暗黙のうちに黙認されているに過ぎない。
まず、シニアカー(ハンドル型電動車いす)は道路交通法上、歩行者に分類されている。
最高速度6km/h以下であれば、免許もナンバーも不要。歩道の通行も認められている。
だが、これには明確な登録制度があるわけではない。
「歩行困難者のための補助機器である」という“想定”のもとで、暗黙のうちに黙認されているに過ぎない。
さらに特筆すべきは、シニアカーには酒酔い運転の規制が適用されないという点だ。
道路交通法第65条が禁止する「酒気帯び運転」は、車両や原動機付き自転車などに限定されており、
歩行者扱いのシニアカーには法的な制限が存在しない。
つまり、飲酒していても、シニアカーで歩道を走ることは法律上認められているのである。
道路交通法第65条が禁止する「酒気帯び運転」は、車両や原動機付き自転車などに限定されており、
歩行者扱いのシニアカーには法的な制限が存在しない。
つまり、飲酒していても、シニアカーで歩道を走ることは法律上認められているのである。
一方で、時速6km/hも出ない電動スーツケースが、構造や見た目、用途の“印象”で「車両」とみなされ、検挙される。
ここには、明らかに制度と技術の進化の乖離がある。
見た目や目的が“遊び”に見えた瞬間、同じ速度でも歩道は許されなくなる。
では、外見がシニアカーに似ていて、使用者が高齢者であれば、同じスーツケースでも合法になるのだろうか?
こうした“現場任せ”の制度運用こそが問題の核心だ。
ここには、明らかに制度と技術の進化の乖離がある。
見た目や目的が“遊び”に見えた瞬間、同じ速度でも歩道は許されなくなる。
では、外見がシニアカーに似ていて、使用者が高齢者であれば、同じスーツケースでも合法になるのだろうか?
こうした“現場任せ”の制度運用こそが問題の核心だ。
筆者自身、過去に兵庫県警と対話しながら「二人乗り電動アシスト自転車」を合法的に製作した経験がある。
当時、多くの都道府県が条件付きでタンデム自転車の公道走行を認めていたが、兵庫県は後席にペダルの有無に関する明確な記述がなく、制度上の曖昧さが際立っていた。
筆者はその点を行政に確認し、後席にペダルのない構造で二人乗りを設計した。
おそらく制度の趣旨としては、「イベントなどで障がい者にも自転車体験をさせたい」という善意に基づくものであったと推測されるが、そのままでは現場の判断に委ねられかねない危うさを感じた。
当時、多くの都道府県が条件付きでタンデム自転車の公道走行を認めていたが、兵庫県は後席にペダルの有無に関する明確な記述がなく、制度上の曖昧さが際立っていた。
筆者はその点を行政に確認し、後席にペダルのない構造で二人乗りを設計した。
おそらく制度の趣旨としては、「イベントなどで障がい者にも自転車体験をさせたい」という善意に基づくものであったと推測されるが、そのままでは現場の判断に委ねられかねない危うさを感じた。
そして今回の件もまた、単なる「面白ニュース」では済まされない。
技術の進化によって、低速・安定・センサー搭載・GPS制御された新しい移動手段が実現可能になっている。
それを「形が奇抜だから」「遊びに見えるから」という理由だけで排除するのは、社会として合理的ではない。
技術の進化によって、低速・安定・センサー搭載・GPS制御された新しい移動手段が実現可能になっている。
それを「形が奇抜だから」「遊びに見えるから」という理由だけで排除するのは、社会として合理的ではない。
制度は「危険があるから禁止」ではなく、「危険をどう制御するか」を基準に設計されるべき時代に来ている。
たとえ酔っていても、時速6km/hでゆっくり安全に帰宅できる乗り物があるなら、それを咎める社会よりも、それを許容する社会のほうが人間的ではないだろうか。
そうした気楽で合理的な暮らしを実現するには、警察官の裁量に依存する曖昧な運用ではなく、明確な基準を伴った制度改正が必要だ。
たとえ酔っていても、時速6km/hでゆっくり安全に帰宅できる乗り物があるなら、それを咎める社会よりも、それを許容する社会のほうが人間的ではないだろうか。
そうした気楽で合理的な暮らしを実現するには、警察官の裁量に依存する曖昧な運用ではなく、明確な基準を伴った制度改正が必要だ。
また、世の中には「取り締まらないことが常態化している法律」も少なくない。
もし取り締まる気がないのであれば、その法律は削除すべきであり、法と現実のズレを放置することこそが混乱の根源である。
もし取り締まる気がないのであれば、その法律は削除すべきであり、法と現実のズレを放置することこそが混乱の根源である。
今回の電動スーツケースのケースも、単なる風変わりな違反ではなく、
たとえば「時速制限付きの電動キックボードを、シニアカーとして正当化する」ような新しい可能性を含んでいる。
これは制度の抜け道ではなく、制度設計そのものを問い直す契機ではないだろうか。
たとえば「時速制限付きの電動キックボードを、シニアカーとして正当化する」ような新しい可能性を含んでいる。
これは制度の抜け道ではなく、制度設計そのものを問い直す契機ではないだろうか。