光と影の一族
2月
17日
天津神とは違うから、
かっちりと当てはめることは
できないんだけど。
イメージとしては、
神王家が天津神なら、
御影家は国津神のイメージ。
天照や月読を崇め奉るのが
都(リューシャ―)ならば、
素戔嗚を崇拝するのが
アジルの村のイメージ。
天界につながっているのが
神王宮ないしは天珠宮ならば、
地界につながっているのが
御影家の屋敷ないしは魂羅川のイメージ。
だから、世界の崩壊と
再生についての考え方も、
神王家と御影家ではまるで違う。
それをそろそろ、描きたいのだけど。
なんつーか、御影家の思惑が見えない。
思惑というか、積極性?
なんつーか、
あんまり関わろうとしないくせに、
現状に文句を垂れる構図しか
浮かんでこないのはなぜだ……。
橋姫が欠片を使って望みを叶えることで、
世界が滅ぶことに対し、
なんとか阻止しようとする
天ツ神たちと違って、
御影家の面々は、
何を今更、という感じで、
橋姫の望みを叶えようとするわけだけど。
だからって、自分たちが積極的に
世界を滅ぼそうとするわけでもないという。
何て言うか、無為自然的な思想が
ある気がするんだけど、
橋姫に手を貸すことは
作為的なわけで。
でも、積極的に欠片を奪おうとは
しないわけで。
う~ん。
不思議な人たちだ……。
世界の平穏と9つのアイ
2月
16日
そろそろ、御影家サイドから、
世界の成り立ちというか、
世界観に触れた方がいいなぁと思って、
設定資料見返したら、
すっかり忘れていた設定を見つけた。
あまりにも忘れすぎてて、
もはや初見に近い感覚。
「へ~、そーだったんだ~」みたいな(笑)
想像以上に壮大でびっくり。
こんなん、ちゃんと落とし込めるのか?(笑)
ということで(?)
壮大な動画でもご紹介。
これ、タカマ本編の逆バージョンみたいな感じで、
めっちゃ泣ける……。
オリジナルももちろん素晴らしいんだけど、
O.B.N.Nさんのアレンジが素敵すぎて、最高です。
星の見えない夜に
2月
14日
タカマ那智の曲だなぁと。
今までずっと、那智→颯太の曲として
聴いてたけど。
案外、タカマ那智→中ツ那智でも
成り立つかもしれない。
闇に囚われたタカマ那智の曲だと考えれば、
いろんな想像が広がる。
僕がずっと前から思ってることを話そうか。
2月
14日
こうも変わるんだなぁと。
なんかこれ、中ツ那智からタカマ那智への
祈りみたいだ。
――届けば、いいな。
闇夜に咲く花
2月
14日
あとは、これをどうやって届けてどう活かすのか。
制作過程をいろいろ呟いている割に、
全然アップしてなくてごめんなさい……。
いずれそのうち、
複数話まとめてアップすることになると思います。
どうかそれまでお待ちくださいませ……。
踊り子(ドール)の見る夢
2月
14日
ああ、あれも自分なんだと、
同じになれないけれど同じなんだと、
そう気づくことで救われたけど。
タカマ那智の場合は、
同じだということをわかった上での闇落ちだから、
どうやって浮上すればいいのかがわからない……。
物語上、中ツ那智の存在が鍵になるのは、
決めてたことだけど。
でも、それは今じゃない。
そこに辿り着く前に、
タカマ那智自身が浮上しなきゃいけない。
どうすればいいんだろうなぁ、マジで。
Mirage
2月
14日
この展開はもう何年も前から考えていたけど。
肝心の、闇落ちした那智を
どうやって掬い上げるかを考えてなかった(苦笑)
ここを乗り越えないと、物語全体が壊れる。
現状、圭麻ママの慰めや説得も、泰造パパの叱咤激励も、
颯太フィアンセの愛の言葉も、
届かないところへ行ってしまわれている……。
それほたで描いた「奇跡」は廻り舞台では使えないし。
なんとなく、
中ツ那智はタカマ那智のことを、
「同じになりたくてもなれない異質な存在」として
捉えていた気がするんだけど、
タカマ那智の場合は、
そこまではっきりとした境界がない気がする。
だからこそ、「自分」を責める気がする。
そしてだからこそ、浮上できない……。
う~ん。どうしよう。。。
わずかな嘘とひとつの真実
2月
13日
「嘘」というほどのものでもないのだけど。
あえて肝心なところを端折って話す颯太と、
その不自然さに気づいてしまう仲間たち。
そして、思わぬ形で「真実」を知ってしまった那智と、
彼女を支える仲間たちの様子を、
この曲を聴きながら書いてた。
……ということを書いている最中に
地震が起きた。
4階なので、結構揺れを感じましたが、
大丈夫でした。震度は3でした。
最大震度6強、
揺れも広範囲で心配ですね……。
皆さまのところは大丈夫でしょうか……?
カルピスウォーター
2月
8日
最初の配属先で、路頭に迷い、「自分探し」に奔走した。
2番目の配属先は、
電話に出ただけで、名乗っただけで、
同業者から非常勤だと間違われる、
それほどまでに男社会の職場だった。
伝家の宝刀引っ提げて、
北風と太陽を使い分けて、
とある目的達成のために働く、
ちょっと特殊な仕事だった。
特殊な仕事だったし、
すごく男社会だったけど、
だけど案外、ワークライフバランスは
保ちやすい職場だった。
今となれば、「天国」にさえ思えてしまう、
そんな職場だった。
3番目の配属先は、
私がずっと興味を持っていた職場だった。
やりたいと思っていた仕事だった。
だけど、いざやってみたら、
思ってたのと違うことがたくさんあった。
失恋の痛手も癒えていない頃で、
仕事でも無力感が強くて、上司に怒鳴られまくって、
自己肯定感はズタボロだった。
だけど。
その配属先で3年間、
「晴天」を夢見て、「晴天前夜」を何度も聴いて、
何度も泣きながら、けれどがむしゃらに働いているうちに、
「評価」されるようになった。
私の実績を認められるようになった。
後輩もできて、彼女はまるで、
ほんの少し昔の私みたいで。
懸命に頑張る姿が、
自分は力不足だと落ち込みながらも、
懸命に頑張る姿が、
少し前の自分を見ているみたいで。
だからこそ、丁寧に教えていたのに、
ちょっとずつ成長していく姿が嬉しかったのに。
頼もしかったのに。
寿退社を告げられて、
まるで裏切られた気分になって。
相手には何の非もない、
私の勝手な醜い感情。
そのやり場がなくて、
「泥中に咲く」をよく聴いていた。
ヨルシカをよく聴いていた。
やり場のない思いを抱えながらも、
ここを出れば、きっと充実した生活を送れるはずだと、
私も「幸せな家庭を持つルート」に踏み出せるはずだと、
そう思っていた。
だから今はここで頑張ろうと、
踏ん張ろうと、そうやって頑張って、
私は「評価」を手に入れた。「自信」を手に入れた。
やがて私は、惜しまれながらも異動した。
「これからはプライベートを充実させてください」と、
そんな上司の言葉を餞に、今の部署に異動した。
だけど。
プライベートの充実なんて、
夢のまた夢だった。
私にとって、「幸せな家庭を持つルート」が
いかに遠いかを知った。
今の配属先に来たことで、
余計に遠ざかった気がして、辛くて辛くて何度も泣いた。
なんで私はここに来たんだろうと、
絶望に絶望を重ねて、心身に異常をきたしかけた。
何度も絶望を繰り返し、
そして悟った。
私にはこの生き方しかないんだと。
何だかんで、結婚は博打だと、出産も博打だと、
そんな風に思ってしまうのは私自身だ。
それよりはまだ、
仕事の方が、真っ当な評価を得られると、
そんな風に思っている私がいる。
今の部署は一刻も早く抜け出したいけど、
抜け出したからって、楽園が待っているわけじゃない。
組織の末端で疲弊するよりは、
中枢に行きたい。
それは私にとって、
決して楽な道ではない。
だけど、「楽だと思っていた道」が、
楽じゃないことを知った。
「憧れていた道」が、
果てしなく遠いことを知った。
手が届かないくらい遠くて、
無理に手を伸ばせば、凄まじい反動を食らうことを知った。
だから、「夢」見ることを辞めた。
「現実の道」を歩くことにした。
私にとって、実現性の高い道。
他の道に比べればまだ、可能性のある道。
そんな私が今聴いているのが、
この曲だ。
徒花の涙
2月
7日
性差別の根強い社会なのか。
森会長の発言により、
世界的に知れ渡った気がします。
発言の一部をマスコミに
切り取られたものだけではなく、
前後の文脈も含めて、
彼の発言を読みました。
前後の文脈も含めた彼の言葉に対し、
「このどこが問題なんだ」と、
マスコミが意図的に切り取って
悪意のある報道をしただけだろうと、
そう主張する意見もいくつか読みました。
確かに、前後の文脈も含めて読んだら、
だいぶ印象が変わりました。
女性の数を増やせば
それでいいという問題ではない。
むやみやたらに数だけを
増やせばいいという問題ではない。
その点については、大いに賛同します。
ただ。
どうして、社会に参画する女性の数が
少ないのでしょうか。
上層部に、「幹部」と呼ばれる地位に、
「委員」と呼ばれる役職に、
女性が少ないのでしょうか。
人口に占める割合は、男女ほぼ同じで、
どちらかというと、女性が少しだけ多いというのに。
それを理解せずに、
数だけを増やそうとするから、
こういうことになる。
数を集めればそれでいいわけではなく、
質が大事なのは、男性だって同じです。
議論が活発なのは非常に良いことだし、
主張を簡潔に述べられるかどうかは、
男女の差異ではなく、個人のスキルの問題です。
女性が社会に参画できないのは、
そういう生き方を選べないからです。
幹部になれないのは、
組織の中枢に入れないのは、
そういう生き方を選べないからです。
一人の男性が、「夫」の地位と、「父」の地位と、
「幹部」の地位を手にすることは、
ままあることだけど。
一人の女性が、「妻」の役割と「母」の役割と
「幹部」の役割をこなすのは、
非常に難しいからです。
今の日本社会で、女性に幹部になれということは、
「社会で活躍しろ」ということは、
一部のスーパーウーマンを除き、
「家庭を捨てろ」と言っているも同然です。
そんなこと、できるわけないから、
だから、多くの女性は家庭を選ぶんです。
それしか選べないから、
だから社会に出れないんです。
社会に出ても、
低い地位に甘んじているんです。
以前、ネットでこのような話題を読み漁っていた時、
どなたかがおっしゃっていました。
そんなにも女性幹部を増やしたいなら、
結婚も出産も禁止すればよいと。
そして、そんなにも少子化を食い止めたいなら、
女が社会に出ることを禁止すればよいと。
大いに頷いてしまいました。
結婚も、子どもを持つことも、
社会的な地位を得ることも、
男性はできるのだから。
一人の男性が、それをなし得ることは、
ままあることなのだから。
「レディースデイ」の存在くらい、
大目に見てほしい。
でも、そんなことを言えば、
批判が渦巻くのだろうな。
でも、それくらいのささやかな希望がなければ、
女性は生きていけません。
女性にとって、結婚や出産と、
バリバリ働くことは、
全く別の線上にあるんです。
同じ線上にあるように見えて、
実は全く別の線上にある。
専業主婦と、ワーキングマザーと、
バリキャリは、全く別の生き方なんです。
同じ道の上にある複数の選択肢ではなく、
全く別の道に存在する、
それぞれの通過点であり、
選ぶしかない唯一の道なんです。
にも関わらず、
家庭に入ることを選んだ女性に、
家庭を優先することを選んだ女性に、
社会で「活躍」することを求めることは、
全く別の人生を歩めと言っているのも同じことです。
今の人生と全く別の人生、
ふたつ同時に歩めと言っているのと同じことです。
逆に、社会で活躍することを選んだ女性に、
家庭を持たずにバリバリ働いている女性に、
「どうして結婚しないのか」と、
「少子化問題について議論する暇があったら、
あなたが子どもを産めばいい」と、
そんな言葉をぶつけることは、
それと同じくらいの暴挙です。
そのことを全く理解していないから。
全く理解せずに、
「女性」を主語にして論じてしまうから。
無理やりに数を増やそうとしなくても、
実力社会に生きる男性に対して、
女性は実力の有無に関わらず、
本人の希望に関わらず、
選べる道が限られてしまうから。
それを理解せずに数だけを増やそうとすれば、
そりゃ、質的な問題も出てきてしまうかもしれない。
もっとも、会議に要する時間については、
発言者の質の問題だけでなく、
時間をかけて議論すべき内容に対して
必要な時間を確保できていなかったり、
会議の趣旨や目的が明確になっていなかったり、
議事進行がうまくなかったり、といった、
運営する側の問題もあると思うのだけど。
問題の本質を見ようともせずに、
「女性」を、「女性」だけを、
主語にして論じないでほしい。