モノが、しゃべるという事を、私は信じ始めた。
「モノは、しゃべります。
耳をすまさなくても、声が聞こえてきて,困るんです。」
という人に出会ったからだ。
そんな人に会ったら、あなたは、「変な人」と思うだろうか?
でも、私には、その話は真実だと感じた。
真実とは、普遍的ではなく、
ある人の真実が私には真実じゃないこともある。
それは承知している。
でも、モノがしゃべってくるという体験談は、すっと入って来た。
何度も、いくつものエピソードを聞いても、ああ、これはほんとだな、といつも自然に思う。
彼女の「モノ語り」はよく理解できる。
モノ扱いされてしまった、あるパペットが告白してくれたそうだ。
やっぱり自分はモノなのか……という苦しさを、我慢して隠して、ずっと笑顔でいなければならなかったという。
私も、一緒に悲しくなって悔しくなった。
これは、実話だと思った。
その人にとっての真実。
私にとっても。
「モノはそこにあるだけでメディアになる。」
と、ある本で読んだことがある。
メディアとは、通信、伝達、表現の媒体。
モノは語りかけてくる。
その声は私にしか聞こえない。
でも、語りかけてくる。