「表現」と言うより「出会いの化学反応実験」かな
8月
16日
「表現活動」というものを口にしてきたけれど、そして「腹話術という表現手段を、あなたの伝えたい事を人に伝える時に有効に使って欲しい!」などと安易に言ってきたけれど
表現とは、表現でしかなくて
そもそも
その表現の存在が
誰かに気がついてもらえるのか?
それを受け取る人がいるかいないか?
どんなふうに受け取るのか?
どんなふうにレスポンスが返ってくるのかこないのか?
によって
表現が表現になるんじゃないか?
上手く言えないけど、そんな気がする。
自分だけに聞こえるような声で自分に聞かせるために歌うのも表現?
だと思う。
そうすると、表現を受け止める相手は自分でもいいわけですな。
表現した「その先」が無限に広がっている。
それは怖いけれど、無限の可能性を持つ希望でもあり。
私の表現が他者にとって(自分にとっても)私の予想を超えた意味を持つ可能性もある。
良くも悪くも。
私が求めているのは、表現ではなくて、出会いの化学反応を体験することなのではないかと思った。バチバチ火花が散る感じ。言語化できないクオリアがある体験。
「表現活動」と言うと、そこに主体である自分しかいない感じがするけど、「出会いの化学反応実験」のほうが近い気がする。
自分の身体から湧き出るエネルギーの流れがその時たまたま居合わせた人と出会って、どうなるのか??人生の残り時間を使って、共同で行う実験。取り返しのつかない事になるかもしれないスリルと、宝石よりも太陽よりも輝く思い出になるかもしれない希望と、両方の可能性がある実験だ。
「表現」とは心理的、感情的、精神的などの内面的なものを、外面的、感性的形象として客観化すること。また、その客観的形象としての、表情・身振り・言語・記号・造形物など。
小学館 デジタル大辞泉より
パペットたちは、化学実験の有能な共同研究者なのか!?
BGM「地上の星」
なんか壮大な気がしてきた(笑)