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余部鉄橋(山陰本線)
4月
14日
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鳥取まで44km。鳥取と云う文字を見ただけで、心が温かくなる。不思議なものだ。
今は鉄橋ではなくコンクリート橋になった。山陰本線のトンネルとトンネルを渡す鉄道橋。
余部鉄橋の高さは41m。1986年12月28日13時、この鉄橋で悲劇が起きた。一両編成の回送列車が突風にあおられて鉄橋から地面に転覆。鉄橋の下に有った海産物加工工場の従業員5名と列車の車掌1名が亡くなった。
この余部鉄橋は、子供時分から馴染みのある場所だ。米子から都会、京都や大阪&東京に行く際、必ず通る鉄橋だったから。ここを通過する時は必ず窓を開けて眼下の海を眺めた。蒸気機関車のモクモク煙が入って来ても。
余部鉄橋は、いまはコンクリート橋に改築され鉄橋ではない。
偶然にも福知山駅から浜坂駅への一両編成の回送列車が通過した。
パンフレット写真から拝借。
改築前の「鉄橋」写真。
2025年4月15日(月)
ワオ!と言っているユーザー
旧友を訪ねて
4月
14日
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高校山岳部の仲間が、臨済宗玉田寺に住んでいる。ここは山陰海岸兵庫県の旧浜坂町。一年ぶりに訪問。彼はここに住んで50年と云う。彼の名は和尚。
好々爺な住職だ。それに引き換え、なんとオイラの俗っぽい様よ。高校三年間、彼と静岡県三島に住む「健ちゃん」と四季を通して故郷の山「大山」を歩き登った。当時高校生の冬山登山は禁止だったが、何故か厳冬期の大山・弥山~剣が峰~三鈷峰の縦走路を歩いていた。しかもパトロールの腕章を付けて。そして三人ともそれぞれ違う大学山岳部に進学し、学生時代に海外登山を経験した。健ちゃんは南米へ、和尚はパキスタンへ、僕はアフガニスタンへ。
2025年4月13日(日)
ワオ!と言っているユーザー
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ハル
海外手配専門(手作り旅行)旅行社勤務していた。本人はとにかく毎週外遊びに夢中。パラグライダー、自転車、ドライブ、スキューバーダイビング、山登り、スキー(ボードは全くダメ)
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