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みどりの窓口と、端末機の話

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昭和40年の時刻表から... 昭和40年の時刻表から V形端末機【初期の端末機】で出... V形端末機【初期の端末機】で出力される切符
みどりの窓口は、昭和40年10月のダイヤ改正で拠点駅152駅及び、交通公社(JTB)拠点83営業所に設置されたそうですが、全ての駅並びに、交通公社に端末機が配置されたそうでは無いそうです。
交通公社は81営業所に、108駅に端末が設置されたものの、48駅は窓口はあっても従来通り電話で近隣の端末がある駅に照会をかける方式のようです。
なお、当初設置された端末は337台と書かれておりますので、全ての駅に複数台が並んでいた訳ではなさそうです。

余談ですが、国鉄の駅に設置する端末機の場合は鉄道電話網を使っているので、問題は無かったそうですが、交通公社に設置した端末に関しては電電公社の回線を使うため、回線の種類が一般電話回線では無く専用線扱になったそうです。

また、このときに開発されたのがマルス102と呼ばれるシステムで、昭和39年から開発が進められ、昭和40年10月からの利用が開始されたとされています。
取扱座席数は1日13万座席であり、それまでのマルス101では4列までしか指定できなかったため新幹線の指定席に関しては従来通り、手作業であったものの、新システム導入で新幹線も電子計算機で指定券を発行できるようになったとして大幅な効率化を図ることが出来ました。

このシステム導入により、指定券の誤発売は全くなくなったというわけは無いが半減したと、当時の部内誌では報告されています。
特に新幹線での発売効果は顕著で、マルス導入前の誤発売が1日平均、8.52件であったのが、0.94件に激減、在来線でもほぼ半減となったとされています。

なお、みどりの窓口設置に合わせて、窓口職員はベテランを充てると共に、出納の過不足金に対する任意弁償の制度を無くすことで、職員の負担を軽減すると言った施策も合わせて実施したとされています。

マルスの一日平均有効コール数は当時で1日平均14万コール、発売枚数は12万枚程度と言われています。
初期の端末は、駅名が書かれたゴム印を端末に挿入するもので、これを切符に印字するようになっていました。

国鉄線、昭和41年4月号を参照しますと、失敗談として、昭和41年1月27日未明の保守作業で、機器の不備と書かれていますが、過電流によりマルス102が完全にストップして夕方6:50まで機能が停止したとのことで、冗長構成などが取られていなかったのかも判りませんが、異常時対策の確立を考える貴重な機会になったとかかれています。

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みどりの窓口の開設 設置編

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みどりの窓口が昭和40年10月... みどりの窓口が昭和40年10月の改正で設置された、ただし全ての駅にマルスが設置されたわけではなかった。
現在でも駅で指定券を購入する場合「みどりの窓口」というカウンターがあります。(JR東海は、「きっぷうりば」としており、みどりの窓口自体がJR東日本の登録商標であることが関係していると言われています。

それ以外のJR各社及び、JRから第3セクター鉄道に変更された鉄道等で「みどりの窓口」という名称が使われています。

「みどりの窓口」の発祥は、門司鉄道管理局と言われており、全国に先駆けてはじめた国鉄セールスマンによる団体旅行勧誘に始まるとsれています。

当時、小倉駅、博多、佐賀、佐世保、後藤寺の各駅に1人ずつ配属されたが、小倉駅の助役が第一号で、現在の「みどりの窓口」の発案者の1人でもあるとwikipediaには書かれていますが、当時の資料等を確認していませんので今後確認する予定です。

当時の資料等を参照しますと、指定券発売業務自体が電話取り次ぎとなっており、実際には下記のような苦情が多かったのでは無いかと書かれています。

具体的には、


  1. 窓口で満員ですと断わられたのに乗ってみたらガラガラだった」

  2. 「発率直前に特急券を買おうとしたが行列でやむを得ず入場券で乗車した」

  3. 「苦労して手に入れた寝台券がダブっていて不愉快だった」


結局、国鉄としても肝心の収入源である指定席を十分販売できないことは問題であるとして、切符の販売が多い、152駅を選び出して、「みどりの窓口」を開設し、端末(マルス)102が設置されたそうです。

みどりの窓口設置駅
当時の国鉄部内誌を参照しますと、みどりの窓口は、下記のような目的で設置されたと書かれています。

少し長いですが、全部引用させていただきます。

窓口が果たすべき役割であるから上記のような旅客の要求にマッチした、新しい指定券の発売体制というものを確立すぺきである。

三、「みどりの窓口」前節でのぺた旅客の要求にマッチした新しい販売体制の第一歩として「みどりの窓口」を設置する。

従来の画一的な販売体制に代え、指定券の発売拠点となっている一五二駅を選定し、ここに指定券を専門に発売するI。みどりの窓口」を設置し、これを抜本的に強化する。

この窓口はどんな指定券でも完全なサービスで提供できる体制を作るとともに、このことを広く一般に周知させる。したがって「ここだけは絶対に信頼できる窓口」である必要がある。

このため、有能で経験豊かな職員をこの窓口に集中配置し、座席予約自動システムの端局装置を中心に発売体制を再編成することと

する。

 (注)現在国鉄では全国約五〇〇〇の駅で、どの駅でも全ての指定券を同じ条件で購入できる制度をとっている。だが現実には、主要一〇〇駅で全発売枚数
の八〇%が発売されている。

このようにして、国鉄では昭和40年の時刻改正で、マルス102を開発すると共に、指定券を国鉄の重要な商品として発売していくこととなりました。
続く
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東海道新幹線開業 開業1ヶ月後の状況

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新幹線時間帯別、乗車率 新幹線時間帯別、乗車率
本日は、東海道新幹線開業の様子ということで、部内誌、国鉄線という雑誌の記事の中から参照していこうと思います。
開業1ヶ月の通信簿は下記の通りでした。
ただし、東京オリンピックの開催もあったので、この数字が全てでは無いということで、割り引いて考える必要があるとしています。

1)新幹線の予約は低調だった?
新幹線開業前は予約が比較的低調で、開業後が心配されたそうですが、開業と共に人気が高まり、10月中旬には、「つばめ」「こだま」当時と劣らない乗車効率を示したと記述されています。
2)初月の収入は予想を下回った。
輸送人員は、予測通りであったが平均乗車キロは計画の9.7%減、それにつれて輸送人キロも11.4%の減少となり、収入面では36億1600万円の収入に対して、32億700万円と4億900万円の目標未達となった。
3)超特急(ひかり)は人気、特急(こだま)は不人気
 開業当初は、超特急(ひかり)、特急(こだま)として、運賃も超特急運賃と特急運賃に分けていましたが開業当初1ヶ月の結果は、下記の通りで会ったそうです。
超特急 計画に対して7.7%増、特急 計画に対して 8.3%減【いずれも計画輸送人員】
短距離区間の、東京⇔熱海間、東京⇔静岡は利用が多かったが、東京⇔大阪間は圧倒的に超特急の利用が多かったとされています。
4)誘発需要は低調
 新幹線に限らず、新たな交通手段が誕生することで、誘発需要が喚起されるのですが、開業1ヶ月の成果は、一日2500人ほどであり、30%誘発需要の予測に対して6%と低調だと記録されています。
5)超特急の月間平均乗車率は、下り88% 上り84%、それに比して特急は、上下とも63%と振るわない結果となっており、特に朝夕の特急は空席が目立つとのこと。

今後の方向性
特急と超特急の料金が200円、(現在で1000円程度)の差であり速い列車を望む傾向があることが顕著になったことから、超特急と特急の列車本数の変更、特急への旅客誘致【団体客を中心に)、特急の部分指定席化または、全面自由席化を検討する必要があると結んでいます。

在来線についても言及されております。
東海道新幹線は、東海道線の線増という位置づけでしたので、特急は新幹線に移行したものの、急行列車以下はそのまま在来線に残されました。と言うよりも、国鉄としても全て新幹線に移行させるのは不安があったからだと思われます。
開業に伴い昼行急行列車は3本廃止ししたことにより乗車率が93%→101%に増加したそうですが、その原因として新幹線特急料金と急行料金の差、特急料金【東京⇔大阪 1100円、急行 300円】との差が大きかったと推定されていますが、夜行急行列車については新幹線開通により、1割程度利用客が減少したと言う記述があります。
実際、昭和40年以降のダイヤ改正では、東海道線を走る夜行急行は、銀河と明星のみとなり、いずれも輸送力列車として寝台中心から座席車主体の編成に衣替えされることとなり、新幹線へのシフトが更に進むことになりました。
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東海道新幹線開業前、世論はどうだったのか?

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0系新幹線 0系新幹線
気がつけば2ヶ月も更新しないままになっていました、さて今回も引き続き新幹線開業前後のお話から始めさせていただこうと思います。

少し当時雑誌などから拾った記事と言うことで、新幹線開業前の世論はどのようなものだったのでしょうか。
これによりますと、新幹線開業前に、京都で新幹線を撮影しようとしたのか否かは判りませんが、桂川橋梁で7月17日に高校生が上り電車と接触して死亡したと言う記事が出ていますし、それ以外にも開業前に滋賀県内で、ガスボンベが線路上におかれてこれを跳ね飛ばした事件【年月は不明で今後調査の必要あり】や置き石事件などが報告されており、開業までの線路への立ち入りを禁止するための措置として防護柵を設けるとしています。

当時の朝日新聞朝刊の投書欄には、下記のような記事が書かれていました。
少し長いですが、引用させていただこうと思います。

二日「朝日」(朝刊)投書欄に「新幹線の事故防止に一案」と題して次のように掲載されている。「列車の前方に重量百キロほどの軽い無人探索者車を走らせ、これを列車と無線またはパルス(時間波動)無線で結び、列車から制御するのである。・・・今、考えているレーダー法などはたとえば、カラスがとまっていても危険物として探知されるという難点がある。・・・高速列車の事故は重大な結果を生じるので、その防止のためにはあらゆる可能性を検討してほしい」といっている。


まぁ、探索車はともかく、レーダー方式はそれなり面白いかもと言うか、現在のドクターイエローは前面運転台にテレビカメラが装備されていますが、現在の技術ならそれとAIを組み合わせてなんてことも可能かもしれないですね。あくまでも可能性ですが。

ただ、新幹線は従来の車両と比べて圧倒的に速度も速いことから小さな障害で大きな事故を招きかねませんので、それを避けるために新たに法律が制定されることになりました。
それが、昭和39年6月22日に公布された、「東海道新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法」

(線路上に物件を置く等の罪)

第三条 次の各号の一に該当する者は、一年以下の懲役又は五万円以下の罰金に処する。

 一 列車の運行の妨害となるような方法で、みだりに、物件を東海道新幹線鉄道の線路(軌道及びこれに附属する保線用通路その他の施設であつて、軌道の中心線の両側について幅三メートル以内の場所にあるものをいう。次号において同じ。)上に置き、又はこれに類する行為をした者


となっています、この新幹線に関する法律では、山形・秋田新幹線、並びに在来線扱として届けた、博多南線のみがこの法律の適用外となっています。

http://jnrera3.webcrow.jp/potal_shiryou/Law/Law_other/s39/s39_111.html
東海道新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法(昭和39年法律第111号)

他にも、アンチな意見や突拍子な意見もあったようで、いずれも国鉄線と言う雑誌の10月号で見かけた記事を少しアレンジして引用させていただこうと思います。

最初は、アンチ新幹線の意見
"夢の超特急は空前の愚挙"と題して、八月九日号(八月二十三日号)週刊読売に掲載された記事で、「超特急『ひかり』全線試乗記」に同調したもので、東京~大阪を往復する人間が何人いるのか、料金も高価になるので乗る人は金持ちに限られるだろうし、三時間もかかる超特急より一時間そこそこでゆける飛行機を利用するのは自に見えている。
と手厳しい、新幹線開業は国鉄の自慰行為であると決めつけているのですが・・・これに対しては国鉄も部内誌の中では反論しているようです。
まぁ、一部にはこうした反対論もあったようですが、こうした意見ってよく考えてみると、クルーズトレインに反対する人の意見と同根なんですね。
自分は乗れないから、誰も乗らないだろうって・・・。
まぁ、実際はどうなのかという点は、答えを見るまでも無いんですけどね。

そして、こちらは週刊サンケイ(現在のSPA)の記事からですが

『時速二百キロで走る夢の趨特急の車内で結婚式をあげたい』という許可願が国鉄に届いて、国鉄も苦慮しているというお話。

新郎は大阪市に住む某セールスマンで新婦は静岡市内の病院で働く女子事務員。挙式をこの秋に予定しているので、新幹線の新大阪~東京の全線試運転のときに『一車両ご提供願いたい』というちゃっかりというか図々しいというか、なかなかの強者のお話。
新婚旅行客にはできるだけのサービスにつとめたいとしていますが、走る列車内での結婚式は前代未聞であり、まして試運転中なので大切な門出に万一のことがあってはこの"スピード結婚式"の許可願に頭を悩ませている。」という、まぁ、実際にそうしたことが行われたと記録は無いので、当然却下だと思われますが、面白い記事でしたので、いささか古い記事ですが併せてアップしてみました(五月十八日週刊サンケイ)

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東海道新幹線開業前、東海道新幹線支局誕生

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東海道新幹線支局は、東海道新幹... 東海道新幹線支局は、東海道新幹線だけを管轄する組織として10番目の支社として誕生することになった。 新幹線支社は、支社制度廃止後も... 新幹線支社は、支社制度廃止後も東海道新幹線総局として力を持ち続けることになりました。
東海道新幹線は、東海道線の別線として計画され、また国鉄部内でもあくまでも東海道本線の線増部分であるという認識をなされていたようで、新幹線開業前の昭和39年4月までは新幹線局という一部局に過ぎなかったようですが、4月に入って、東海道新幹線支局が誕生しています、その理由について、昭和39年6月の交通技術を参照しますと、新幹線支社は、従来の支社と同様の権限を持つ組織として誕生させる事としたとされています。
少し長いですが、引用させていただきます。

東海道本線(新幹線〉を管理運営する支社東海道本線(新幹線〉を管理運営するための組織として、東海道線新幹線支社が、本年4月1日をもって設置された。新幹線は、10月1日の営業開始を目前に控え、エ事は予定通り着々と進捗しているが開業後の管理運営についても万全の体制を整え、自らの責任において遺憾のないよう諸問題の検討と解決を図るため、開業半年前に発足することになった。
新幹線は、周知の通り、国の大動脈である東海道本線の輸送力不足を解決する抜本的対策として誕生するものであるが、4000億円に及ぶ巨大な投資を要し、その運営の如何は国鉄経営に重大な影響を与えることになる。従って、その管理運営の基本的フアクターと『る組織については、国鉄本社内に設けられた東海道新幹線開業準備委員会(委員長副総裁〉において慎重に審議検討を行ない、国鉄理事会において決定されたものである。すなわち、「東海道本線(新幹線〕全線を一体的に管理運営することとし、そのために東海道新幹線支社を新たに設置する。また、その権限については続ね現在線支社と同等とする」こととなった。


ということで、東海道新幹線は、当初の東海道線の線増>という位置づけから離れて、独自の組織として運営させろ・・・と言う形に変わっていったと言えます。
本来であれば、東海道線の別線ですから、鉄道管理局の権限なり各支社の担当でも良かったはずです。(当時は、全国を9つの支社とその下に管理局がぶら下がる組織になっていました。)
注:広島・四国・新潟は支社が管理局を包括していました。
支社制度は、本社の権限を大幅に委譲したもので、本社はどちらかと言えば調整機能を持たせると言うもので、現在の持ち株会社に近いものでした。
なお、当初は、広島支社は九州の西部支社に。四国は関西支社に、新潟は関東支社から分離したものであり、発足当初は6支社体制であり、この仕組みが分割民営化のモデルになったと言われています。
そこに、新幹線だけを管轄する組織として新幹線支社が誕生することとなったのでした。
これにより、人事を含め各支社は新幹線に対して直接介入することが出来なくなり、1970年8月15日に支社制度が廃止された後も、新幹線支社は東海道新幹線総局(山陽新幹線開業後は新幹線総局)として存続し、その後山陽新幹線開業でさらなる巨大な組織となっていきました。
国鉄は本社があって、管理局なり総局はその下部組織というイメージをもたれる方も多いのですが、実際には大規模局などでは本社のコントロールがしばし効かないと言った問題もあったと聞いたことがあります。
実際に、東海道新幹線支社は支社制度がなくなったときに、新幹線総局に移行して組織は存続、その後山陽新幹線開業では博多までの管理を一元で行う等その組織は更に強大なものとなっていくのですが、その辺は新幹線開業とは関係ない話ですので割愛させていただきますが、新幹線総局は組織を温存したまま、JR東海に移行、新幹線運行本部として現在も山陽新幹線を含めて一括の管理運用を行っているのはご存じの通りです。
余談ですが、その後開業する東北・上越新幹線は、新幹線総局の管理では無く管理局単位の管轄となっており、JR東日本にもそのまま引き継がれています。

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新幹線開業前 試作車1000形のお話

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新幹線0系のシンボルとも言える... 新幹線0系のシンボルとも言える光前頭 各種座席が検討された 各種座席が検討された
新幹線1000系は2種類が試作されました。
これは、すれ違い試験の確認を行うためのものであり、最小編成として2+4両で計画されました。

本日は、この2両が製造され前に検討された仕様書について当時の資料を参照しながら説明を加えていこうと思います。
新幹線車両の概要
なお、車両の製作には下記のような条件が定められました。
当時の1961-08_交通技術を参照しますと概ね下記のようになっています。
抜粋しますと。

1)車体幅 約3,350mm
2)高さ  レール面上3、950mm
3)車体長さ 自連間長さ25m

 「車体長さについては特に規定はないが定員乗車時の車両重量を60tにおさえることになっているため、おのずから制限される」と記述されていました。
余談ですが、現在の東海道・山陽新幹線の場合は48tに抑えられていますが、この理由は270km/hにおける振動・騒音の係数が0系220lm/hとほぼ同じであったからだと言われています。
検討された列車の座席
客室設備については、昭和36(1961)年時点では検討中とされていますが。運転時間が3時間程ですので、ビジネスライクな車両として計画されたようです。
結果的には、1等車(現・グリーン車)は2人掛け、2等車(現・普通車)は2+3人掛けに最終的に決定されるのですが、この辺に関しては、下記のように書かれています。
少し長いですが、全文引用させていただきます。
 
優等車・普通車の別、食堂車またはビュッフェの必要性4人掛・5人掛などについては検討中で、まだ結論は川ていない。しかし車体幅が現在線にくらべて400mm程度広いので、たとえ5人掛にしてもゆっくりした寸法をとることができる。運転室のない車両では5人掛で1両定員100名程度となる。

と書かれており、ビジネス需要も多き新幹線であるから、5人掛けにしたいと言う思いはあるようです。

ただし、現在のグランクラスに相当するパーラーカーの設定は運転時間が3時間ほどということもあって見送られたようです。
余談ですが、国鉄でもパーラーカーの新幹線開業後の運用には苦慮していたようです、実際は4年ほどで製造費を回収する事が出来るほど、高収益を上げたため、その後は普通車でも全く問題は無かったと言われています。
ボンネットの中身は?
また、特徴ある新幹線のボンネットですが、飛行機の機体に範をとったような形になったわけですが、風洞試験などを繰り返して形状が決められたと言われています。
なお、ボンネット内にはATC受信装置・ATC制御装置・列車無線装置(受信・発信部)およびこれらの電源となる直流→交流変換装置などが取付けられることになっていると記述されています。
また、冷房装置は、こだまと同様ユニット方式で天井に取付けるが、新幹線では二重屋根としてその中に空気調和装置を入れ、屋根の形状を平らなものとするとなっており、屋根上のスリットは0系新幹線の特徴と言えましょう。
なお、0系では従来の151系などのユニットクーラー方式では無くヒートポンプ方式が採用されました。
客室の構造に関しては、客室窓は固定窓、出入口扉はプラグドアが計画されていたようですが、量産車では一般的な戸袋方式のドアになっています。
300系でも初期に製造された車両はプラグドアを採用しましたが、その後J16編成以降は通常のドアに戻りました。
さらに、試作車の計画では、「床から下にスカートを取付けることを原則にして床下機器配置を考えている。」と言う記述があり、床下側面の走行時の乱流を減少させるためと、床下取付の電気機器冷却用空気の取入れもスカート外側の埃の少ない所からにするための2点を考慮に入れている。」という記述がありました。
ボディマウント構造までは考えていないようで試作車も、量産車も長めのスカートは見送られました。
なお、本格的なボディマウント構造の車両は200系まで待つことになりました。
新幹線で始まったトイレのタンク化
「便所・洗面所に関しては2両に1ヵ所に集中して設ける事が最初から計画されており、その位置は2両1ユニットの中間付近となろう」と書かれています。
在来線が垂れ流しの状況であったとき、新幹線ではさすがに200km/hで垂れ流しというわけにも行かず、汚物・排水はすべて汚物タンクに収容する事とされました。
ただ、当初は単純にタンクに溜めるだけの方式であり1往復すると満タンにと言うこともあり、その後循環式が開発されて現在に至っています。
いくつかの案が出された新幹線座席
そして、新幹線の特徴としては、座席もいくつか試作されたようで、在来線の普通車の4人向かい合わせをそのまま新幹線に取り込んだタイプや、回転式座席(背ずりの上下が回転する方式なども考案されましたが、最終的には2等車は転換クロスシート、1等車は2人掛けのリクライニングシートとされたのは、よくご存じのことだと思います。
余談ですが、昭和50年頃、シルバーシートを設定するときに首都圏の電車では、シートをグレーのモケットに張り替えましたが、これは大量に余剰があった新幹線のモケットを流用したものだと言われています。
閑話休題
0系新幹線と光前頭
他にも、初期の新幹線を象徴するものとして、前頭部が光る、光前頭がありました。
これは、カバーの中に蛍光灯を入れて照らすようにしたもので。
最後尾の場合尾灯の光が回り込んでボンネット全体が薄赤く光っており幻想的でした。
ただ、FRPであったため走行中の衝突などでの破損も多かったようで、途中から光前頭方式は中止され、カバーもより強固なものと置き換えられてしまいました。
現在は大宮の交通博物館に保存されている0系は光前頭を装着していますが、元々大阪保管していたらしいので、京都で保存されている0系にこそ光前頭を復元して欲しいと思っています。苦笑

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新幹線開業前 モデル線の建設

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モデル線区を走る新幹線試作車 ... モデル線区を走る新幹線試作車 交通技術から引用 新幹線の構体試験並びに台車試験... 新幹線の構体試験並びに台車試験 交通技術から引用 A編成 交友社 電車のアルバム... A編成 交友社 電車のアルバムⅠから引用 B編成 交友社 電車のアルバム... B編成 交友社 電車のアルバムⅠから引用
モデル線の建設
東海道新幹線の建設に際しては、初めてのケースであり十分な安全性や問題点を洗い出すために、一部区間を早期に完成させる必要がありました。
モデル線区とされた区間は、神奈川県綾瀬市~小田原市鴨宮の間であり、昭和35年4月に路盤工事に着手し、鋭意工事が進められたそうで、一部家屋の移転が遅れたという記述もありますが、昭和37年37年3月までに路盤工事が完成、3月15日からは新幹線の軌道及び電気工事の起工式が鴨宮軌道基地で挙行されました。
また、4月20日には、新幹線用の試作電車第1号の試験調査及び乗務員の養成を行なう目的で、鴨宮にモデル線管理区が設置されて、5.23 には、モデル線での試験計画が決定しています。

後述の新幹線試験用車両は、4月25日にA編成(汽車会社製)が搬入され、B編成は、5月18日に搬入されています。
なお、昭和37(1962)年6月26日には、待望の試運転開始式が開催され
交通技術誌によりますと、「10時から来宮神社の宮司により、新幹線工事の完成と試験無事を祈る諸神事が行われ、その後、十河信二総裁の訓示があり、第1号試験運転電車は国鉄総裁・島技師長・大石新幹線総局長など国鉄関係者多数を乗せた4両編成(B編成)に乗車、午前10時45分、モデル線管理区長の発車合図で基地を発車、基地より約10kmの地点で試験を終って、再び基地に引返し、約40分にわたった初試運転を無事終った。 」
と書かれています。

これにより、東海道新幹線はこのモデル線区を中心に乗務員訓練などが進められることになったのです。
なお、この区間をモデル線区とした理由は、橋梁・トンネル、盛り土区間など新幹線のおよそ考えられる条件が揃っていたためであり、東京からも比較的近い事も決め手になったのでは無いかと思われます。

新幹線の試作車両

東海道新幹線は、昭和39(1964)年に開業するわけですが、その試作車A編成・B編成が試作されたのは昭和37年でした。
本日は、新幹線試作車に関するお話を少しだけさせていただこうと思います。

2種類試作された新幹線車両
新幹線電車は、特段新しい技術を開発した部分よりも既存の技術を積み上げて作られた部分が大きいものでした。
在来線(狭軌)でクモヤ93000号 電気試験車)が日本最高速度である175km/hを出したこともあり、広軌で200km/hは問題ない事は確認されていましたし。
電車の制御方式も在来線の交流機関車で確立した制御方式(低圧タップ切換方式)を採用するなど既存技術の延長によるものでした。
試作車の仕様を当時の交通技術昭和36年8月号の記事から引用させていただきますと。
「試作車両は前述の通り量産旅客電車に移行するために未解決の問題を調査試験によって究明するためのもので単なる試験研究のためのものではない。」
と記されており、あくまでも量産を前提とした車体構造などが求められるとしていました。
実際には試行錯誤が重ねられていたようで、X形の補強を入れたタイプが作られたり、車内に関しても、転換式クロスシートや、シート全体が回転する方式であったりあらゆるタイプが試作されたようです。
ただ、運転時間が3時間(開業当初は4時間)運転であったことから食堂車の連結は見送られ、その代わりにビュフェが連結されるなど、運転開始当初の「こだま」と同じようなイメージでしょうか。
車両は、昭和35(1960)年12月末には中間車が浜松工場で完成し、翌年1月14日から21日まで構体試験が行われたと記録されています。

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新幹線建設と国鉄 新幹線駅の建設こぼれ話

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新大阪駅を中心とした鉄道網 新大阪駅を中心とした鉄道網 新大阪駅の拡大図 新大阪駅の拡大図 八重洲駅改良工事見取り図 八重洲駅改良工事見取り図
長らく、更新が滞ってしまいました。
申し訳ございませんでした。

本日も、新幹線建設に関するお話を少しだけさせていただこうと思います。
古い資料などを参照していますと、面白い記事を発見することが出来ます。

複数の停車駅候補があった東京

新幹線の始終着駅について、もちろん検討されているのですが、当時の資料を参照しますと、東京側の終点は、停車駅の候補に挙がったのは、新宿・原宿・市ヶ谷・品川・汐留・東京など約10カ所が候補地として挙がったそうです。
最終的に旅客の乗り換えの便を考えて東京駅になったとのことですが、八重洲口駅に関しても書かれていて、次のように書かれています。
鉄道技術昭和35年8月号を参照しますと、
「新幹線旅客はその60%が国電との乗換客であることから、国電連絡の便利さにおいて数段優る現東京駅に決定された。
さし当り八重洲口本屋と7番ホームの間に2本の幹線ホームを新設して開業し
、将来は7番ホームを幹線ホームにふりむける予定である。」
と書かれています。
八重洲側、現在の18番~19番までの1面2線を新幹線用として新設、将来的には7番ホームを新幹線用に転用すると書かれています。

既存の大阪駅に乗り入れはベストだが・・・。

さて、もう一つの終着駅大阪はどうだったのでしょうか。
東京が複数の候補があったのに対して、大阪に関しては、既存の大阪駅に乗り入れる案、東淀川駅付近に駅を設ける案の二つで検討されることとなったそうです。
当時の交通技術昭和37(1962)年4月号の資料から引用しますと、下記のように書かれています。
「利便性を考えれば大阪駅に乗り入れるべきでしょうが、大阪駅を中心とする梅田地区の交通混雑にさらに拍車をかけることになり、一方、家屋の密集する市街地を通過するため、工事が渋滞し工事費も増大するとし、欠点の方が大きいとみられて採用されず、大阪府・市など地元の賛成意見も多かった東淀川附近案となったのである。」
と記述されています。

新大阪駅建設で決まった、新御堂筋並びに地下鉄の新大阪延長

これにより、東淀川付近での場所を選定した結果、東海道本線・北方貨物線・宮原操車場東回送線に囲まれた三角地帯が利便性が良いという決定がなされたそうです。
新大阪駅が、宮原操車場付近に決定した事を受けて、大阪市は新御堂筋線を延伸することとし、さらに御堂筋線(当時の名称は)高速一号線)を延伸することが決定事項となりました。

阪急も新大阪駅への乗り入れを予定していたが・・・

また、阪急も新大阪に乗り入れるべく免許を保有しており、現在の27番ホームが建設されている付近は、阪急が土地を確保していました。
図を見てみますと、神戸線並びに京都線が途中で分岐して、新大阪に乗り入れ、新大阪から更に淡路に抜ける計画となっていたようです。
歴史にIFはありませんが、阪急が新大阪行きの路線を堅持していたら新大阪駅から京都へ、または神戸への流れも変わっていたかもしれません。

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新幹線建設と国鉄 新たなる技術開発

スレッド
交通技術 昭和34年8月号掲載... 交通技術 昭和34年8月号掲載から引用
新幹線の技術開発

昭和35年交通技術に資料を参照しますと、新幹線開発に際して色々な技術開発が行われたようです。
その中で、個人的には知らなかった試験等がありましたので、少し書きだしてみたいと思います。

1)猫耳実験が新幹線開発で行われていた。
猫耳新幹線と言えば、E954形電車(愛称・ASTECH 360 S)が有名ですが、東海道新幹線開発に際して、模型実験ですが、風洞実験を行ったそうです。
概要としては、車両限界内で車体断面積の25%にあたる 抵抗板を取り付け、空気抵抗の増加や車体に付加される縦揺れモーメント、車体の、周りの流れの状態を調べたと書かれています。
ここでの実験結果は今後資料を探してみたいと思いますが、おそらく構造が複雑な割には効果が低いと判断されたのか試験車に装備されることはありませんでした。
ただ、実験段階で猫耳試験が行われていたのは事実のようです。

2)湘南電車25両編成による列車風に関する試験が昭和33年11月12~13日にかけて東海道本線、辻堂~茅ヶ崎間で試験が行われたという記述があります。
これは、列車風は、速度はむろんであるが、車体の形状と列車長が大きく影響するためであり、列車長に関しては、在来の実験資料が充分でないことから計画されたようです。
なお、新幹線開発にはSE車のデータも大いに参考になったようです。

80系電車の先頭車にロビンソン風速計(現在は、風杯型風速計と呼ばれている)をつけた写真を中学生の頃に図鑑で見た記憶があるのですが、このときの試験車の記録だったようです。
資料を探してみましたが、現時点ではこの程度の資料しか見つけられませんでしたが、今後新たな資料等が発見された場合は追記させていただきます。

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新幹線建設と国鉄 新幹線で貨物輸送

スレッド
新幹線貨物輸送構想の貨物新幹線... 新幹線貨物輸送構想の貨物新幹線電車 新幹線貨物電車、10両編成4M... 新幹線貨物電車、10両編成4M6Tを1ユニットとして3ユニットで構成 カートレイン構想のイメージ図 ... カートレイン構想のイメージ図 軽自動車は枕木方向に普通車はレールと並行に搭載する予定であったことが判ります。
はじめに
連日、踏切事故などの硬い話題ばかり続いていましたので。今回から新幹線開業までのお話をさせていただこうと思います。
今回は、新幹線の貨物輸送ということでお話をさせていただこうと思います。
現在の新幹線は、0:00から6:00までは原則的に新幹線は走行せず、その時間帯は線路の保守に充てられることになっていますが、計画段階では貨物列車の一部も新幹線で夜間に運んでしまおうと言う計画がありました。
最近の資料では、夜間の貨物輸送は世界銀行から借款を得るための口実だったとか、実際には貨物輸送を実施する木が中田tのではないかという記述もありますが、当時の交通技術と言う雑誌を読む限りでは、本気で新幹線による貨物輸送を検討していたように見受けられます。
今回参照したのは、交通技術昭和35年9月号に掲載された、東海道新幹線の貨物方式を参照しています。
新幹線で検討された貨物輸送
当初の発想は。新幹線区間が夜に何も走らないので有効活用の観点から考えられたそうで、当初は新幹線での貨物輸送は構想としてはなかったようです。
そこで、夜間の開いている時間帯を利用して、東京・名古屋・大阪間の速達貨物列車を運転してはどうかという結論に達したようです。
考えられる列車としては、小荷物・小口混載・コンテナ及び車扱いの急行便などが候補に挙がりますが、コンテナ特急「たから」号のような列車こそ、新幹線に移して速達化した方が得策であると考えられたためだと記述されています。
さらに、貨物輸送を行うに当たり、新幹線での旅客輸送が主であることから、貨物列車も従来のような、機関車に牽引させる方式ではなく、電車とすることで軌道構造物の規格を上げる必要がなく結果的に建設費を抑えることが出来ることから下記のような貨物電車が計画されたそうです。
貨物電車構想
計画された貨物電車は、下記のようなものでした。
1)東京~大阪間を最高速度130 km/h 途中ノンストップで約5時間半輸送
2)車両は、10両編成(4M6T))を1ユニットとし3ユニットをつないだ30両編成
3)貨車の長さは1両15m程度とし、5tコンテナを5個積載、30両編成で750tとします。

当時の特急貨物たから号が、最高速度85 km/hで汐留~梅田間を約11時間でしたので、それと比較すれば十分速いと言えるのですが、現在は在来線で、M250系電車が東京貨物ターミナル~大阪・安治川口間を6時間11分で結んでいますので、当時の新幹線貨物構想とほぼ同じ所要時間で結んでいるほか、在来貨物輸送でも概ね6時間半程度で結んでおり、隔世の感があります。
カートレインの可能性も検討されました
新幹線貨物輸送で期待されたものの一つとして、カートレイン輸送が出来るのではないかと書いています。
カートレイン方式をどのような形で考えていたのか判りませんが、当時のイラストなどを参照しますと、コンテナの中に自動車を入れて運ぶ方式のようです。
なお、昭和35年9月号の、交通技術で下記のような記述がなされています。
引用しますと、
欧米で流行し始めている乗用自動車の鉄道輸送があるが、わが国でも自家用自動車の普及発達によっては必要となって来るかも知れないので検討中である。
車両高さの限界は4,500 mmとしているので、床面高さを電動車の条件からレール面上1,300mmとしても小型乗用車は十分2段積が可能であるし、外国製の自動車は背が低いので楽に2段積できる。

引用終わり

として、カートレイン輸送の検討がなされていたことが伺えます。
まぁ、資料に出てくる乗用車が時代を感じさせてくれます。
もし貨物輸送が実現していたら?
最終的に貨物輸送は行わず、旅客輸送のみで営業を開始することになりましたが、仮に新幹線による貨物輸送が実現していれば、山陽新幹線区間などでは積極的な貨物輸送などが行われていたかもしれません。
更に言えば、青函トンネル区間での積み替えの手間は発生しますが、新幹線形貨物電車を開発して260 km/h運転を行えば、旅客側の北海道新幹線も減速せずにそのまま通過することが出来るのではないでしょうか。
要は積み替えに伴うコスト増と、時間制限と速度制限を今のように受けずに走行できることで得られる経済効果との比較で考えられるべきではないでしょうか。
積み替えのコストを考えても、260 km/hで運行できればメリットは大きいと思いますし、あえて言えば、青森ターミナルではなく盛岡など速度メリットが得られる区間から新幹線に載せ替えて走らせることで、積み替えによる所要時間を速度で相殺できれば、新幹線で輸送するメリットはあるのではないでしょうか。
最後は、妄想的なお話となってしまいましたので、改めて別の機会にお話をさせていただこうと思います。

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