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Tai: Diary

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CJ Mackintosh

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D'Angelo - Lady (CJ Mackintosh Radio Edit) (1996)Janet Jackson - The Best Things In Life Are Free (CJ Mackintosh Original Remix) (1995)Black Men United - U Will Know (CJ Mackintosh R&B Lyric) (2004)

ジャンル:Electrofunk / House / Garage / Hiphop / R&B
http://cjmackintosh.blogspot.com/
http://www.discogs.com/artist/CJ+Mackintosh

ソース:http://www.starpulse.com/Music/C.J._Mackintosh-P100696/Biography/
C.J.Mackintosh はイギリスのクラブシーンで、長きに渡り、最も影響力のあるDJ のひとり。ロンドンの超有名クラブ、Ministry of Sound 所属。1962年パリ生まれ、ロンドン育ち。15の時に兄からDJを勧められ、17の時に2人で新しい機材を購入、サウス・ロンドンのパーティーに顔を出すようになる。

彼のグループ、M/A/R/R/S からのシングル、Pump Up the Volume はクラブでセンセーションを巻き起こし、1987年のイギリスのトップ10入り、アメリカではトップ20入りを果たした。以降M/A/R/R/S としての活動は無く、C&C Music Factory, Barbara Tucker, Coldcut, Inner City, Public Image Limited などのプロダクション活動を開始。当時のミドル・テンポのR&B に影響を与え、Whitney Houston, Janet Jackson, Sounds of Blackness, Sly & Robbie, De La Soul, Guru's Jazzmatazz, D-Mob といったアーティスト達のリミックスを担当した。

ソース:http://diskunion.net/clubh/ct/detail/051104HH008
マッキントッシュの手掛けるトラックはどれも感動「美メロ」「グル−ヴィ−/ダンサブル」で、日本人好みの主調のサウンドメイキングが特徴的。 YASMIN/WANNA DANCE、ジャネットジャクソンの諸作品を例に、あのジャム&ルイスと双璧を組む90年代を代表するア−ティスト。

D'ANGELO - Lady(C'J REMIX)は、気持ちいいディープなグルーヴ感に、ディアンジェロの素晴らしい才能を持ったシルキーヴォイスの絡みが、唸るほどのほどの完成度。B.M.U"U Will Know(C'J REMIX)"は、リードボーカルにブライアン・マクナイト、ディアンジェロ、エル・デバージ、JOE、アーロンホール、R.ケリー、キース・スウェット、テビン・キャンベル etc。バックコーラスにはアフター7、ボーイズ?メン、トニトニトニ、さらにアコギにはレニー・クレヴィッツ
#music

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J Dilla (2)

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Crustation - Purple (A Tribe Called Quest Edit) (1996)Jay Dee - Trashy (2004)The Brand New Heavies - Sometimes (Remix) (2000)

ジャンル:Hiphop, Neo Soul
http://en.wikipedia.org/wiki/J_Dilla
http://ja.wikipedia.org/wiki/J・ディラ
http://www.discogs.com/artist/Jay+Dee

ソース:http://bmr.jp/bands/detail/00000194.html
ヒップホップ・ミュージックに大きな影響を与えたデトロイト出身のビートメイカー。

1974年生まれ、本名はJames Yancee。1994年に知り合ったQティップ(Q-Tip)にデモテープを渡したところから、ファーサイド(The Pharcyde)のセカンドアルバム"Labcabincalifornia"('95)収録の大ヒットシングル"Runnin'"を手がける事になり、その名を一気に知らしめ、一大センセーションを巻き起こした。その後はデ・ラ・ソウル(De La Soul)の"Stakes is High"('96)のプロデュースや、バスタ・ライムス(Busta Rhymes)の"Whoo-Hah!!"('96)のRemix等を手がけ、彼の名前とサウンドは急速にシーンに浸透していく。

サンプルチョイスのセンスは勿論抜群なのだが、リズムのプログラミング / アレンジにおいてもそれまでのヒップホップサウンドとは一線を画し、「粒」や「間」などにより重点を置いた全く新しいサウンドを作り出し、一聴すればジェイ・ディーとわかるようなその特徴のあるスネアやキック、へんてこなサイン波ベースのプログラミングが一世を風靡した。特にウマー(The Ummah)結成以降にさらに使用頻度が上がっていく、あのリリースが短く中域?中高域のピークをうまく引き出したスネア(リム?)サウンドは、まさに彼のサウンドタグと言えよう。

2003年ごろロスアンジェルスに居を移すが、この時期に「狼瘡(ろうそう)」という免疫疾患と診断され、制作活動を続けつつも闘病生活を送ることになる。

2006年、久々にソロ名義での作品となるインストゥルメンタル集"Donuts"をリリースするが、そのわずか4日後に狼瘡に伴う合併症で逝去。ヒップホップシーンに衝撃を与えた。以降、「Dilla Changed My Life」といったコピーが流布され、その早すぎる死を惜しむ声は根強い。

2007年にはコモンがJ・ディラ追悼の意を込めたアルバム"Finding Forever"を発表、バスタ・ライムスもDJミック・ブギー(DJ Mick Boogie)との共作でストリートアルバム"Dilligence"をリリース。亡くなった現在もヒップホップ・シーンにその息吹を感じさせる、稀有なアーティストだ。
#music

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お世話になった方

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アメリカで、ホームステイでお世話になった日本人のお婆さんの、お友達がお亡くなりになったそうです。80代前半だと思います。アパートを所有し、その管理人をされていました。

年賀状をお送りしたところ、上記のお返事を頂いたのですが、昔の方の字は、私の亡くなった祖父の手紙と同様、中々読むのが難しく、後回しにしていたのですが、こんな深夜の今頃になって驚いてしまいました。

ご本人は今年85歳ですが、国柄もあり、日本のお年寄りよりも元気な印象で、車を運転していますし、今でも水泳など運動を欠かさないようです。大戦後の東京の焼け野原、何も無かった日本を離れ、アメリカへ移住した1人でした。「Tai さん、人生をエンジョイしてください」と良く書かれます。重みのある言葉で、複雑な気分になります。まだまだ元気でいてもらいたいです。
#daily

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DJ Jazzy Jeff (2)

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Dj Jazzy Jeff @ Cabaret Sauvage (Paris) feat Mad Skillz (2008?)Pharcyde - Passing me By (Jazzy Jeff Mix) (2002?)Smif-n-Wessun - Bucktown (Jazzy Jeff Mix) (2004)

ジャンル:Hiphop
http://jp.bloguru.com/tai/b94233534/dj-jazzy-jeff
http://www.djjazzyjeff.com/
http://www.discogs.com/artist/DJ+Jazzy+Jeff

ソース:http://bmr.jp/bands/detail/00000493.html
いまや俳優としてのキャリアのほうが目立つウィル・スミス(Will Smith aka Fresh Prince)とともにDJジャジー・ジェフ&フレッシュ・プリンス(DJ Jazzy Jeff and the Fresh Prince)名義で数多くのクラシックを生み出し、ソロとしても素晴らしい作品をリリースし続けるのみならず、アーティスト集団A Touch Of Jazzを組織して後進の育成にも熱心な、これぞ正にHIPHOP for Lifeを地で行く男、それがジャジー・ジェフだ。

バトルDJとしても評価が高かった彼だが、アーティストとしてもいまだに夏のクラブクラシック"Summer Time"やポップシーンでもヒットした"Boom, Shake the Room"などのヒットが特に有名。90年代末以降はATOJを立ち上げ、より成熟した方向性を打ち出した。2002年、BBEレーベルの人気シリーズ"Beat Generation"での大傑作、"the Magnificent"のリリースでその健在ぶりをアピール。"For Da Love of Da Game"、"Charmed Life"などの名曲を含むこの作品は、音楽性の高い「大人のHIPHOP」が成り立つということを証明して見せたクラシックとなった。

一方でMIX CDでも素晴らしい作品のリリースを続けており、"HIPHOP FOREVER2"、"In The House"、"the Soul Miixtape"などでその確かなDJスキルとベテランならではの深い知識にもとづく選曲眼を披露している。

2007年には待望のソロセカンド"the Return of the Magnificent"をリリース。新旧入り混じったラッパーやシンガー、さらに見事なミュージシャンシップに支えられた豊かなサウンドを展開している。
#music

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Pete Rock

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Pete Rock & C.L.Smooth - In the House (Instrumental) (1994)Pete Rock - A Little Soul (2001)Pete Rock - What You Waiting For (2001)

ジャンル:Hiphop
http://www.discogs.com/artist/Pete+Rock

ソース:http://ja.wikipedia.org/wiki/ピート・ロック
ピート・ロック(本名 ピーター・フィリップス 英語:Peter Phillips, 1970年6月21日-)は、アメリカ、ブロンクス出身のヒップホップ DJ、プロデューサー、ラッパーである。1990年代初頭に、ピート・ロック&CLスムースの1人として、頭角をあらわしてきた。コンビ解消後も、彼は活躍を続け、大衆向けの活動とは言えないにせよ、世界的な名声を博している。彼は、ヒップホップがジャズの要素を取り入れていく際、ステッツァソニック、ア・トライブ・コールド・クエスト、ギャング・スターなどと共に、大きな役割を果たした。ヒップホップの歴史の中で、最も偉大なるプロデュ-サーに数えられる共に、DJプレミアやRZAと共に、1990年代の東海岸ヒップホップを支えてきた人物として言及されることも多い。彼はヘビーDのいとこでもある。

ピート・ロックは10代の頃からマーリー・マールのラジオ番組(WBLSが放送していた"In Control With Marley Marl")に出演するなど、早い段階から音楽の才能を開花させていた。そんな彼は1991年、21歳のとき、二歳年上の友人Corey Penn (後のC.L. Smooth) と共に、レコード会社の Elektra と契約を結ぶ。その後、二人はデュオの名前を Pete Rock & C.L. Smooth と改め、デビューアルバムから成功を収め続け、ヒップホップの歴史に伝説を残した。ピート・ロックは、特にそのジャズ色の濃いトラックが日本でも人気が高く、ヒップホップ最高のプロデューサーとしてピート・ロックの名を挙げる人も多い。
#music

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Rakim

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Rakim - Livin For The City (Pete Rock Production) (1995)Rakim - Last Resort (Buckwild Production) (1995)Rakim - The Saga Begins (Pete Rock Remix) (1997)

ジャンル:Hiphop
http://www.discogs.com/artist/Rakim

ソース:https://secure.wikimedia.org/wikipedia/ja/wiki/ラキム
ラキム(フルネームは ラキム・アラー Rakim Allah 1968年 1月28日 -)は、ニューヨーク州 ロングアイランド出身のラッパー。本名、ウイリアム・マイケル・グリフィンJr.。ヒップホップの歴史上、最も影響力のあったラッパーの1人として挙げられることも多い。

1985年、エリックBと共に活動を開始した。エリックB&ラキムという名で活動し、ヒップホップ史の中で「ゴールデンエイジ・ヒップホップ」と呼ばれる時代において、最も名の知れた存在、さらに後に影響を与える存在となった。ラキムの登場以前、ヒップホップの詞は、DJが流す音楽に自ら即興で言葉を被せることから始まったという起源から抜け出せずにいた。つまり、規則的な拍子と押韻(Run-D.M.C.やカーティス・ブロウなど)、単純な詞の内容を、最初から最後まで力強くラップしていた。その中で、ラキムは、サックスでジャズの曲を演奏しながら、自身の詞の流れの原型を形作ろうと試行錯誤していたと語っている。

2000年代になってオールミュージックガイドに掲載されたスティーブ・ヒューイの記事によれば、ラキムの詞の流れは滑らかで流暢であり、ジャズの旋律と共に調子を変えていく、さらに落ち着き払った様子で、まるで汗もかかずにパフォーマンスをしているかのようである。彼の登場で、ラッパーたちのハードルは確実に上がった。ラキムの隠喩の活用や洗練された言い回もまた、その後のヒップホップの流れに大きな影響を及ぼしている。2005年のジェス・ハーベルの言葉を借りれば、「ラキムが起こした革新は、それまでのラップの常に彩ってきた「自分はこれだけ他の連中よりも優れているんだ」という態度から、賢くも距離を置いたということである。彼こそが、ラップについて批判を加えることの提唱者」なのである。
#music

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Lord Finesse (2)

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Lord Finesse- Hip 2 Da Game (Instrumental) (1995)Lord Finesse - Taking It Lyte (Instrumental) (1995)Lord Finesse - S.K.I.T.S. (Original Instrumental) (1994)

ジャンル:Hiphop
http://jp.bloguru.com/tai/b227702249/music-lord-finesse-in

ソース:http://bmr.jp/bands/detail/00000267.html
Diggin' In The Cratesクルーの主要メンバーの一人で、Funkymanの異名をとるMC/プロデューサー。淡々としながらもストレートでスキルフルなラップと、ファンキーかつひたすら黒いノリで、アナログな荒い質感ながらもスムースという特有のサウンドでコアなファンから熱狂的な支持を受け続けている。あくまで HIPHOPの「ドープ」な感覚にこだわるそのサウンドはキャッチーさとは無縁ながらも強烈な中毒性と圧倒的なクールさを放っている。

"Return of The Funkyman"、"The Awakening"などの作品はそれぞれにいわゆるミドルスクール期、ニュースクール期を代表するクラシックに挙げられるタイトルであるのみならず、 D.I.T.C.クルーとしても数々の名曲を残す、NYの重鎮の一人だ。
#music

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Showbiz & A.G. (2)

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Showbiz & A.G. - Ain't No Fun (1995)Showbiz & A.G. - Under Pressure (1995)O.C. - Showtime (Showbiz Production) (1998)

ジャンル:Hiphop
http://jp.bloguru.com/tai/b251866413/music-showbiz-ag
http://www.discogs.com/artist/Showbiz+%26+A.G.

ソース:http://en.wikipedia.org/wiki/Showbiz_and_A.G.
Showbiz & A.G. はアメリカ、NY Bronx のHiphop デュオ。Showbiz がプロデューサー、A.G. (André the Giant の略) がラッパー。1990年、Lord Finesse のFunky Technician でデビュー。Lord Finesse, Diamond D, Fat Joe, O.C., Buckwild, 故Big L が所属するDiggin' in the Crates (D.I.T.C.) のクルー。

1994年、Showbiz はShow に改名、チーム名もShow & A.G. に変更。1995年の2作目、Goodfellas は同名儀で発表、デビュー作よりも更にダークな曲の目立つ仕上がりとなる。最も成功した曲はDJ Premier によるリミックス版、Next Level。映画、8 Mile にも使用される。

1998年の3作目、Full Scale の発表後、同デュオでの活動は中断、D.I.T.C. としての仕事およびソロ活動を開始。1999年、A.G. はThe Dirty Version でソロデビュー。

2000年、D.I.T.C. 名義では初のアルバムを発表。Showbiz が大部分の曲を手がけ、A.G. も多数の曲でラップを担当。1999年にD.I.T.C. の顔だったラッパー、Big L が殺害され、追悼の意味も込められたアルバムだった。

2005年11月、Showbiz はStreet Talk (D.I.T.C.) でソロデビュー。2006年10月、A.G. はソロ2作目、Get Dirty Radio を発表。

2007年、Show & A.G. 名義のEP、Live Hard を発表。この10年で最初の同名儀による活動となった。2009年、O.C. とA.G. のコラボレーション、Oasis を発表。そのファーストシングル、2 For The Money はShowbiz によるプロデュース。
#music

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Glenn Underground (2)

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Glenn Underground - Just House (1996)Glenn Underground & Cei-Bei - House Music Will Never Die (1996)Glenn Underground - Mental Black Resurrection (2004)

ジャンル:Deep House / Garage / Acid House
http://jp.bloguru.com/tai/b202084622/music-glenn-underground
http://www.discogs.com/artist/Glenn+Underground

ソース:http://music.goo.ne.jp/artist/ARTLISD16382/
シカゴ・ハウス第二世代の旗手として名高いグレン・アンダーグラウンド。彼は、70'sディスコ/フィリー・ソウルのクラシック・ネタを用いたアフロ・テイストのディコンストラクトものから、テクノ寄りの変態ミニマル・トラックまでを展開。--その変幻自在なプロデュース・ワークによって、常にハウス・シーンの先頭に立ってきた。Steve Poindexter、Craig Gilliamとの共作「Entercource Of The New Age」(91年)でデビューを果たし、ドナ・サマーの「I Feel Love」をリミックスした「I Feel Dub」(95年)をはじめとする、数多くのプロダクションがハウス界のDJチャートを席巻。『Lounge Excursion』(00年)では、ギター/トランペット/サックスなどの生楽器をフィーチャーし、70年代にフラッシュ・バックするかのようなスペース・ファンクを披露した。幼少期から鍛え上げられた繊細なキーボード・ワークが奏でる豊潤なメロディ・ラインと、ファンキーなシーケンスから解き放たれるスピリチュアルかつソウルフルな響き--それは、ブラック・ミュージックの伝統を脈々と受け継いでいる。シカゴ・ハウス・シーンの停滞が叫ばれる昨今、彼の類稀なる才能は非常に頼もしい。
#music

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America Is Dying Slowly

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Biz Markie, Chubb Rock & Prince Paul - No Rubber No Backstage PassOrganized Konfusion - DecisionsO.C. & Buckwild - What I Represent

ジャンル:Hiphop
http://en.wikipedia.org/wiki/America_Is_Dying_Slowly

10年以上前に、中国で50円位で買ったCD。原発のニュースばかりが頭をよぎって、今は日本がタイトルのようになっている気がして、このCD の事が頭から離れないので書いてみます。

映画のサウンドトラックだと思っていましたが、改めて調べてみると、そうではありませんでした。タイトルの頭文字を取ると、A.I.D.S.。Red Hot Organization という、エイズ基金団体の主催するコンピレーションCD のひとつで、1996年の本作が、Hiphop での初めてのアルバム。参加者は主に、当時の東海岸のアンダーグラウンドで名を馳せていた人達で、ファンからすれば手を出してしまう内容です。
#music

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