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詩は元気です ☆ 齋藤純二

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旅立ち

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「行ってきます」

僕は部屋で父の弾くギターの音色に紛れて言った。愛はきらめきの中に、っていう曲だったろうか、なんとなくせつない親心のようなものを感じながら玄関の向こう側へ。言葉少ない父はいつも悲しげな背中を見せていた。それは母が亡くなったからだろう。そして、僕が出て行ってしまった空間でこれから何の曲が流れるのだろう。聴きたくなった時には父に電話をするに違いない。「最近はどんな曲を弾いているんだい」と。

小さな世界から飛び出したかった。父に遠慮している自分も好きでなかった。

だから僕は旅に出ることにしたんだ。そのことを父に告げる。父は「ああ」と言った。らしい言葉に「そう」と返事を。いつもながら呆気ない会話。十八年も一緒に暮らしてきたのにどこまでも限りなく他人に近い親子だ。それでも僕は父に感謝をしている。叱らない、束縛しない、傷つけない。楽しい家族ではなかったが、愛は感じとっていた。ものごころのついた頃から食事をきちんと作ってくれた。凝った料理ではないが、そこには息子を思う気持ちがあった。今までありがとう。

列車の窓から田園の風景が流れる。ふと、あらためて僕は何のために旅に出たのだろうと考えた。二人という最小限の家族から離れ、ひとりになることの意味があるのだろうか。これから知らぬ土地で世界を感じてみようと思っても、たぶん自分の世界を歩いてしまうことになってしまうのではないか。でも、僕がどんな人間なのかもきっとまだまだ解ってはいないんだ。やはり、旅が必要で父からまずは離れないと何も始まらない。

最初の街にやって来た。空はいつもより広く、僕がどんどん小さく思えてくる。そこは初めて踏み込んだ知らない世界。ここから歩いて行こう。

「すみません、住み込みでアルバイトのできるところを知りませんか」

#詩

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月・赤とんぼ/三木露風

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雪ふりぬ絶え間もなく、
雪ふりぬいともわびしら。

夜の「時」はかくて近づき
そこはかと木により枝より
悲しげに粉雪に落つる。

凍えたる小鳥の翼を見よ
あふぎ見よ、大木の灰色の欺きを。

いつしか淋しげに月に輝やき
地平より色褪めてうかがひのぼる。
ちからなきためいき……
一物もなき冬の夜に
あはれにも、うかがひ寄る月のこころ。





赤とんぼ


夕焼け、小焼の、
赤とんぼ、
負われて見たのは、
いつの日か。

山の畑の、
桑の實を、
小籠に摘んだは、
まぼろしか。

十五で姐やは、
嫁に行き、
お里のたよりも、
絶えはてた。

夕焼け、小焼の、
赤とんぼ、
とまっているよ、
竿の先。


✳︎實(実・み)


#詩

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白壁(しらかべ)・望郷/島崎藤村

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白壁(しらかべ)・望郷/島崎藤...
最近は明治頃に発表された詩作をおもに図書館で拝読。ハマっているのは島崎藤村。本名は春樹らしい。島崎春樹、いいのに。島崎藤村(とうそん)を子どもの頃は「しまざきふじむら」、だと思って苗字苗字みたいだなあ、なんて思っていたけど。。。やはり、藤村は言葉の使い方が綺麗だ。三角眉に丸眼鏡だが、容姿と作風のギャップもまた面白い。ああ、怒られそう。誰に? では、著作権も切れているので作品をアップしてみよう。





白壁


たれかしるらん花ちかき
高樓(たかどの)われはのぼりゆき
みだれて熱きくるしみを
うれしいでけり白壁に

唾にしるせし文字ならば
ひとしれずこそ乾きけれ
あゝあゝしろき白壁に
わがうれひありなみだあり





望郷
寺をのがれいでたる僧のうたひしそのうた


いざさらば
をこの世のわかれぞと
のがれいでゝは住みなれし
御寺の藏裏(くり)の白壁の
眼にもふたゝび見ゆるかな

いざさらば
住なば佛のやどりさへ
火炎の宅(いえ)となるのを
なぎさめのなき心より
流れて落つる涙かな

いざさらば
こころの油濁るにも
ともしびたかくかきおこし
なさけは熱くもゆる火の
こひしき塵にわれは焼けなむ





藤村は恋に生きるひとなのだろう。恋の遍歴も逸脱的だ。兄の娘とも関係をもってしまうほど。そのエネルギーを綺麗に詩にしてしまうのだか、なんて自己防衛と描写力を備えた才能の持ち主なんだ。好きな人間ではないが、才能は尊敬してしまう。うーん、してやられているのか。。。

#雑記

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インターネットのニュースでX JAPANの映画についての記事を拝読(X JAPANの音楽は聴いてこなったが)。YOSHIKIさんが語っていた言葉はとても素敵だ。

「僕は生きていることが奇跡だから…。ファンの人たちに頂いた第2の人生、第3の人生だと思ってるんです。怖いものは何もない、明日死んでもいいというくらいに思ってる。でも、頂いた人生をちゃんと全うしてファンに返したい。映画に秘めたことは“不可能なんて何もない“ということなのですが、それをどこまでできるのかな…と思っています」

ひとは誰かのために成長して行こうとすることが、幸せということなのだろう。


#雑記

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超人以前の人以前の

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惜しみなく捧げる矢印のように生きる人
いや、もう人生と言えない世界で
奉仕の心は超人化し人として浮いている
いや、しっかりと歩いているのだ

僕はまだ歩いてもいない
ましてや生かされているとも言えない
それでも生きていたい太陽に向かうような原動力
死ぬ前に一歩でもいいから踏み込まなくては
追われているものの問いすら見ることが出来ない

複雑に絡まる自我の蜘蛛の糸
ひとつひとつ解く思考で始めなければ

#詩

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雑念なき文藝

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どこかで作品が読まれ
それで賞が頂けたのなら拒まない

だが自分から賞を貰うことも念頭にあって
作品を送りつけるのは
何だか違うような気がする
そこまで自分の表現をアピールすることに
純粋な意志を汚してしまう

そういったものは
後からついて来るものであってほしい
特について来なくても良いものであってほしい

作品との出会いは自然で
素晴らしい景色と遭遇するように
偶然の微笑ましい純粋が入っていれば
なお素敵なのだから

誰がどんな詩を書いてなんて
消えてしまっても良い
その作品の世界に入り込むだけだ

もし名前を出して表現するとするならば
自分自身が題目になり
生き様が文藝に反映することに終始
捧げられるかどうかだ

自分の作品を読んでほしい気持ちは
生きがいのひとつになるだろう
だが作品に肩書きを添わそうとすれば
一歩先の表現に霞すみながら進み
前に歩いているつもりが
行き先も解らず後退しているようなもの

作品が素晴らしいかは
雑念なくそのひとのものであってほしい

#詩

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